2023年東 京

和田堀廟所〜中村汀女の歌碑〜

京王線明大前駅下車。

杉並区永福に築地本願寺和田堀廟所がある。


築地本願寺 和田堀廟所

 当廟所は、浄土真宗本願寺派(西本願寺)に所属する築地本願寺の分院で、阿弥陀如来立像が本尊として安置されています。

 大正12年(1923年)9月1日の関東大震災によって、築地本願寺は、寺中57の子院と共に、焼失しました。その再建については、他に移転の議もありましたが、結局現地復興となり昭和10年(1935年)インド様式の大本堂の完成を見ました。墓地については、他に移転することにしていたところ、陸軍省火薬庫跡であった当地が払下げられることになり、昭和4年(1929年)出願が許可され、翌5年当地を所有し、地名にちなんで和田掘廟所と名付けました。

 12,000坪(39,600平方メートル)の広さを有し、富士が望める閑静な近代的公園墓地として注目されました。

 ところが昭和20年(1945年)5月25日、空襲により建物はことごとく焼失しました。しかし、幾多の困難の中バラック建の仮本堂を建てて宗教活動を続けました。ようやくにして同28年、本堂が再建され、更に門信徒会館等が建てられ今日に至っています。

 墓地には樋口一葉九条武子海音寺潮五郎古賀政男・水谷八重子・服部良一等著名人の墓があります。また、明暦の大火(1657年)で焼失した築地本願寺(当時は浜町御坊)の再建に力を尽くした佃島の人々の墓地があり、その佃島の祖先33名の由来が書かれた石碑も建てられています。

杉並区教育委員会

九条武子の墓


九條武子夫人

 九條様は、明治20年10月20日、本願寺第二十一代明如上人の第6子としてお生まれになりました。

 兄光瑞氏が第二十二代門主になられてから積極的に婦人会活動、社会福祉活動に従事されましたが、昭和3年2月7日、お念仏を称えながら42歳の生涯を終られました。

 毎年2月7日には、如月忌と称して全国の仏教婦人会々員による婦人を偲ぶ法要が勤まります。

 また、歌人としても有名で、主著『無憂華』は、多くの人に読まれています。

   おほいなるものゝちからにひかれゆく

      わがあしあとのおぼつかなしや

樋口一葉の墓


中村家の墓域に中村汀女の歌碑があった。


雪しづか
 愁なしとは
 いへざるも

出典は『紅白梅』。

昭和38年(1963年)の句である。

碑 陰

   中村汀女
淳風院釋尼汀華
 汀女(破魔)昭和六十三年九月二十日歿
             行年八十八才
昭和三十三年 熊本市に生る
大正九年   「ホトトギス」初入選
昭和九年   「ホトトギス」同人
昭和二十二年 俳誌「風花」創刊
昭和五十三年 NHK放送文化賞
昭和五十四年 熊本市名誉市民
昭和五十五年 文化功労者
昭和五十九年 日本芸術院賞
昭和六十二年 世田谷区名誉区民
昭和六十三年 東京都名誉都民
昭和六十三年 正四位勲二等
          平成元年四月

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