立子句碑

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『句帖』

昭和15年(1940年)

 六月二十八日。鎌倉俳句会。藤沢遊行寺

  山門は古くよりなく夏木立

  噴水や思ひだんだん映るまゝ

  奥の間の梅雨の畳の波うてる

 八月十一日。函館・晴子居にて。

  ハンカチを干せばすなはち秋の空

  秋風や夜まで庭に働ける

 十一月二十九日。詩仙堂

  枯れて行く黄菊は茶色白は黄に

  散紅葉水堰く如く流れざる

  堰きとめし水の紅葉の一葉たまに

  つまりたる水の紅葉に流れあり

 十一月十六日。玉藻吟行句会。靖国神社

  母らしき布子の媼拝みゐる

昭和16年(1941年)

 二月二十四日。柴又・帝釈天・川甚にて。

  春宵や仕事終へたる人ばかり

  川甚の夕餉の煙枯木中

  三人の一人下萌恋ひ離れ

  草萌の江戸川堤かく下りて

 夕方、旅立つた父から電報が届いた。

  旅のわれ病院の汝明易き      虚子

 五月三十一日。鎌倉病院。

たゞ暑しグロキシニヤといへる花

 大阪の父から電報が来る。

  ねむること大事の旅や明易き    虚子

 六月一日。雨が降つてゐる。本当なら今日は退院する
つもりの日だつたのにと思ひながら雨を見て暮す。又看
護婦が電報を受けとつてにこにこしながらもどつて来る。

  燈台の燈を涼しともかなしとも   虚子

 十月十二日。上野・清水堂

  昨日より少し落ちたる秋日和

昭和17年(1942年)

 九月二十六日。田端大竜寺の子規の墓に詣る。

  供華のなか雁来紅を主に挿して

 九月二十八日。玉藻句会。淺草・伝法院

  見る見る間秋日うするゝ萩葎

  われ静まれば数へきれなく蜆蝶

  秋風や淺草いつも祭めき

昭和18年(1943年)

 三月二十九日。風早・西の下

  強東風になびき伏す麦なつかしみ

  今日は昨日のつゞき防風つみ

  春日濃しいざなはれつゝ又歩く

  ひざまづき拾ひてみたり松ぼくり

  防風のありと手招く人遠く

 五月十一日。比叡山延暦寺に渋谷慈鎧師を訪ふ。藤は
少し盛りすぎたれど日当る方は紫濃く美し。

  御僧をなつかしみ訪ふ若葉風

 十一月十四日。上野より乗車。

 十一月十五日。金津より乗換、三国へ。車中。

  久しぶり晴れわたりたる刈田かな

 十月十八日。金沢。仙宝閣・佐野舞台・兼六公園・第三兼隣館。

  秋水に手ばかり見えて濯ぎをり

 同日。夢香東山・金閣

  旅にゐて今宵しみじみ夜の秋

 十一月十四日。上野より乗車。

 十一月十五日。金津より乗換、三国へ。車中。

  久しぶり晴れわたりたる刈田かな

 森田愛子居。九頭竜川に面した二階間。

  次の間の北窓障子風が鳴る

 永平寺十一時著。吉田邸。志比谷村。翠雲堂にて句会。

  滝の前過ぎて橋あり渡りゆく

 道元禅師の承陽殿。

  七堂や杉に紅葉にうづもれて

 十一月十八日。山中温泉・よしのや。愛子の母が踊る
「不思議やな」の虚子の句。

  時雨中馬車自動車と別れ乗り

  大岩のまこと静かに時雨れをり

  黒塗の突きあげの上の散紅葉

  濃紅葉もよけれど雑木紅葉かな

 十一月十九日。京都・柊屋へ。

 十一月二十日。大阪芭蕉二百五十年忌。

 十一月二十一日。膳所無名庵。芭蕉は幻住庵にあそん
だ頃この庵に住んだこともあつた。

 十一月二十三日。伊賀上野、友忠旅館。

  いはほ酔ひ素逝しはぶく宿りかな

  寒き夜や虚子まづ飲めば皆酔へり

 蓑虫庵

  石蕗少しさかり過ぎゐし庵を訪ふ

昭和19年(1944年)

 四月二日。あふひ忌。墓地より善光寺へ。

  藁の軒桜月夜も小淋しき

 八月二十七日。鎌倉俳句会(高木良一送別会)。笹
目。

  新涼の手紙はかどり用片づけ

 九月四日。濱一家小諸へ移住。

 十月五日。小諸俳人小会。小諸林檎園。高木晴子居。

昭和20年(1945年)

