俳 書
『韻塞』(李由・許六共編)
上巻は元禄9年(1696年)12月李由自序。千那跋。
李由は本名河野通賢。光明遍照寺第十四世住職。
許六は本名森川百仲。彦根藩重臣。
千那は本福寺十一世住職明式。
韻 塞
| 李 由 選
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十 月
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宿明照寺 元禄辛未于時四十有八歳
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当寺此平田に地をうつされてより、已に百年
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にを(お)よぶとかや。御堂奉加の辞に曰、竹
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樹密に土石老たりと。誠に木立物ふりて、殊
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勝に覚え侍ければ
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| 芭蕉翁
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百年の気色を庭の落葉哉
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御玄豕も過て銀杏の落葉哉
| 李由
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寒山と拾得とよるおちば掻
| 許六
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掃おろす牛の背中の落葉哉
| 如行
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旅 行
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夜の中に木の葉を聞や駕籠の屋ね
| 荊口
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神無月豆腐のうれる嵐哉
| 杉風
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| ヲハリ
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兀山や化(ばけ)をあらはす神無月
| 素覽
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新藁の屋ね雫や初しぐれ
| 許六
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| 大サカ
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初時雨百舌鳥野の使もどつたか
| 諷竹
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蔦の葉の落た処を時雨けり
| 此筋
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蒟蒻の湯気あたゝかにしぐれ哉
| 猿雖
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無名庵にて当座
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| カゞ
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流れたる雲や時雨るゝ長良山
| 北枝
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一方は藪の手伝ふしぐれ哉
| 丈艸
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惟然が田上の草庵に入けるに贈る
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| 長サキ
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もらぬかと先おもひつく時雨哉
| 牡年
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水鼻にまこと見せけりおとりこし
| 千那
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同日に山三井寺の大根引
| 許六
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木がらしにいつすがりてや雨蛙
| 正秀
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| 亡人
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木がらしや百姓起て出る家
| 馬仏
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我形(なり)の哀に見ゆる枯野哉
| 智月
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亡師一周忌に手づから画像を写して、
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野坡に贈て、深川の什物に寄附す。
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鬢の霜無言の時のすがたかな
| 許六
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| 千那子息
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山寺は山椒くさき火たつかな
| 角上
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御命講や顱(あたま)のあをき新比丘尼
| 許六
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行かゝり客に成けりえびす講
| 去来
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明方や城をとりまく鴨の声
| 許六
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はつゆきや払ひもあえ(へ)ずかいつぶり
| 許六
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鼻息や朝餉まつ間の江湖(ごうこ)部屋
| 許六
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霜 月
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初霜に覆ひかゝるや闇の星
| 千川
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水風呂に垢の落たるしもよ哉
| 許六
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| エド
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霜畑やとり残されし種茄子
| 桐奚
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| 同
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萱屋ねに霜見る朝の日和哉
| 利牛
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綿帽子の糊をちからや冬の蝿
| 許六
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旅 行
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舟あてゝきやきや氷る寝覚哉
| 杉風
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乞食の事いふ(う)て寐る夜の雪
| 李由
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去来が「雪の門」を題にすえ(ゑ)て、晋子に
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句を望まれける時
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十四屋は海手に寒し雪の門
| 許六
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霙降宿のしまりや蓑の夜着 | 丈艸
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網代守宇治の駕籠舁(かき)と成にけり
| 許六
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晩方の声や砕るみそさゞい | 惟然
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鶯に啼て見せけり鷦鷯(みそさざい)
| 許六
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杉の葉の赤ばる方や冬の暮
| 許六
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極 月
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葱白く洗ひたてたるさむさ哉
| 翁
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大髭に剃刀の飛ぶさむさかな
| 許六
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気をつけて見るほど寒し枯すゝき
| 杉風
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寒ければ寐られずねゝば猶寒し
| 支考
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物売の急になりたる寒さ哉
| 乙州
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嫁入の門も過けり鉢たゝき
| 許六
