鴫立庵は茅葺屋根の葺き替え工事のため平成19年12月29日から休庵していたが、平成20年2月9日から再開したので再び行ってみた。 |
持ふるす杖のひかりや西行忌 立砂 |
文覚上人は平安末期・鎌倉初期の真言宗の僧。俗名は遠藤盛遠。もと北面の武士で、誤って袈裟御前を殺して出家した。 |
元禄11年(1698年)6月11日、岩田涼莵は鴫立庵で西行の像を見ている。 |
西行上人の像を拜す。 水賣も只にはあらじ檜かさ |
寛政7年(1795年)2月、西上人六百遠忌正当法要。『衣更着集』(葛三編)刊。 |
享和元年(1801年)2月28日、大田南畝は大坂銅座に赴任する旅で西行の像を見ている。 |
橋をわたりて、かの三千風がいとなみしといふ鴫立庵にいり、西行法師の像をみる。 |
宝暦中、鳥老師山鯉房を携へ、奥羽行李の戻り、そこの田畔に立寄り、其繊枝を手折り、笠の端に挿み、武中栗橋駅愛弟梅沢氏素人氏か窓外に刺す。今一庭を蔽て八九間空に知られぬ雨を見る。同州八王子の郷執友窪田氏古由君其一朶を懇に乞覓(もと)め、園裡に養ひ給ふ。此時亭々として舎蓋に彷彿たり。ことし明和五戊子の春正月望の日、志村氏□橋君又其梢をみつから折て、一章を添らる。是を榎本氏の室女星布平願をもつて鳥老師に送るを爰の沢辺に移す。 |