 三月末、早子を連れて小諸に疎開。

 六月二十八日。宮坂古梁主催句会。懐古園・山城館。

  熱き茶を飲めばすぐ消ゆ程の汗

  その中に噂の人も居て涼し

  梅雨明けしならん木々照り草そよぎ

 九月二十二日。姨捨吟行。

  姨石を濡らす雨かな月を待つ

  秋風や姨石に目を見はりたる

  思ひきや今年の月を姨捨に

 九月二十三日。同前。

  更級の月に二日の旅たのし

 同。塩崎村・稲荷山の長谷寺

  秋雨やはなはだ大いなる御寺

 十一月六日。西山泊雲墓参の旅へ。三国港。森田愛子
居。

  炬燵より時雨るゝ窓は遠くあり

  いつせいに何見る人等時雨窓

  主客あり即ち時雨愛であへる

  雨あしを指して吹雪の時のこと

 同日。午後瀧谷寺吟行。

  大いなる落葉の山を焼きし跡

  風邪の友いたはる心振り返る

  境内の明るく桜落葉敷き

  湿りたる落葉掃く音はじまりぬ

昭和21年(1946年)

 八月三十一日。明見村・柏木白雨宅。

  なつかしきひそかな花とがんぴ見る

  美しと見たる其処にも花がんぴ

  呼ばれ立つ心残して花がんぴ

 九月一日、ホトトギス六百号記念山梨俳句会。富士山麓下吉田
町・月江寺

  吾亦紅瓶にさしつゝ首かしげ

  すぎし夏思ひ出せなく泉べに

 九月二十日。秋田へ。みづほ。素十、句一歩、春霞、
天白、実花、立子、虚子。

  ゆくてなる何かけはしき秋の雲

 九月二十二日。ホトトギス六百号記念秋田俳句会。
秋公園
二の丸松下亭にて。

  野菊叢近づけば蓼もおほばこも

 九月二十三日。ホトトギス六百号記念能代俳句会。金勇倶楽部にて。

  きさゝぎの実の話へと又もどる

  草の実のつきし袂に気づきつゝ

  目つむればそのまゝねむし昼の虫

 十月十六日。罹災したあとに建てゝゐたの家が小ぢ
んまりと出来上つた。まだ襖が間に合はない丈でこの頃
建てた家の中ではおそらく立派な家だと思ひながら昨夜
寐たが、今朝起きて見て灯の光と違ふ日光の下で見ても
立派な美しい小家であつた。今日はその庵開きの句会が
ある。京間といつて関西の方の疊は東京の方のより大き
い。為に六畳も十畳位に見える。午後になると続々と会
の方々が見える。

 中村公園では大勢の人達に交つて俳句をつくつた。相
変らず挨拶の為に落ちつけなかつた。

  わが心いつ落ちつくや蜻蛉群れ

  寄りて来る人笑みまつや秋日濃し

 その夜、得月でたのしい晩餐会があつた。

 十月二十二日。朝から雨が降り出してしまつた。宿の
名の大きく書いてある番傘を夫々二人づゝさし合つて、
近くの秋宮へ参詣に出かけた。秋雨といふ感じがしみ
じみとした。この秋宮は諏訪神社の下社であつて、春宮
といふ上社は別のところにあるとのことであつた。小高
い社の境内から、今日も又諏訪湖を見下ろすことが出来
た。塩尻峠から見下ろした諏訪湖は全体が見えたけれど
此処からは一部分ながら美しい眺めであつた。

  秋雨の諏訪湖見下す最合傘

  鴨わたる湖面すれすれ又わたる

 十月二十四日。小諸草庵で寄り合つた人達で句会をする。

  肌寒の火に手かざして思ふこと

  ゆくりなく集ふ人数や暮の秋

     和田峠三句

  紅葉よし連に見せ度く指さしぬ

  東餅屋西餅屋とて紅葉狩

  頂は紅葉なくなり霧込めぬ

 父の句に

  日を受けて龍田姫ある山紅葉   虚子

といふのがあつて感心した。

 予定の時間と少しも変らず、高松著。出迎への自動車
をもつて深川正一郎、合田丁字路両氏が見えてゐた。一
路琴平へ。合田さんのさくら屋に泊る。

 十一月十日。琴平詣。父は準備されてあつた籠に乗る
とのこと。はじめのうちは私等と一緒に何段もの尽きる
ことのない程の石段を登りはじめる。

 丁度この日は紅葉祭といふ祭がある日であつた。もみ
ぢまつりといはないでもみぢさいと人々は呼んでゐた。
本殿の参拝を終へて下りはじめて、殆んど中頃位まで来
た時に、行列は下から登つて来るところであつた。神官
たちはみな頭に紅葉をさしてゐるのが風情があつた。

