広瀬惟然

『二えふ集』(惟然編)


元禄15年(1702年)、惟然は播州・備州・作州・伯耆まで放浪。

元禄15年(1702年)、『二えふ集』(惟然編)刊。

 春

鶯の終になかぬがあれを聞きや
   除風

   無名庵の草の戸をひらけば昼静なり

梅にとへ昼盗人の去(い)んだあと
   浪花
  ミノ (化)
梅一重たゞ何となく手のつかず
   低耳

吹かぜも心ありそなむめのはな
   智月

   閑居のこゝろを

竹といへば痩藪梅は老木かな
   尚白

   奈良にて

先以一重桜に朝茶かな
   如行

   湖上落花

うつ波に花のよするは寄るはの
   除風

あたゝかな泥もどろどろ水なれよ
   諷竹

 夏

花の種たねとなりてやまた花の
   高世

夏木立かたまつて居て又涼し
   兀峯

   峯のもとにおくる。

(お)のづからを(お)のづからこそ雲の峰
   惟然

   烏が啼ば、もいのとおしやる

ほとゝぎす虚言らしう夜の明けるぞ
   乙州
  キビ
寐ぬがそんとはいひながらほとゝぎす
   高吉

   兀峯亭にて

涼しいか草木諸鳥諸虫ども
   惟然

 穐

湖南の人鳥落人はばせをの翁の跡を惜み、せめて彼のおもかげを、木曽塚の旡名菴に残しを(お)きてむとて、勧化の句集を思立侍とぞ。まことに俳諧の風雅にやつれし心、殊勝ならずや。ことし難波津に首途しつとて、芦のかりねのひと夜ふた夜と、しかまのかちゞをしのぎてうつろひこされしが、折しもあれ、五月雨の村の田植の苗うついそぎ、かたつき麦も所せきとや。たけ笠の雨もほしあへず、久米の更山の霧もとむとて、美作におもむかれし道の「かぎりも遠く」といへるかつまたのみゆに、たびのいたづきなどひたしやすめて、このごろ立帰られしは、中山の名月をおもひよせられしならむ。細谷川の影もさることなれど、となる国にこそ高嶋となんいふ所の月舟お(を)かしからんと、南化菴の法しをまじへ、備陽の岡府にゆく。蓑里が病ことありて、薬もとむとて、旅宿せしを主として

(すずき)々奇麗で腹にあたらひ(い)
   高世

今宵舟の月見むと、それかれ催しあへるに、昼より曇りければ

舟ならばさぞ名月の十分で
   除風

もしや月晴よ晴よと思ふ(う)たが
   高世

雨しばしやみければ、やがて舟にのるに、はたかきたれてふりそぼてば、かく申はべる。

今宵月もしや晴ると漕出ぬ苫もる舟よ雨もうらみじ

またしばしして晴わたりければ、やがて漕出るに、「一葦の逝ところ、浩々としておほぞらに憑(よ)り、風に御して」、といへるも更に思ひ合する事也。

こむな所<トコ>見よふ(う)とは更にこじまの月
惟然

生て月どふ(う)見よふ(う)徳はなけれども
蓑里

我も我人も人じやが月の舟
高世

名月や浦の戸並の北ばらし
除風

結句また降てのけたで今日の月
高世

月じやものいひたいまゝにいひちらす

   葉月それの日、備の岡府にして

吉備の神部 藤原高世記


代もつきじきかゝる袖を菊の友
   涼菟

秋の実のおのが酢をしる鱠かな
   洒堂

 冬

   おもふことふたつのけたるそのあとは花のみ
   やこもいなかなりけり

初雪をどろにこねたる都かな
   正秀

この雪に何がなとかく座禅かよ
   惟然

   翁をしとふ(たう)

人は死ねしねば忍ぶぞかにはらひ
   智月

つくろはずしはすの川のさらさらと
   惟然

 雑

松風の四十過てもさは(わ)がしい
   鬼貫

   鳥落人松嶋・しら川のはなしに、彼旅は
   旅ともおもはざりしを、思ひ出して

ぞくぞくと旅したいとは雲よ鳥
   車庸

   我住礒の鯰は、涼風の夜、もにのたれあがり
   て、人有ともしらず伏入たるに、を(お)のが鼾に
   目をさまして逃行事たびたび也。

うたゝ寐の鯰は人を仏とか
   乙州

船よふねこちがはやいか須磨の岡
   惟然

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