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臘八や腹を探れば納豆汁
| 許六
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煤の手に一歩を渡す師走哉
| 岱水
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追鳥も山に帰るか年の暮
| 丈艸
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| ヲハリ
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来年は来年はとて暮にけり
| 露川
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行年や多賀造宮の訴訟人
| 許六
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行年に畳の跡や尻の形(なり)
| 許六
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示小坊主阿段
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訴を直に聴也節布子
| 許六
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待春や机に揃ふ書の小口
| 浪化
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正 月
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なゝ草や次手に扣く鳥の骨
| 桃隣
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俎板に寒し薺の青雫
| 此筋
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古猫の相伴にあふ卯杖哉
| 許六
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寄梅恋
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ふり袖のちらと見えけり闇の梅
| 野坡
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むめが香に濃花色の小袖哉
| 許六
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深川懐旧
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豆腐やもむかしの顔や檐(のき)の梅
| 許六
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かぞへ来ぬ屋敷屋敷の梅柳
| 翁
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黒土の庚申塚や朧月
| 許六
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朧々直に霞て明にけり
| 杉風
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春雨やはなればなれの金屏風
| 許六
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春雨や鶯這入ル石灯籠
| 杉風
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逢坂や鶯きかば小関越
| 尚白
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鶯の鳴破つたる紙子かな
| 許六
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掃だめを捨かけてを(お)く春の雪
| 許六
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二 月
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唐人のうしろむきたる柳かな
| 許六
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奈良にて故人と別る
| 許六
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二股にわかれ初けり鹿の角
| 翁
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蜂の子をのがれて蝶のそだち哉 | 丈艸
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砂川や芝にながれて鳴ひばり
| 許六
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くろき物ひとつは空の雲雀かな
| 李由
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陽炎や足もとにつく戻駕籠
| 去来
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かげろふや破風の瓦の如意宝珠
| 許六
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雀子と声鳴かはす鼠の巣
| 翁
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題余寒
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灸の点干ぬ間も寒し春の風
| 許六
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苗代やうれし顔にもなく蛙
| 許六
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菜の花を身うちにつけてなく蛙
| 李由
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菜の花や豆の粉食(めし)の昼げしき
| 許六
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三 月
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芳野山又ちる方に花めぐり
| 去来
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五斗の米の為に腰を折に懶(ものう)し
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年ン年ンに猶いそがしや花盛
| 許六
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遊五老井
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花の山常にながるゝ井戸ひとつ
| 諷竹
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茶のはりにそしつて散や山桜
| 許六
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春の夜は桜に明て仕廻けり
| 翁
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草餅にいな振舞や鯲(どぢやう)汁
| 土芳
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松原に風を残して塩干哉
| 風国
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出替や出がはり跡の物淋し
| 許六
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懺法のあはれ過たる日の永さ
| 許六
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難波の諷竹、之道といひける時、しばらく行
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脚の頭陀をとゞめて、又美濃の方へも趣むと
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申ければ、
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紬きる客に取つけ木瓜の花
| 許六
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藤の花さすや茶摘の荷ひ籠
| 許六
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ゆく春に佐渡や越後の鳥曇
| 許六
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四 月
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上ひとつ脱で大工のころまがへ
| 許六
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風の日は何にかたよる杜宇
| 杉風
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遊長命寺
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笋の鮓を啼出せほとゝぎす | 丈艸
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蝋燭にしづまりかへるぼたんかな
| 許六
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兄弟が顔見合すや蜀魂
| 去来
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大津に住侍る頃、勢田にてはつねを聞て
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ほとゝぎす勢田は鰻の自慢哉
| 許六
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信濃・上野を過、むさしの地にいりて
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芥子の花を見る。「馬頭初見米嚢花」
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といふ句の力を得たり。
