俳 書

『芭蕉盥』(朱拙・有隣編)


筑前飯塚の有隣が企画、朱拙が編集。朱拙は豊後日田に旅寓。

芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉」(『武蔵曲』)による。

享保8年(1723年)、『芭蕉盥』(朱拙・有隣編)朱拙序。

享保9年(1724年)4月、『芭蕉盥』(朱拙・有隣編)刊。

 芭蕉翁
つみけんや茶を木枯の秋ともしらで

菖蒲生けり去年の鰯の髑髏

   天和年中の吟、世の撰に入たるをしらぬから、
   爰に出し侍る。

   芭蕉盥 春之部

   花
  大津
鳶の輪につれてよらばや山ざくら
   丈屮

   此句諸集に出たれど、千歳最上の景状、後生の
   模範たらんと晋子・去來が黨も常々ゆかしめり
   と聞けるから、猶書載てつれづれの觀とす。
  江戸
櫻ちる彌生五日はわすれまじ
   其角

豊後日田婦
どこぞから引れたがるも花見かな
   りん

    初瀬寺にて
美濃大垣
塀越に花見所化の天窗哉
   木因
  尾州
首だけや岡の華見る蚫とり
   越人

    大平の民手を待身ながら
筑前飯塚
糞取の道妨げる花見哉
   有隣
  日田
辨當は硯ひとつの花み哉
   野紅
出羽尾花沢
吸ものゝ工夫こまりぬはつ櫻
   清風

    無常迅速

咲花も老行間日はなかりけり
   乙州

    昇平の象、野山にみてる、おぼろ・
    あけぼのゝ箔つれをみて

三日有天下法度や山ざくら
   朱拙

   歳 首

發句なり芭蕉桃青宿の春
 翁

   貞享年中の吟、素堂其角と三ツもの
   有り。
  江戸
赤人の名はつかれたりはつ霞
   史邦
  
雜煮ぞと引起されし旅寐哉
   路通

   早 春

    いとけなきものを愛して

正月を出して見せうかかゞみ餅
   去來

   梅
  翁
梅が香や通り過れば弓の音
  尾州
下戸ならばとてこそ梅は咲にけり
   露川
  漆川
鶯に笠の緒つまる梺かな
   土明

    堅田より粟津へかゝる道中

鶯や山三井寺のいどみあひ
   朱拙

    泉岳寺義士の墓参りして

鶯の目はからし酢の涙かな
   其角

   柳

應々で人を賺(スカ)せる柳かな
   去來
美濃大垣
尤でうちくらしたる柳哉
   如行

柳には皷もうたず歌もなし
   其角
筑前内野
春雨の先は浮世の雀哉
   助然

   燕
  大坂
家もたぬ燕かさびし顔の様
   薗女

   胡 蝶

    莊子の畫賛
  大坂
世の中よ蝶々とまれかくもあれ
   宗因

   宗因は此道の大功、禹の下に立まじ
   と、古翁もこれらの句をゆかしみ給
   ふとぞ。

   留與他人樂少年といふ詩の心ばえ
   も、身につみておもひしらるゝ事
   あれば

糸きれて誰か結ばん紙鳶
   正秀

   上 己(巳)

布子着て夏より暑し桃の花
 翁

   三月盡
  伊賀
行盡す前な畠の三月菜
   土芳

   芭蕉盥 夏之部

起て見よ此時鳥市兵衛記
   其角
  江戸
時鳥啼かば佛法長吉歟
   嵐雪

おも梶よ明石のとまり時鳥
   荷兮

   此句は、野を横に馬引むけよ蜀公
   の句に同意なりとて、去來の撰にも
   れしときけど、ちか比の句をしらず、
   木がらしの荷兮と世にいはれたる名
   のなつかしさに、書載せ侍る。
  美濃
時鳥殿の御影や七ツ起
   荊口
  膳所
傘の柄もりもしらで郭公
   洒堂
  大坂
京よりも晝は伏見のほとゝぎす
   諷竹
  大津尼
花の香を衣桁に懸つ衣がえ
   智月