  次々と人登り来る宮紅葉

  人散るや紅葉祭をまち顔に

  石段の半ばに憩ふ宮紅葉

  ゆくりなく紅葉祭に来あはせぬ

 行列を見送つて、石段の途をそれて坂道を下る。

  坂道や山茶花垣に曲りゆく

 十一月十一日。多度津、二時十四分発で松山へ。道後
鮒屋
に投宿。おはるさん、さかえさん達健在。お神さん
少し年をとつた風だが健在。お嫁さんに初対面。松山市
内は面影もなく変つてしまつてゐたが道後はなつかしい
昔のまゝであつた。

 十一月十二日。父と兄は俳諧文庫の用で朝から出かけ
る。私は石手寺へ。いつも遍路の多い春に来てゐた石手
の感じと又違つた静かさを覚える。

  石手寺の塔見えて来し柿紅葉

  石手寺は石蕗の花咲き人稀に

  団栗にうたれつ踏みつ詣りけり

  団栗の一つ落ちまた二つ落ち

 その夜、北持田の酒井黙禅居へ。父より少し年上の小
川老人が父に逢ひに来られる。早速父と二人次の間で謡
ひが始まる。私達は俳句を作る。

  謡ひゐる隣の部屋の夜長かな

  長き夜や今後ジテとなる江口

 小川さんの若々しい声が耳に残る。一足さきに帰つて
行かれる小川さんが父とかたい握手を二度される。

 十一月十三日。松山の句会は子規堂の再建された
宗寺
であつた。焼あとの池内家と、濱家の祖先の墓
参からお築山のなつかしい祖父母伯父伯母達の墓参をす
ませて会場に向ふ。

 鳴雪翁の髭塚と子規居士の埋髪塔丈がもとのまゝでわ
づかに以前の正宗寺であつたことが偲ばれるのであとの
様子は想ひ出せない程変り果てゝゐた。

 建直つたとはいふものゝ子規堂はまだ敷居がないとこ
ろに疊を今日の為に敷いた形の程度のものであつた。私
達はバラツク建の本堂に入つて句会をした。柳原極堂
と父が並びそれにつゞいて皆居流れるやうに座についた。

 菊の席題出句。

  菊日和とはいへずとも祝ふべし

 血の池地獄はずつと見おとりがした。ルビーポンドと
説明するのですといふ。ルビーとは大分違ふ鉄褐色のい
やな色の池である。

  小春なる海地獄見て来し目には

 自動車は今日の吟行地である聖人ケ浜へ。感興なし。

 玉藻句会といふので、女の方ばかり二十余名の人が集
る。同行の方達は別室に。父に出席を願ひ私達女丈父を
かこんで、なごやかなうちに心のこもつた句会を進める。
その時の女の方達の俳句を記録出来なかつたことは惜し
かつた。次いで別室の一行句会を済ませる。

  美しき菊日和かな皆縁に

 夜になつて、博多駅に著く。一行は夫々の宿へ。私た
ちは鷹の巣の貝島邸へ。

 父と兄は午前中からある講演会へ。又私たち三人は角
菁果、杏子のお二人に案内を願つて都府楼趾を見に雨を
ついて出かける。

  山茶花の美しかりし都府楼趾

  冬雨のつのるばかりよ軒庇

  都府楼趾淋しき冬の雨が降る

  点々とある礎石見て時雨見て

 太宰府へは行くことをやめて観世音寺へ。

  草紅葉静かに牛車ゆかせつゝ

  遠目にも観世音寺の時雨れをる

  戒壇院の額に日あたり時雨れをり

 戒壇院の裏手に玄ムの墓がある。

 戒壇院の尼さんをちらと見かけたがすぐに引つ込んで
しまふ。観世音寺はすぐ隣にある。お坊さんが堂内を案
内してくれる。国宝の鐘をついてくれる。

  鐘つけば雨だれの音(ね)と落葉の音(ね)

