下 町北 区
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渋沢資料館〜「曖依村荘」跡〜

 北区西ヶ原の飛鳥山公園内に旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫)があったので、立ち寄ってみた。

 国指定重要文化財(建造物)

旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫)

 飛鳥山公園の南側一帯には、日本の近代経済社会の基礎を築いた、渋沢栄一の自邸が所在していました。現在、敷地は飛鳥山公園の一部になっていますが、旧邸の庭園であった所は「旧渋沢庭園」として公開されています。

 渋沢栄一は明治34年から昭和6年に亡くなるまでの30年余りをこの自邸で過ごしました。当時の渋沢邸は現在の本郷通りから「飛鳥山の3つの博物館」に向かうスロープ付近に出入り口となる門があり、邸内には、和館と洋館からなる本邸の他、茶室や山形亭などの建物がありました。残念ながらこれらの建物は昭和20年の空襲で焼失してしまい、大正6年竣工の「晩香廬」と大正14年竣工の「青淵文庫」この2棟のみ、「旧渋沢庭園」内に現存しています。「晩香廬」は、渋沢栄一の喜寿の祝いとして、「青淵文庫」は傘寿と子爵への昇格の祝いとしてそれぞれ贈呈されたものです。どちらの建物も大正期を代表する建築家の一人で、清水組(現清水建設)の技師長を務めた田辺淳吉が設計監督しています。当時の世界的なデザイン・美術の運動の影響を受けた建築であることが評価され、平成17年。「旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫)として2棟が重要文化財(建造物)に指定されました。

東京都北区教育委員会

渋沢資料館


飛鳥山公園は初めてなのである。当然、渋沢資料館(HP)も初めてである。

 昭和6年(1931年)11月11日、渋沢栄一は満91歳で没。

 昭和8年(1933年)1月12日、財団法人渋沢青淵記念会が誕生。

 昭和8年(1933年)4月23日、青淵先生の遺言により、渋沢家から曖依村荘を受贈。

 昭和8年(1933年)10月11日、曖依村荘庭園の公開を開始。

 昭和11年(1936年)8月2日、高浜虚子は武蔵野探勝会で旧渋沢邸を訪れている。星野立子同行。

 目的の地は西ヶ原一里塚旧渋沢子爵邸とある。この日天気晴朗なれども風強し。

   種物屋ありしと覚ゆ一里塚   椎花

流石に椎花翁は我徒の長老である。一里塚の地理や地境の変遷など中々よく心得て居られるものと見える。併し乍ら、自分共には種物屋の存否などは考慮の内になかつた。案内状示す所に従つて、市電一里塚の停留所で下車して見廻せば、すぐ眼前にあるだらだら登りになつた大きな門構、これに相違なしと尋ねもせず登つて行けば、果して渋沢栄一旧邸の大標柱が植込の中に立つてゐ。門柱には『暖依村荘』と表札が打つてある。門内には相当広い前庭があつて、三四人の女がしきりに草を刈つて居る。玄関前の空には合歓の花が咲き、地上には松葉牡丹が余り多過ぎずに、程よきばかり花をあげてゐるのも心地よい。

(中 略)

   書 院

明治三十四年以来内外ノ賓客ヲ請シテ饗宴ヲ催サレシ処ナリ

 一大横額がかゝつてゐる。青淵先生と因縁浅からぬ、徳川十五代将軍一ツ橋慶喜公の揮毫にかゝるものである。

曖 々 遠 人 村   依 々 墟 里 煙

 明治三十四年応渋沢氏需

慶 喜 書

とある。曖依村荘の由来蓋しこの一篇に基くものであらう。同時に又明治三十四年の頃、このあたりはなほ人村遠く里煙墟しかつたことが想像せられ、椎花翁にあらずとも今昔の感に堪へざるものがある。

『武蔵野探勝』(暖依村荘)

陶淵明の詩「帰園田居・其一」の一節である。

曖依村荘は「曖曖たり遠人の村、依依たり墟里の煙」から命名した。

八月二日。武蔵野探勝会。王子。旧渋沢邸。

 黒蝶に縞蝶出でゝつともつれ


 八月二日。武蔵野探勝会。飛鳥山の旧渋沢子爵邸(曖
依村荘)へゆく。

 本郷台を一眺の緑に立つて涼風に吹かれ立つてゐたの
はいゝ気持だつた。一寸嵐めいた風が吹いてゐるその中
に蝶々が面白く飛ぶ。埃が立つ筈の相当な風もこの高台
では木の葉を吹き落す丈で、見下ろす夏の街々の蒙々と
する白い埃からは別世界だつた。

  帰らねばならぬ用あり昼の虫


 昭和20年(1945年)3月16日、曖依村荘を政府に寄贈。

 昭和20年(1945年)4月13日、空襲により曖依村荘内の建物を多く焼失。

ホールの渋沢栄一像


 昭和31年(1956年)11月10日、竜門社(現:渋沢栄一記念財団)創立70周年を記念して渋沢栄一像を設置。堀進二制作。

 昭和53年(1978年)3月27日、堀進二死去、享年87。

 昭和57年(1982年)、曖依村荘跡に渋沢資料館設立。

入口の渋沢栄一像


小倉右一郎制作。

 平成9年(1997年)、渋沢資料館本館新築。「渋沢栄一像」を現在地に移動。

 令和2年(2020年)3月28日、渋沢資料館がリニューアルオープン。

 令和3年(2021年)2月14日、大河ドラマ『青天を衝け』放送開始。

思いのほか、入場者が多かった。

晩香廬へ。

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