私の旅日記2008年

兼六園〜芭蕉の句碑〜
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冬の金沢に行くことにした。

トンネルを抜けると雪国のはずだが、越後湯沢に雪はない。

ほくほく線特急「はくたか」で金沢に向かう。

1997年、ほくほく線開業。「ほくほく」とは北越北線のこと。

金沢と言ったら、兼六園。


兼六園(HP)は水戸偕楽園、岡山後楽園と並ぶ日本三名園のひとつ。

 文政5年(1822年)、12代藩主斉広(なりなが)は隠居所「竹沢御殿」を造営。奥州白河藩主松平定信によって「兼六園」と命名された。


霞ヶ池も曇り空では駄目だ。

雪吊りされた唐崎松


琵琶湖畔の唐崎松から種子を取り寄せて育てた黒松だそうだ。

 明治42年(1909年)8月22日、河東碧梧桐は金沢で兼六園のことを書いている。

 日本三公園の一たる兼六園も、年を追うてただ俗化するのみだという。十年前のことを知っておる者は、二度と足踏みが出来ぬなどという憤慨者が多いので、まだ公園散歩説も提出されぬ。


 昭和6年(1931年)1月2日、与謝野寛・晶子夫妻は宇奈月温泉から金沢の兼六園へ。

 昭和8年(1933年)11月1日、与謝野寛・晶子夫妻は再び宇奈月温泉訪れ、3日富山、5日高岡、6日金沢、8日安宅神社へ。

 昭和23年(1948年)6月、中村草田男は金沢に旅行。兼六園を訪れている。

   兼六公園にて

梢ごし旅に見下ろす運動會

『銀河依然』

日本武尊


 明治13年(1880年)、日本で最初に建てられた銅像といわれているそうだ。

山崎山に芭蕉の句碑があった。


あかあかと日は難面も秋の風

 元禄2年(1689年)7月、『奥の細道』の旅で、金沢から小松へ向かう途中に詠んだ句。

弘化3年(1846年)、句碑建立。金沢の俳人梅室筆。

金沢城


 天正11年(1583年)4月の賤ヶ嶽合戦後、前田利家は豊臣秀吉より能登一国に石川・河北両郡を加増されて小丸山城から金沢城へ移った。

犀川へ。

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