 鐘の音が雨だれのやうにも落葉する音のやうにも思へ
てきこえた、といつてみたのだが。

 本当に美しい音であつた。

  鐘つきし余韻消えゆく山紅葉

  十一月十八日。嘉太櫨居。

  末枯に立ちて偲べば吾(わ)も恋し

 午前、秋月城址

  紅葉濃し父恋ふ父の杖をつき

 午後、柳川。立花伯邸・松濤園にて。

  語りつゝ磴のぼりゆく紅葉冷え

 十一月十九日。ホトトギス六百号記念久留米俳句会。

  広々と筑後川あり末枯るゝ

 十一月二十日。豊後中川・慈恩の滝。

  紅葉中慈恩の滝といはれ落つ

 由布院・山水閣で小句会。

  芒山ばかりわがゆくこの山も

  これがこの由布といふ山小六月

三時三十分発。にしき丸。

  思ひ出の旅袷なる旅衣

 十一月三十日。高崎・成田山光徳寺。実花、はん、小
蔦、句一歩。

  紅き色少しはげたる冬紅葉

  襟巻をして羽織着て心やす

 十二月一日。ホトトギス六百号記念北関東俳句会。高
崎・宇喜代。

  庭焚火見つ僧坊にいざなはれ

 十二月四日。ホトトギス六百号記念鎌倉俳句会。北鎌
倉・東慶寺

  銀屏に今日はも心定まりぬ

昭和22年(1947年)

 三月三十日。和歌浦口下車、海苔干を見ながら紀三井
吟行。

  初花や薄日さしつゝ雨ほつと

  太幹にましろに一花初桜

  蕾率て花ほつほつと初桜

 四月二十日。衣笠城趾吟行。

  谷深き遠鶯にひとり笑み

  雨ほつと折から野路のたんぽゝ黄

 八月二十四日。懐古園

  あつけなき夕立なりしよ茄子トマト

  鶏小屋の鶏見えず大夕立

 八月二十九日。戸隠山

  麻負ひて里の乙女等雷一つ

  花芒剪りし跡あり芒叢

昭和23年(1948年)

 四月五日。自動車で名古屋へ。山口誓子宅に寄り、大
一ホテルに著。中食後、名古屋玉藻句会。名古屋ホテル。

  山吹のまさをなる葉に黄点点

  初蝶を見しといふことのみつげぬ

 同夜。

  春の夜の気おくれごとの門たたく

 四月六日。名古屋から近鉄で二見浦へ。朝日館著。



 夕食の前に父の句碑のあるところまで歩いて行つて見
ようと、大分乗り疲れのしてゐる身体を運動がてら地獄
温泉(?)の方へ歩いて行く。土が白つぽくなつて来る
と、見広けた山裾の方に土色をした別府の坊主地獄のや
うな熱湯の池が見下ろせて来た。句碑はそのさきの方に
あつた。青々とした大木にかこまれて「囀や絶えず二三
羽こぼれとび
」といふ俳句が石にきざまれて建つてゐた。

三四十分もたつて漸くカルルスに著いた。先著の人々は
驚ろき又よろこんで父を迎へてくれた。私は又帰りのこ
とばかり心にかかつてゐたが、登別と全く反対な静寂な
鄙びた自然のこの温泉に父は勿論、私も来てよかつたと
想つた。風が冷たい。埃がない。人が少ない。何もかも
気に入る。

  蔓でまり見に行く行にすぐ交り

  つるでまり誘はれ歩きして此処に

 松蝉が鎌倉あたりで聞く法師蝉に似通つた鳴きかたを
する。このカルルス温泉は頭の悪い人によい温泉である
とかで、そんな風な若い女の人をちらと見かけてもの淋
しい心持がした。

 六月十七日。朝、九時半に宿を発つ。先日来た道をも
どつてゆく。安浦を過ぎて白老村に著く。真証寺といふ
お寺に一休みして中食。汽車で著く一行と其処に落ちあ
つて中食後を白老の海岸に出て見る。寒い雨が降りはじ
めてゐた。風も吹き、とても我慢の出来ないやうな寒さ
になつて来た。

 句会の始まる頃、そろそろと晴れて来た。湖のむかふ
全体は無理だつたが恵庭、風不死といふ山々が教へられ
るまゝに眺められる。湖上には舟も出はじめてゐた。

  鱒釣れし様ありありと遠眼鏡

 ぼつぼつと俳句を作る人達が郵便局の方へも見えて来
て一時賑やかになる。私共も外に出て暫らく俳句を作る。

 六月十九日。中島公園

  かたまりて落ちし柳絮に土硬し

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