私の旅日記2012年

長谷寺〜句碑巡り〜
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桜井市初瀬の長谷寺(HP)へ行く。


長谷寺は真言宗豊山派の総本山。

西国三十三カ所第8番札所である。

豊山神楽院長谷寺


 朱鳥(あかみどり)元年(686年)、天武天皇の御願により道明上人によって創建された。

全国に三千余の末寺がある。

普門院不動堂


大永2年(1522年)10月、宗長は初瀬に詣でた。

 初瀬に詣でて、一日二日はべりしに、早く京にての知る人来たりて、終日物語して帰られしに、申し遣はしはべりし。

   初瀬山入相の鐘を聞くまでに昔を今の今日も忘れじ

『宗長日記』

阿波野青畝の句碑があった。


今日の月長いすゝきを生けにけり

平成12年(2000年)6月11日、『かつらぎ』創刊70周年に建立。

仁王門


明治18年(1885年)、再建。

高浜虚子の句碑があった。


花の寺末寺一念三千寺

昭和18年(1943年)3月22日、高浜虚子は阿波野青畝等と共に長谷寺吟行。

長谷寺に法鼓轟く彼岸かな

花の寺末寺一念三千寺

御胸に春の塵とや申すべき

      三月二十二日 阿波野青畝、藤岡玉骨其の他と共に長谷寺吟
      行。


登廊(のぼりろう)


重要文化財である。

小林一茶の句碑があった。


   此裡に春をむかへて

我もけさ清僧の部也梅の花

平成18年(2006年)4月、流山光明院住職建立。

登廊が続く。


ようやく本堂へ。


本尊は十一面観世音菩薩立像。

身の丈「三丈三尺六寸」。10m余である。

明和9年(1772年)、加舎白雄は長谷寺を訪れた。

登泊瀬山

救世大士をおがみおはりて勾欄にせなかをしつゝゆほびかなる東西を臨むに山おろしの風は午時の梵声にひびき樹色雨をふくみて僧房の書帙を侵す錫のたちしところ鶴のとゞまりし所も遠きにあらずかゝる不染の地なる事を

   新樹ふかく大観音のあらしかな


   はつ瀬やまにのぼりて

新樹ふかく大観音のあらしかな


松尾芭蕉の句碑があった。


春の夜や籠り人床し堂のすみ

平成15年(2003年)3月、建立。

本堂から境内を見下ろす。


本堂から五重塔を望む。


昭和31年(1956年)4月29日、水原秋桜子は長谷寺を訪れている。

   長谷寺にて

石佛のかくるゝ牡丹咲きにけり

回廊や初瀬の紫雲英田はるかにて

勧学寮牡丹の客を絶ちにけり

『玄魚』

五重塔


昭和29年(1954年)、建立。

本堂を見上げる。


慶安3年(1650年)、再建。

国宝である。

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