森川許六

『五老井發句集』(山蔭編)

indexにもどる

 宝永3年(1706年)、刊。最初の俳文選集。李由、去来支考序、許六自序。

 去来の三回忌、芭蕉の十三回忌の記念として、蕭院の『文選』にならい『本朝文選』の書名で刊行、翌年『風俗文選』と改題。

 昭和3年(1928年)10月15日、岩波文庫『風俗文選』(伊藤松宇校訂)刊。

○作者列伝

僧千那者。江州堅田産也。居本福寺。釋名妙式上人。嘗任律師。號葡萄坊。中華蕉門之高弟也。

李由字買年。近州之産也。居光明遍照寺。釋名亮隅上人。嘗任律師。入蕉門而學風雅年久。故著韻塞・篇突・宇陀法師書。病死。年四十五。

支考字盤子。號東花・西花。亦號獅子庵。濃州之産也。 入蕉門。業風雅。一方門人也。先師滅後遊東西南北。説風雅而助諸生。 故往々慕支考風者多矣。中遇居于勢州山田。後歸故國俳書數篇。辨俳諧之論

其角者。武州江戸産也。生醫家醫術。終業俳諧。 寳井氏。號狂而堂。蕉門之一人而後起己一風。著俳書數篇

嵐雪者。服部氏。不何許人。業風雅。遊武江戸。蕉門之高弟也。後別妻出家。

野坡者。越之前州人。生商家。居武江戸。蕉門之學者也。一遊西海其所居。隨師得炭俵之撰號

北枝者加州金澤之人也。業磨業。見蕉翁風雅。北方之逸士也。

涼菟者勢州山田神職之人也。業風雅。初號團友

路通不何許者。不其姓名。 一見蕉翁。聽風雅。其性不實輕薄而長遠師命。飄泊之中著俳諧之書

凡兆者加州之産也。業醫居于洛一。學蕉門之風雅。一罪事不其終處

去來者肥前之産也。後隨兄居于洛陽。向井氏也。中華蕉門之高弟也。號落柿舎。隨師選猿簑。後病死。年五十三。

撰者許六者。江州龜城之武士也。名百仲。字羽官。森川氏。號五老井。別號菊阿佛。 一見蕉翁。得正風躰實。血脉道統之門人也。常友李由俳書數篇

贈新道心辭
   

 世をのがれて道を求むるほとの人は、皆一かどの志しを發して、まことしきつとめどもしあへれど、年を重ねぬれば、又かれこれにひかるゝ縁多く、事繁くなりて、更にはじめの人ともおもほえぬふるまひのみぞ多かる。古人も此の事をいましめて、出家は、出家以後の出家を遂ぐべきよし、勸めはけましぬ。魯九子は、みのゝ國蜂屋の山里にあそびて、いまださかむなる齢のいかなる縁にや、俄に墨の袂に染めかへて、ちりのすみかをかけ出で、山寺にかきこもれるよし、傳へ聞き侍りて、今のこゝろざしの正しきに、なほ後の出家をおこたらぬみさほのほどをねがひて、拙き辭を申しおくりぬ。

   蚊屋を出て又障子あり夏の月

松島
   
芭蕉

 そもそも事ふりにたれど。松島は扶桑第一の好風にして。凡洞庭・西湖を恥ず。東南より海を入て。江の中三里。浙江の潮をたゝふ。七十二峯。數百の島々。欹(そばだ)つものは天を指。 ふすものは波に匍匐(はらばふ)。あるは二重にかさなり。三重にたゝみて。左にわかれ。右につらなる。負るあり。抱るあり。兒孫愛するがごとし。内ふたご。外ふたご。鎧じま。かぶと島。牛島。へび島。内裏島。屏風島。 笆(まがき)が島は。あまの小舟漕つれて。肴わかつ聲々に。つなでかなしもとよみけむ。俤を殘し。末の松山は寺となりて。松のひまひま墓を築く。羽をかはし。枝をならぶる契の末も。終には皆かくのごとしと悲し。 野田の玉川沖の石。宮城のゝ萩。武隈の松猶此境に名をならべたり。鹽がまの明神あり。神前のかな灯籠。文治三年。泉の三郎寄進と記す。雄島が磯は地つゞきにて。雲居禪師の別室のあとに。坐禪石。 瑞岩寺は。相模守時頼入道の建立。當時三十二世のむかし。眞壁平四郎出家して。入唐歸朝の後開山す。 其後伊達正宗再興して。七堂伽藍となれりける。法蓮寺は。海岩に峙(そばだち)。老杉影をひたし。花鯨波にひゞく。松の緑こまやかに。枝葉汐風に吹たはめて。屈曲おのづからためたるがごとし。其氣色ヘイ(※穴冠+目)然として。美人の顔(かんばせ)を粧(よそほ)ふ。ちはや振紙のむかし。大山ずみのなせるわざにや。造化の天工。いづれの人か筆をふるひ。詞を盡さむ。