   蚊 帳
  膳所
きつぱりと寐てとる蚊帳の一重哉
   曲翠
豊前大橋
梶原が朝起憎し蝿の聲
   元翠

   螢
  加賀
藪陰を尻つよに出る螢かな
   北枝

   夏木立 下やみ

柿の木の至り過たる若葉哉
   越人
  彦根
宿々は皆新茶なり麥の穐BR>   許六

   早 苗

雨おりおり思ふ事なき早苗哉
 翁

食盛に嫁の出立や田植時
   許六
  伊賀
名のよきに最一ツとらん初茄子
   猿雖

   暑
  越中
青空に底のぬけたる暑
   浪化

   白 雨

夕立にとびのく月や松の上
   丈屮

    長崎へ赴く道中

世を海に高飛したる水鶏哉
   去來

    濃州關にて

耳はゆき鍛冶の鑪(いろり)や蝉の聲
   朱拙

   清 泉

あとからも缺唇(イクチ)の覗く清水哉
   許六

    東武よりのぼりて人々にたいめす
  翁
東路の毛髄(ズネ)耻かし床すゞみ
  美濃
花々のつゝまる音やあをあらし
   千川

   雜 題

    題あらはなるも、類句なきはこゝに
    あつむ。
  江戸
なりそめし妹がさゝげの花かづら
   杉風
  伊勢
拾はれて行日もあらん蝸牛
   凉菟

   芭蕉盥 穐之部

   月

名乘鳧そもそも是は秋の月
   守武

    大津ニテ

三井寺の門たたかばやけふの月
   芭蕉

    紀路にて

たつか弓箭をつぐ船や三日の月
   其角

    小野にまかりて

岩はなや爰にも一人月の客
   去來

    美濃ニテ

身一人の不破と月もる破
   嵐雪

    須磨・あかしに三夜を賞して

名月の向ふ棧敷や須磨あかし
   越人
  尾州
見るものと覺えて人の月見かな
   野水

   二 星

    大井川渡らず成て金谷に止泊して

七夕や八十水の河どまり
   朱拙

夜明まで雨ふく中や二ツ星
   丈屮
  南都
捨子する大門くらし星まつり
   玄梅

   穐 風

秋風や薮も畠も不破の關
 翁

    木因をいざなひて不破の關にまか
    りて

燒酎にあれにし後は秋の風
   朱拙

大佛を下る別れやあきの風
   丈屮

    筑前の相撲取に褒美とらすとて

秋風や西に名を得し金碇(カナイカリ)
   去來
  尾州
いなづまや落て崩るゝ汐頭
   素覽

   木 槿

    裸子の木槿の枝持たるに

花木槿はだか童のかざしかな
 翁

   西 瓜
  江戸
西瓜一人野分の朝又おかし
   素堂

    尾の露川に別るとて

此わかれ膓つかむ西瓜かな
   朱拙

    尾の露川撰に、ふくべ哉、とあやま
    られたればかさねて出しぬ。

   秋 雁

酒買に行か雨夜の雁一ツ
   其角

   擣 衣

    あふみ路を通り侍る比、日野山の
    ほとりにて、胡麻といふものに上
    の絹とられて
  翁
剥れたる身には砧のひゞきかな

   薄

老らくの股(モゝ)だけあまるすゝきかな
   去來

   うづら
備中吉備津
そら窓に夜はまじりけり啼鶉
   高世

    飯塚の驛にて
  行脚
栗の穂をこぼしてこゝら啼鶉
   惟然

    去來

いきいきと枕に殘る菊の花
   曲翠

    堅田祥瑞寺にて
  翁
朝茶飲む僧静かなり菊の花

    十日、洛にして去來の墓参に

昔我が友よ十日の菊の形
   朱拙

   九月盡
  翁
秋の暮男は泣ぬものなればこそ

   雜 題

    堅田柳瀬可休亭にて
  翁
祖父親孫の榮や柿蜜柑

しげしげと目で物いふや萩の客
   丈屮
  翁
牛部屋に蚊の聲よはし秋の風

  下樋の上に葡萄重なる
   洒堂

酒しぼる雫ながらに月暮て
   史邦

  扇四五十本書なぐりけり
   丈屮

呉竹に置直したる凉み床
   去來

  蓮の巻葉のとけかゝる比
   野童



   芭蕉盥 冬之部

   六出花
  翁
雪を径(まつ)上戸の額いな光り

    其角が東武へ歸るに

天龍でたゝかれ給へ雪の暮
   越人

    三尺の山はあらしの、とすさばれ
    し茶店に、大津の連衆とあそびて

初雪にあふみの茶店や銀世界
   朱拙

   霜

朝霜や聾の門の鉢ひらき
   丈屮

    本福寺生々の僧のあないにて、お
    ば御にあひ奉る悦び、いくそばく
    ぞや。浦嶋が子の御心ほれもまし
    ます御盃をいたゞきて

蓬莱にあふみの婆々や松の雪
   其角
  長嵜
握るほど時雨よせけり初時雨
   宇鹿

山原に舟の咄のさむさ哉
   丈屮

   雜 題

神の留守能女房を守るべし
   嵐雪

    魚鳥の心はしらず年わすれ とす
    さびられし昔なつかしみながら、
    いねいねと人にいはるゝ路通が常
    ずまひにて、世の中を立まふ。取
    捨は人に有て身にあづからじ。た
    ゞ目前の年のもちゐ、ひとつを樂
    にして肱をまげぬ

魚鳥の候ひしにて年くしれぬ
   朱拙

此わすれ流るゝ年の淀ならむ
   素堂

    此句は此老の作なるを、翁にあや
    まてる集あるから爰に正し侍る。
  翁
萱屮(ワスレグサ)菜飯(ナハン)につまむ年の暮

    竹青堂即興
  朱拙
棒松の棒であしらふ時雨哉

琵琶聞音に木がらしの風
   正秀

關東の旅へ瀧口すへられて
   丈屮

屁の訴訟(アラソヒ)の蕎麥に濟だり
   楚江



   享保九甲辰年卯月吉日

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