2007年神奈川

光明寺〜 桜 〜
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鎌倉市材木座に光明寺がある。


天照山蓮華院光明寺(HP)浄土宗の大本山。

関東十八檀林のひとつである。

寛元元年(1243年)創立と言われている。

明応4年(1495年)、光明寺で「十夜法要」を行うことが勅許された。

以来五百余年の間、毎年10月に厳修されている。

光明寺総門


寛永年間(1624−28)に再興。鎌倉市指定文化財。

総門はお寺の入り口。

光明寺山門


弘化4年(1847年)、山門再築。

 山門を入ることは、お寺の聖域(浄界)に入ることで、仏道に入るという覚悟がなくてはならないそうだ。

私は仏道に入るという覚悟もなく、桜の写真を撮りに来たのである。

境内は桜が満開。


 永正6年(1509年)12月5日、宗長は光明寺の塔頭慈恩院を訪れている。

 今月五日、天源庵に立ち寄りて侍りし。修理の事申し合はせなどするほどに、浄光明寺の中、慈恩院にして、

   風や今朝枝にとををの松の雪


光明寺は内藤家の菩提寺。

内藤風虎・露沾の墓所があるそうだ。

大殿の前に桜の古木。


大殿には本尊阿弥陀三尊が祀られている。

元禄11年(1698年)の建立。

国指定の重要文化財。

桜をアップにして撮ってみた。


 寛保3年(1743年)10月14日、佐久間柳居は光明寺で一夜を籠もっている。

其夜は光明寺にこもる参詣の老若男女いく同音に御名を唱れは由比の浪も是に響きをそへ十四夜の月百八の灯火かゝやきあふて並居たる人の面も金色となれりひとへに蓮華台上に遊ふか如し

海女の手も抹香くさき十夜哉   柳居


 延享2年(1745年)10月15日、白井鳥酔は光明寺を訪れている。

乙丑(延享2年)孟冬十五日夜、そこの国へ行脚の頃、晩成・雨竹両士にそゝなかされ、鎌倉の夜歩行して三章
大仏
白毫は舎に冴て星の中
光明寺
今はまく青砥の銭も十夜かな
鶴ケ岡
仰向は高し霜夜の鶴か岡


 寛延元年(1748年)、布袋庵柳几は鎌倉光明寺で「十夜法要」。

   鎌倉光明寺にて

猟師まて誓ひの網の十夜哉


 昭和4年(1929年)10月、荻原井泉水は鎌倉の泉ケ谷から光明寺の裏山の大聖閣に移る。

 昭和11年(1936年)4月4日、山頭火は鎌倉を散歩して光明寺を訪れている。

 四月四日 晴。

かたじけなくも、もつたいなくも、朝湯にはいつてから朝酒をいたゞく。
蜻郎君来訪。
三人連れで散歩、光明寺大聖閣、’’’’幡宮、建長寺、円覚寺、長谷の大仏。……
冬青居徃訪。
夜は南浦園で句会、支那料理がおいしかつた。
まことによい日よい夜であつた。


 昭和15年(1940年)5月24日、高浜虚子は光明寺で鎌倉俳句会。

風折々汀(みぎわ)のあやめ吹き撓め

      五月二十四日 鎌倉俳句会。材木座光明寺。


 昭和23年(1948年)10月、久保田万太郎は光明寺の十夜法要を修す。

   光明寺の十夜法要は陰暦によらず、十月の半
   ばこれを修す。

柿の苗うる店ばかり十夜かな

『流寓抄』

 昭和25年(1950年)12月24日、高浜虚子星野立子と光明寺で玉藻句会。

霜の菊讃へて未だ剪(き)らずをり

      十二月二十四日 玉藻会。光明寺。

『六百五十句』

霜の聲聞ゆるあなたこなたかな

玉藻句会。光明寺。がたがたの古寺であるけれど広々としてゐて気楽な寺である。庭に大池があり、廻廊をきしませて通るあたりは中々よい景色である。「大伽藍聳ゆる上の冬の雲」当日光明寺を詠んだ句もある。

『虚子一日一句』(星野立子編)

 十二月二十四日。鎌倉玉藻句会。材木座の光明寺で中々大勢の集りとなつた。榾と霜の兼題もあり寒いので外に出ずにゐる。

  霜の夜のどこまで冷ゆるわが身かな

  夜々そだつ霜に此処なる生活あり

  北風に立つ我に人ものみだか

  我為さねば片づかぬとや寒きこと


 昭和30年(1955年)、水原秋桜子は光明寺を訪れている。

   鎌倉光明寺

堂後なる紅梅にほふしづけさよ

長谷の山くらく梅苑をしづめけり

『玄魚』

光明寺の塔頭に千手院がある。

2007年神奈川