十八樓
   
芭蕉

○みのゝ國ながら川にのぞみて水樓あり。あるじを賀島氏といふ。稲葉山後に高く。亂左右にかさなりて。ちかゝらず遠からず。 田中の寺は。杉の一むらにかくれて岸にそふ民家は。竹のかこみのみどりも深し。 曝布(さらしな)所々に引きはえて。右に渡し船浮ぶ。里人の行かひしげく。漁村軒をならべて。網をひき。釣をたるゝ。をのがさまざまも。たゞ此樓をもてなすに似たり。暮がたき夏の日も忘るばかり。入日の影も月にかはりて。波にむすぼるゝかゞり火の影もやゝちかく。高欄のもとに鵜飼するなど。誠にめざましき見ものなりけらし。かの瀟湘の八つのながめ。兩湖の十の境も。涼風一味のうちにおもひためたり。もし此樓に名をいはむとならば。十八樓ともいはまほしきなり。

      此あたり目に見ゆるもの皆涼し

曠野集
   
芭蕉

○尾陽蓬左。橿木堂主人荷兮子。集を編て名をあら野といふ。何ゆへに此名ある事をしらず。 予はるかにおもひやるに。ひとゝせ。此郷に旅寐せし。おりおりの書捨をあつめて。冬の日といふ。其日かげ相つゞきて。春の日また世にかゞやかす。げにや衣更着。彌生の空のけしき。柳櫻の錦をあらそひ。蝶鳥のおのがさまざまなる風情につきて。聊(いさゝか)實をそこなふものもあればにや。糸遊のいとかすかなる。心のはしのあるかなきかにたどりて。姫ゆりのなにゝもつかず。雲雀のおほ空にはなれて。無景のきはまりなき。道芝のみちしるべせむと。此野の原の野守とぞなれるべらし。

      元祿二年彌生書

猿蓑
   

○はいかいの集つくる事。古今にわたりて。此道のおもて起すべき時なれや。 幻術の第一として。其句に魂の入されは。夢に夢見るに似たるべし。久しく世にとゞまり。長く人にうつりて。不變の變をしらしむ。五徳はいふに及ばず。心をこらすべきたしなみなり。 彼西行上人の。骨にて人を作りたてゝ。聲はわれたる笛を。吹やうになむ侍ると申されける。 人には成て侍れども。五の聲の別れざるは。反魂の法のおろそかに侍にや。さればたましひの入たらば。アイウエヲよくひゞきて。いかならん吟聲も出ぬべし。たゞ俳諧に魂の入たらんにこそとて。我翁行脚のころ。伊賀越しける山中にて。猿に小蓑をきせて。はいかいの神(たましひ)を入たまひければ。たちまち斷腸のおもひを叫びけむ。あたに懼るべき幻術なり。これをもとゝして。此集を作りたて。猿みのとは名づけ申されける。これが序も。其心をとりて。魂を合せて。去来凡兆のほしげなるにまかせて序す。

