名主の滝は、王子村の名主畑野家が、その屋敷内に滝を開き、茶を栽培して、一般の人々が利用できる避暑のための施設としたことにはじまるもので、名称もそれに由来しています。この時期は定かではありませんが、嘉永3年(1850年)の安藤広重による「絵本江戸土産」に描かれた「女滝男滝」が名主の滝にあたると思われますので、それ以前のことと考えられます。 明治の中頃、畑野家から貿易商である垣内徳三郎の所有となり、氏は好んでいた塩原(栃木県)の景に模して、庭石を入れ、楓を植え、渓流をつくり、奥深い谷の趣のある庭園として一般の利用に供しました。 昭和7年の文献に開園期間は4月1日から11月30日まで、新緑と納涼と紅葉を生命としていると記されています。 昭和13年、垣内家から株式会社精養軒へ所有が移って、その経営する一般利用の施設になり、プールが新たに設けられました。 昭和33年、東京都は、名主の滝を都市計画公園として計画決定し、翌年これを買収、同35年11月から都立公園として公開されるにいたりました。 昭和50年4月T日、東京都から北区に移管、北区立の公園となり、同61年10月からT年半、大規模な改修がなされました。
東京都北区 |
この辺すべて瀧多し 近来或人(あるひと)この地の 案内として滝の図を 著ハせるものあり その数十條箇所となん 貴賎この辺(ほとり)に 集会(つどひ)滝を浴(あみ)て 卯月(うげつ)の炎暑を避る |
この坂は、王子稲荷神社の南側に沿って東から西に登る坂で、神社名から名前がつけられています。また江戸時代には、この坂を登ると日光御成道があり、それを北へ少し進むとさらに北西に続く道がありました。この道は姥ケ橋を経て、蓮沼村(現板橋区清水町)まで続き、そこで中山道につながっていました。この道は稲荷道と呼ばれ、中山道から来る王子稲荷神社への参詣者に利用されていました。
北区教育委員会 |