俳 人
岩田涼菟
本名は岩田正致。通称は又二郎。伊勢山田の神職。初号は団友、元禄13年頃、涼菟と改号。神風館三世を名乗る。
涼菟者勢州山田神職之人也。業二風雅一。初號二團友一。
涼兔 伊勢ノ山田神職ナリ、始、團友齋ト号ス。辭世 合點じや其曉の時鳥末期目を開き 一句カク(※「病ダレ」+「鬲」)ノ症を患テ死す。今迄ハ人の病ぞと思しにわが身の上にかくの仕合。姫路の寒鴻と云モノ所持ナリ。
元禄3年(1690年)3月、各務支考は岩田涼菟の紹介で近江粟津の無名庵に芭蕉を訪ねて門下となる。
島田の如舟は伊勢参宮の折、涼菟を訪ねている。
白壁の間にはさかる月よ哉
| 如舟
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此如舟は、するがの国嶋田の駅より参宮申さ
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れしが、吾草庵をたづねて、此句申捨られし。
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奥深に月は隣の梢かな
| 団友
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元禄8年(1695年)、各務支考は芭蕉の足跡を巡遊。『笈日記』に「今年元禄乙亥の夏五月十二日、涼菟斎におゐ(い)て、記之。」とある。
元禄9年(1696年)、十丈は伊勢に涼菟・支考を訪ねる。『射水川』(十丈編)
元禄11年(1698年)5月、岩田涼莵は伊勢を立ち江戸に向かう。
元禄12年(1699年)、『皮籠摺』(涼莵編)刊。
元禄16年(1703年)秋、岩田涼菟は門下の中川乙由を伴い、山中温泉に遊ぶ。金沢から福井、敦賀より彦根に入り、関ヶ原、大垣を経て名古屋に転じて伊勢に帰庵した。
元禄16年(1703年)10月22日、涼菟は北国行脚の帰途、露川と共に千代倉家に泊る。
十月廿二日 晴天 伊勢団友、なごや露川、如瓶被参、何れも泊り。はいかい歌仙出来ル。
十月廿三日 少々時雨 露川、如瓶昼比帰ル。
十月廿四日 晴天 団友同道ニて伊右へ振廻ニ行。歌仙一巻出来。
広々と鷹も宿かる一間哉
| 団友
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人稀に来る木枯の峯
| ボク言
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笘まく□□□□に今朝の月寒て
| 知足
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元禄16年(1703年)、涼菟は北国行脚の帰途、大垣を経て桑名に滞在。『俳諧行脚戻』
元禄17年(1704年)、『山中集』(涼菟編)刊。支考序。3月13日、改元。
宝永元年(1704年)11月、涼菟は豊前中津を訪れる。『中やどり』(宇桂編)
宝永2年(1705年)1月、涼菟は豊後日田で越年、肥後に赴く。
伊勢の凉菟我か郷に
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年をへ睦月の十日あまり
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肥後の方に赴けるに
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蓑虫の荷は軽みたり雪なたれ
| | 朱拙
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