銀河
   
芭蕉

○北陸道に行脚して。越後出雲崎といふ所に泊る。彼佐渡がしまは。海の面十八里。滄波を隔て。東西三十五里に。よこおりふしたり。みねの嶮難谷の隈々まで。さすがに手にとるばかり。あざやかに見わたさる。 むべ此島は。こがねおほく出て。あまねく世の寳となれば。限りなき目出度島にて侍るを。大罪朝敵のたぐひ。遠流せらるゝによりて。たゞおそろしき名の聞えあるも。本意なき事におもひて。窓押開きて。暫時の旅愁をいたはらむとするほど。日既に海に沈で。月ほのくらく。銀河半天にかゝりて。星きらきらと冴たるに。沖のかたより。波の音しばしばはこびて。たましひけづるがごとく。腸ちぎれて。そゞろにかなしひきたれば。草の枕も定らず。墨の袂なにゆゑとはなくて。しぼるばかりになむ侍る。

      あら海や佐渡に横たふあまの川

座右
   
芭蕉

○人の短をいふ事なかれ
  己が長をとく事なかれ
      ものいへばくちびるさむしあきのかぜ

丈艸
   

 今歳二月末の四日、月は草庵に殘る物から、禪師身まかり給ひけりと、湖南の正秀が許よりしらされけるにぞ、胸ふさがり涙留めかねつ。つくづく此人のむかしを思ふに、尾張の國に生れ、犬山に仕へて、勇猛の名もありしとかや。一日若黨一人を供し、ひそかに君父の前を忍び出で、道の傍に髮おし切り、K染には引替へられける。常の物語には、指の痛ありて、刀の柄握るべくもあらねば、かく法師にはなり侍ると也。ある人の云へるは、其弟に家録讓り侍らんと、かねて人しれず志ありて、病には云ひ寄せられけるとなむ。其後洛の史邦にゆかり、五雨亭に假寢し、先師に見え初められしより、二疊の蚊屋の内に、頭をおし並べ、四間の火燵の上に、面をさし向けて、吟會多くは此人をかゝず。先師の言に、此僧此道にすゝみ學ばゞ、人の上に立たむ事、月を越ゆべからずとのたまへり。其下地のうるはしき事羨むべし。然れども、性苦しみ學ぶ事を好まず、感ありて吟じ、人ありて談じ、常は此事打忘れたるが如し。先師深川に歸り給ふ頃、此邊の句ども、書集め参らせけるうち、大原や蝶の出て舞ふおぼろ月抔(など)いへる句、二つ三つ書き入侍りしに、風雅のやゝ上達せる事を評じ、此僧なつかしと云へとは、我方への傳へなり。又難波の病床、側に侍るもの共に、伽の發句をすゝめ、今日より我が死後の句なるべし。一字の相談を加ふべからずとの宣ひければ、或は吹飯(ふけひ)より鶴を招かむと、折からの景物にかけてことぶきを述べ、あるは叱られて次の間に出づると、便なき思ひにしをれ、又は病人の餘りすゝるやと、睦まじきかぎりを盡しける。其ふしぶしも等閑に見やり、たゞうづくまる寒さかなと云へる一句のみぞ、丈草出來たりとは、感じ給ひける。實にかゝる折には、かゝる誠こそうごかめ、興を探り、作を求むる暇(いとま)あらじとは、其時にこそ思ひ知侍りけれ。先師遷化の後は、膳所松本の誰彼、たふとみなつきて、義仲寺の上の山に、草庵をむすびければ、時々門自啓、曲々水相逢などゝ打吟じ、あるは杖を横たへ、落柿舎を扣いて、飛込んだまゝか都の子規とも驚かされ、予も彼山に這ひ登りて、脚下琶湖水、指頭花洛山と、眺望を共にし侍りしを、人は山を下らざるの誓ひあり、予は世にたゞよふの役ありて、久しく逢坂の關越る道も知らず。去々年の~無月、一夜の閑を盗み草庵に宿りて、寒き夜やおもひつくれば山の上、と申てこよひの芳話に、よろを忘れけりと、其喜びも斜ならず。更け行くまゝに、雷鳴地に響き、吹く風扉を放ちければ、虚室欲夸閑是寶、滿山雷雨震寒更と興じ出でられ、笑ひ明して別れぬ。身の上を啼くからす哉と聞えし、雪氣の空も再び行きめぐり、今空しき名のみ殘りける。凡十年の笑ひは、三年の恨みに化し、其恨みは百年の悲しみを生ず。惜しみても猶名殘惜しく、此一句を手向て、來し方行末を語り侍るのみ。

