昔の温泉

和倉温泉「加賀屋」

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 関越自動車道藤岡JCから上信越自動車道へ。上越JCから北陸自動車道へ。小杉ICで国道472号を通り、県道58号に入る。国道8号に出てから国道160号で七尾へ。七尾から国道249号で和倉温泉へ。


 昭和24年(1949年)4月27日、高浜虚子は和倉温泉加賀屋で句謠会。午後、輪島へ。

家持の妻戀舟か春の海

能登言葉親しまれつゝ花の旅

      四月二十七日。加賀屋にて句謠会。素十、櫻坡子来り会す。
      午後輪島に行き鳳來館泊り。

『六百五十句』

 昭和31年(1956年)10月27日、水原秋桜子は和倉温泉「加賀屋」に泊まっている。

   和倉温泉加賀屋に泊る。二十七日

能登島の横雲明くるわたり鳥

『玄魚』

一度は泊まってみたい、話題の和倉温泉「加賀屋(HP)」に3連泊。


女将が挨拶にやって来た。テレビでは見るが、こんなことは初めて。

能登島を見ながら、お風呂に入る。

 3泊目の夕食は、「お好きな物を」と言うので、「夏牡蠣が食べたい」と言うと、「参ったか」と言うような、立派な夏牡蠣が出た。

温泉街の弁天崎公園には佐々木信綱の歌碑がある。


うた人の国守巡り見し日にも山きよらに海しづかなりけむ

大伴家持を偲んで詠んだものだそうだ。

昭和31年(1956年)9月、和倉温泉観光協会・七尾短歌会建立。

東風(あゆのかぜ)いたく吹くらし奈呉の海女の釣りする小舟漕ぎ隠る見る

『万葉集』(巻17) 天平20年(748年)春

大伴家持が和倉を旅したとき詠んだ歌だという。

和倉温泉から、能登半島先端のよしが浦温泉「ランプの宿」へ。

次の日は金沢郊外の湯涌温泉の新総湯「白鷺の湯」へ。

 竹久夢二は大正6年9月24日から翌10月15日まで生涯の恋人彦乃と湯涌温泉に滞在した。

 朝宿を出る時、飴を一袋くれる。飴をなめる習慣はないが、飴の袋はちょっとしたお土産になった。

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