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熊谷の堤あがればけしの花
| 許六
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白川の関こえける時、竹田の大夫装
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束つくろひける事おもひ出て
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卯の花をかざしに関の晴着かな
| 曽良
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仏法を裸にしたる産湯哉
| 許六
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日あたりや紺屋のうらの杜若
| 許六
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竹の子に身をする猫のたはれ哉
| 許六
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五 月
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夕だちのかしら入たる梅雨哉 | 丈草
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五月雨や蚕わづらふ桑ばたけ
| 翁
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許六が東武に趣くと聞て申送る
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猫の手も江戸拵(ごしらへ)や夏ごろも
| 李由
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東武吟行のころ、美濃路より李由が
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許へ文のを(お)とづれに
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ひるがほに昼寐せうもの床の山
| 翁
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昼顔の果も見えけりところてむ(ん)
| 許六
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見物の火にはぐれたる歩行鵜(かちう)哉 | 去来
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涼風や青田のうへの雲の影
| 許六
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胴亀や昨日植たる田の濁り
| 許六
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宇治川の螢は、昔日三位入道の亡魂なりとい
|
ひつたふ。今の世は
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かしこさに合戦なしに飛螢
| 許六
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六 月
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有難き時代(ときよ)にあふや土用干
| 杉風
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| 許六亡父
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内張の銭の暑さや土用干
| 理性軒
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八十に余る老祖父、子孫の栄ゆくにつけて、
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はやく死たしとばかり、願はれける。
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一竿は死装束や土用ぼし
| 許六
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暮待や藪のひかへの雲の峯 | 去来
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木曽路
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棧やあぶなげもなし蝉の声
| 許六
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あつみ山吹浦かけて夕すゞみ
| 翁
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山伏の髪すきたてゝ夕すゞみ
| 許六
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| 長サキ
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あげ苫に涼むばかりぞ向ふ風
| 魯町
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| サガ
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すずしさや松の葉越の破風造
| 野明
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| 長サキ
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爪紅の濡色動く清水哉
| 卯七
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いそがしきから臼踏の団かな
| 許六
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旅 行
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涼風や峠に足をふみかける
| 許六
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川越や蚤にわかるゝ横田川
| 彫棠
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宿山中 |
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蚤虱馬の尿するまくらもと
| 翁
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七 月
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動きなき岩撫子や星の床
| 曽良
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けふ星の賀にあふ花や女郎花
| 杉風
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むかし此日家隆卿、「七そじなゝの」と詠じ
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給ふは、みづからを祝ふなるべし。今我母の
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よはひのあひにあふ事をことぶきて、猶九そ
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じあまり九つの重陽をも、かさねまほしくお
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もふ事しかなり。
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めでたさや星の一夜も朝顔も
| 素堂
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かさゝぎの橋や絵入の百人一首
| 許六
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動きなき岩撫子や星の床
| 曽良
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初秋や帷子ごしにかゝる雨
| 毛ガン
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| (※「糸」+「丸」)
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あさがほのうらを見せけり風の秋
| 許六
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作り木の糸をゆるすや秋のかぜ
| 嵐雪
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宇津の山を過ぐ |
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十団子(とをだご)も小粒になりぬ秋の風
| 許六
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同じ頃島田・金谷の送火に感をます
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聖霊にならで越けり大井川
| 許六
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追 憶
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玉棚の奥なつかしや親の顔 | 去来
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そなへ物名は何々ぞ魂まつり
| 卓袋
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| ミノ
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蜻蛉のつつとぬけたる廊下哉
| 斜嶺
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裸身に麻の匂ひやすまひ取
| 許六
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訪艸庵
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秋さびし手毎にむけや瓜茄子
