旅のあれこれ文 学


吉井勇ゆかりの地

『五足の靴』 ・ 吉井勇の歌

 明治40年(1907年)7月28日から8月27日まで、与謝野寛北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、平野万里の5人で九州西部を中心に約1ヶ月の旅した。

 昭和8年(1933年)、吉井勇は妻と離別。

 昭和9年(1934年)11月、土佐に入り猪野々(香北町)に廬(渓鬼荘)を結んで隠棲。

 昭和11年(1936年)、琴平、多度津、丸亀、高松などに遊んだ。

 昭和11年(1936年)6月8日、下関から門司に渡る。10日、高浜虚子が欧州旅行の帰途、関門海峡を通過する。

 昭和12年(1937年)、高知市へ転居。

 昭和13年(1938年)10月、吉井勇は土佐から京都に移る。

 昭和20年(1945年)2月、富山の八尾町に疎開。

 昭和35年(1960年)11月19日、没。



家ごとにリラの花咲き札幌の人は美しく生きてあるらし

大通公園(北海道札幌市)



夏は来ぬ相模の海の南風にわが瞳燃ゆわがこころ燃ゆ

鎌倉文学館(神奈川県鎌倉市)



君のする古陶(ふるすえ)かたり聴きてゐぬ越の旅籠に春を待ちつゝ

城ヶ山公園(富山県富山市)



吾もいつか越びとさびぬ雪の夜を八尾の衆と炉端酒酌む
この町のとりわけひとり善人の秋路笛吹く月夜あかりに
山の町秋さびし町屋根の上に石のある町八尾よく見む

城ヶ山公園(富山県富山市)



雪ふらばあはむと君に雪ひたるその山代に雪ふるといふ

真菰が池(石川県加賀市)



日野嶽の雪を詠みたる紫女の歌ながく残らむことをこそ祈れ

紫式部公園(福井県越前市)

鞍馬寺

(京都府京都市)

師弟愛之像


かく大き愛の姿をいまだ見ずこの群像に涙しながる

知恩院(京都府京都市)



かにかくに祇園はこひし寐(ぬ)るときも枕のしたを水のながるる

祇園白川(京都府京都市)



洛中の五色の辻は家居してみ祖の業をいまにつたふる

三條衣棚(京都府京都市)



渓仙の墓をもとめて言葉なくわれらのぼりゆく落葉のみちを

二尊院(奈良県奈良市)



宝暦のむかしの夢は見は見つれ夜半の投節聴くよしもなし

歌舞練場記念碑(京都府京都市)

角 屋

(京都府京都市)



日野嶽の雪を詠みたる紫女の歌ながく残らむことをこそ祈れ

紫式部公園(福井県越前市)



島々の灯ともし頃をゆるやかに生名渡しの船は出づらし

土生港(広島県尾道市)



萩に来てふとおもへらくいまの世を救はむと起つ松陰は誰

吉田松陰誕生地(山口県萩市)



うつくしき螢の群のかゝやきをこのうつし世の光ともかな

良城橋(山口県山口市)



大いなる船ほうほうと汽笛ならし馬関海峡暮れにけるかも

細江町(山口県下関市)



金刀比羅の宮はかしこし船ひとか流し初穂をささくるもうへ

金刀比羅宮(香川県仲多度郡琴平町)



西山の御寺の秋の深うして弘安の鐘のおとのさやけさ

西山興隆寺(愛媛県西条市)



義経の鎧まばゆし緋縅の真紅の糸もいまが燃ゆがに

大山祇神社(愛媛県今治市)



大伊豫の友國の湯にひたりつゝほのほのとしてものをこそおもへ

権現温泉(愛媛県松山市)



陶ものに旅の歌なと書きつくる砥部風流もおもしろきかな

陶芸創作館(愛媛県伊予郡砥部町)



空海をたのみまゐらすこゝろもてはるばる土佐の國へ来にけり

室戸岬(高知県室戸市)

吉井勇の歌碑巡り

猪野々(高知県香美市)



寂しけれは御在所山の山櫻咲く日もいとゝ待たれぬるかな

吉井勇記念館(高知県香美市)



大土佐の海を見むとて うつらうつら桂の浜にわれは来にけり

桂浜(高知県高知市)



旅籠屋の名を川丈といひしことふとおもひ出てむかし恋しむ

川丈旅館(福岡県福岡市)



大宰府のお石の茶屋に餅くへば旅の愁ひもいつか忘れむ

太宰府天満宮(福岡県太宰府市)



長崎の鴬は鳴くいまもなほしゃかたら文のお春あはれと

聖福寺(長崎県長崎市)



おほらかに稲佐の嶽ゆ見はるかす海もはろはろ山もはろはろ

稲佐山(長崎県長崎市)



水きよき本明川のほたるにも小さきいのちのありていとしも

諫早公園(長崎県諫早市)



雲仙の湯守の宿にひと夜寝て歌などおもふ旅づかれかも

雲仙温泉(長崎県雲仙市)



白秋とともに泊りし天草の大江の宿は伴天連の宿



ともにゆきし友あらず我一人老いてまた踏む天草の島

大江天主堂(熊本県天草市)

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