      なき名聞く春や三とせの生別れ

古戦場
   
芭蕉

○三代の榮耀。一睡の中にして。大門の跡は。一里こなたにあり。秀衡が跡は。田野になりて。金鷄山のみ形を殘す。先高館にのほれば。北上川南部よりながるゝ大河なり。衣川は和泉が城をめぐりて。高館の下にて大河に落入。康衡等が舊跡は。衣か關を隔て。南部口をさしかため。えびすをふせぐと見えたり。扨も義臣すぐつて此城にこもり。功名一時の叢となる。國破れて山河あり。城春にして草青みたりと。笠打鋪て時のうつるまて涙を落し侍りぬ。
      夏草や兵どもがゆめのあと

東順
   
芭蕉

○老人東順は。榎氏にして。その祖父江州堅田の農士。竹氏と稱す。榎氏といふものは。晋子が母方によるものならし。 ことし七十歳ふたとせの秋の月を。やめる枕の上に眺めて。花鳥の情。露を悲しめる思ひ。かぎりの床ほとりまで。神(たましひ)みだれず。終に更科の句をかたみとして。大乘妙典の臺に隱る。若かりし時。醫を學むで。恒の産とし。本多何某の公より。俸錢を得て。釜魚甑塵の愁すくなし。 されども世路をいとひて。名聞の衣をやぶり。杖を折(くじい)て業を捨つ。既に六十年のはじめ也。市店を山居にかへて。樂む處筆をはなさず。机をさらぬ事十とせあまり。其筆のすさみ。事にこぼるゝがごとし。湖上に生れて。東野に終りをとる。

      入月のあとは机の四隅かな


   
芭蕉

         在奥州市川村多賀城

○つぼの石文は。高さ六尺あまり。横三尺ばかりか。 苔を穿て文字かすか也。四維國さかゐの數里をしるす。此城。神亀元年。按察使。鎮守府將軍。大野朝臣。東人之所置也。 天平寳字六年。參議。東海東山節度使。同將軍恵專美朝臣狩。修造而。十二月朔日とあり。聖武皇帝の御時に當れり。むかしよりよみ置る歌枕。おほく語り傳ふといへども。山崩れ川流て。道あらたまり。石は埋れて土にかくれ。木は老て若木にかはれば。時移り代變じて。其跡たしかならぬ事のみを。こゝに至りて疑ひなき千歳の記念。眼前に古人の心を閲す。行脚の一徳。存命の悦び。羈旅の勞をわすれて。涙もおつる斗になむ。

笠塚の碑
   

江東平田の邑、光明遍照寺の地に、先師芭蕉翁の笠塚あり。十四世の僧某、蕉門に入りて學をつむ事二十餘年、恩は琵琶湖より深く、教へは打出の眞砂より高し。朝には香華を備へ、夕べには句を練つて、推敲を定めむ事を祈る。むかし芳野山にのぼりては、花の明ぼのを見せかけ、竹植うる日は東坡が笠をうらむ。月のあみだ笠に、時雨霰の嚴めしき音を、侘びられたる俤もなつかしとて、死後に此の笠を乞ひうけ、終に土中にこめて、門人各一句をさゝげて、かの塚に同じく納む、世に報恩を殘したる、長崎に尾花塚、深川に發句塚、越中に翁塚、木曾塚は直に遺骨を葬る地なり。されば西行の塚とて、國々に殘したるも、此の類ひならん。あなかしこ。死後の門人、師にまみえぬ事を歎く事なかれ。はやく此の塚に來り。季札が劍をかけて、一句をたてまつらば、生前の門葉にひとしかるべしと、弟子李由字買年謹んでこれを書す。

西行上人像讃
   
芭蕉

○すてはてゝ。身はなきものとおもへども。雪のふる日は。
      さふくこそあれ。花のふる日は。
      うかれこそすれ。

日蓮上人報書
   

○新麥壹斗。たかむな三本。油のやうな酒五升。南無妙法蓮華經と回向いたし候。

森川許六に戻る