私の旅日記

白鬚神社〜碑巡り〜
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高島市鵜川の湖岸に白鬚神社(HP)がある。


謡曲「白鬚」と白鬚神社

 謡曲「白鬚」は、白鬚明神の縁起を語って祝言を述べる曲である。

 勅使が近江国の白鬚の社に参詣すると、明神の神霊が漁翁の姿で現れ、白鬚明神の縁起を詳しく語り、比叡山が仏法修行の清浄地として、外道魔物を入れない地となった縁起を語る。やがて明神は真の姿を現して楽を奏し、天女も竜神も現れて御代を祝うというのがその粗筋である。

 白鬚神社はまた比良明神ともいう。近江最古の大社で、現在の本殿は慶長8年(1603年)に豊臣秀頼、淀君が建立し、後に改築された拝殿と一体になって特殊な桃山建築の美を見せている。背後に比良の連峰をひかえ、鳰鳥(におとり)がのどかに浮かび、湖面に立つ朱の大鳥居の影が水にゆれる清楚な美しさは、安芸の厳島を彷彿させる。

謡曲史跡保存会

白鬚神社拝殿


御祭神は猿田彦命。

全国の白鬚神社総本宮である。

近江最古の神社だそうだ。

手水舎の横に与謝野寛・晶子の歌碑があった。


しらひげの神のみまへにわくいづみこれをむすべばひとの清まる

 大正初年参拝の2人が社前に湧き出る水の清らかさを詠んだもので、上の句は寛(鉄幹)、下の句は晶子の作である。

 大正7年(1918年)、京都延齢会が手水舎を再建、その記念として同年12月この歌碑を建立した。揮毫は寛の手であり、全国にある与謝野の歌碑の中で最も古いものである。

旧街道南出口付近に芭蕉の句碑があった。


四方より花吹入て鳰の湖

出典は『卯辰集』

「洒落堂記」には「にほの波」とある。

元禄3年(1690年)、芭蕉が浜田珍夕の草庵「洒落堂」を訪れて詠まれた句。

芭蕉47歳の時である。

安政4年(1857年)7月、建立。

石段を上ると左手に紫式部の歌碑があった。


   近江の海にて三尾が崎といふ所に網引くを見て

三尾の海に網引く民のてまもなく立ち居につけて都恋しも

昭和63年(1988)4月、高島町観光協会建立。

 この歌は、『源氏物語』の作者紫式部が、この地を通った時に詠んだものである。平安時代の長徳2年(996年)、越前国司となった父藤原為時に従って紫式部が京を発ったのは夏のことであった。一行は逢坂山を越え、大津から船路にて湖西を通り、越前に向かった。途中、高島の三尾崎(今の明神崎)の浜辺で、漁をする人々の網引く見馴れぬ光景に、都の生活を恋しく思い出して詠んだのが右の歌である。

 その夜は勝野津に泊り、翌日塩津から陸路越前に下った。紫式部にとって、この長旅は生涯でただ一度 の体験となった。彼女は越前の国府(武生市)に一年ばかり滞在したが、翌年の秋、単身京に帰った。ここに紫式部の若き日を偲び、当白鬚神社の境内に歌碑を建て、永く後代に顕彰するものである。

 なお碑文は「陽明文庫本」に依り記した。

 平成17年(2005年)1月1日、高島町は安曇川町、新旭町、今津町、マキノ町、朽木村と合併して高島市となった。

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