| 翁
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八 月
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八朔に酢のきゝ過る膾かな
| 許六
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名月のこれもめぐみや菜大根
| 許六
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いざよひや有馬を出てかへる人
| 許六
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| イセ
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松茸や囲炉裏の中に植て見る
| 団友
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くるゝほどばせをにひゞく虫の声
| 許六
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稲刈の其田の端やこき所
| 許六
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亡母年回追悼
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同年の尼くづを(ほ)れて袖の露
| 李由
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おなじく供養に詣て
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唐がらし菜摘水汲法の人
| 許六
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大きなる家ほど秋のゆふべかな
| 許六
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世の中を這入かねてや蛇の穴
| 惟然
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孟耶観の夜話
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夜ばなしの長さを行ばどこの山 | 丈草
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九 月
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加州山中の重陽 |
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山中や菊は手をらぬ湯の匂ひ
| 翁
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桟や命をからむ蔦もみぢ
| 翁
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遊五老井 二句
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早咲の得手を桜の紅葉哉
| 丈草
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あを空や手ざしもならず秋の水
| 仝
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題十三夜
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月影やこゝ住よしの佃島
| 其角
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小男鹿やころびうつたる蕎麦畠
| 許六
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帰り来る魚のすみかや崩れ簗
| 丈草
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自画自賛 二句
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白雁や野馬をを(お)ど(ママ)す草の露
| 許六
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落雁の声のかさなる夜寒哉
| 仝
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訪郷里旧友
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病人と鉦木(しゆもく)に寐たる夜さむ哉
| 丈草
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磯際の波に鳴入いとゞかな
| 惟然
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のびのびて衰ふ菊や秋の暮
| 許六
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閏 月
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彼 岸
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百姓の娘の出たつひがんかな
| 許六
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土 用
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おぼつかな土用の入の人ごゝろ
| 杉風
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半夏生
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半夏水や野菜のきれる竹生嶋
| 許六
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|
寒
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月花の愚に針たてん寒の入
| 翁
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立 春
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春立や歯朶にとゞまる神矢の根
| 許六
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五老井記
霊泉あり。水のたゝゆる事纔に尺あまりにして、三尺の盆池より流れ出る事、潺々滔々たり五老井と名づく。別墅をひらきて五老菴を結ぶ。主人姓は森、名は許六、みづから五老井居士と潜す。
元禄壬申冬十月三日許六亭興行
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けふはかり人もとしよれ初時雨
| ばせを
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野は仕付たる麦のあら土
| 許六
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油実を売む小粒の吟味して
| 洒堂
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汁の煮(にえ)たつ秋の風はな
| 岱水
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宿の月奥へ入ほど古畳
| 嵐蘭
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先工夫する蚊屋の釣やう
| 筆
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参 吟
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秋もはや鴈ンおり揃ふ寒さ哉
| 野坡
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藁を見てからかゝる屋普請
| 許六
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暮の月宿へはい(ひ)れば草臥て
| 利牛
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木曽路を経て旧里にかへる人は、森川氏許六と云ふ。古しへより風雅に情ある人々は、後に笈をかけ、草鞋に足をいため、破笠に霜露をいとふ(う)て、を(お)のれが心をせめて物の実をしる事をよろこべり。今仕官おほやけの為には、長釼(劔)を腰にはさみ乗かけの後に鑓をもたせ、歩行若党の黒き羽織のもすそは風にひるがへしたるありさま、此人の本意にはあるべからず。
椎の花の心にも似よ木曽の旅
| ばせを
|
|
うき人の旅にも習へ木曽の蝿
| 同
|
両句一句に決定(けつじやう)すべきよし申されけれど、今滅後の形見にふたつながらならべ侍る。
枇杷の大つの扇の風を、生の松原によせられけむ、折からの贈別におもひあはせて、何かよせむとたはむれの狂句に、「別るゝや我は扇に絵をこのむ」と、主人翫掌のしは(わ)ざをせめて、一日は画、一夜は俳諧に明たり。
甲路記(紀)行
五十年の行脚に一点の難も蒙らぬは西上人独(ひとり)の上也。蘇氏八州の逆旅は、皆不平の上の流浪也。古人は是なるも非なるも共に風雅の境を出ずして、万古の情を述たり。我雲水の客となる事二十年、ある時は不破・清見が明月に鞭をあげ、士峯の雲に顔(かんばせ)をあふぐ事五たび、又むさし・かむづけを経て、碓氷の雪にまよひ、木曽の若葉を分入事已に六度に及。東西南北に奔走する事合て十一度也。水村山郭、木のふり、石のたゝずまひ、前後左右はまのあたりにおぼえぬ。明朝趣むとする道は、甲斐の猿橋を渡て上の諏訪にかゝり、又もや木曽の川音のゆかしきに枕を支むと、灯火に先達の紀行を披(ひら)きて、名所の和歌、古戦場の由来をとゞめて旅行の嚢に収め、足袋・はゞきの破を補ひ、竹杖の節をおろして枕の上にかけたり。我むつましき翁に別れ、行末覚束なく心細き身に成行空に、蜀魂の一声も尋常ならず、月落鳥(烏)啼て、やゝ市に行人の足音は已に首途をすゝめぬ。明れば五月六日、武江の館を退。
卯の花に蘆毛の馬の夜明哉
日々の文章は、去ぬる記(紀)行にゆづりて筆をとゞむ。猶名所ところどころの句共おほくは前輩の集に出れば、これをももらす。しかはあれど、旅の情のお(を)かしきをあつめ、たはぶれに賦作り、旅すく翁のなぐさめに書あつめて草庵へおくる。今ついでよければ、亡師のかた見の一烈(列)にこれをしるす。
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