虚子の句碑

戻り來て瀬戸の夏海繪の如し
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昭和11年(1936年)6月11日、高浜虚子はヨーロッパ外遊から帰国途中「箱根丸」で松山沖から来島海峡を通る。 |

| 渡佛日記の一節 |
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| 昭和十一年六月十一日(木曜) |
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| 朝六時床を出て甲板に出て見ると丁度 |
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| 郷里の海岸を通つて居るらしい島山のたゝ |
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| ずまひであつた(中略)そこへ同郷人の瀬 |
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| 川君も起きて来て互に指し示しつゝ語つた |
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| かねて私の郷里の山川に接したいと云つて居 |
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| つた楠窓君も呼んで共に見た今更ながら瀬 |
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| 戸内海の景色の和らかく繪のやうなのに見入つた |
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| 戻り来て瀬戸の夏海繪の如し |
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| 来島の瀬戸に来るまで甲板に佇んで居て |
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| 少し朝飯が遅れた |
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昭和26年(1951年)6月、国鉄今治駅前に建立。 |
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今治駅前、ロータリーの一角にはすばらしい一基の虚子翁碑が横って居る。高さ五尺、幅十尺、自然石の野面を磨いて縦三尺五寸、横四尺五寸の角切額縁輪廓をつけ、次の一章を刻む。昭和二十六年九月二十一日序幕、同地虚子翁句碑建設協賛会の建設になる。 |
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周知の如く虚子翁は昭和十一年二月十六日、郵船箱根丸で、当時パリー遊学中の次男池内友次郎を訪ね旁々単身渡佛され、ドイツ、イギリスをも巡遊して同年六月十五日帰国された。帰来「渡佛日記」の著があった。文中楠窓君とあるのは、その時の箱根丸事務長上ノ畑楠窓のことである。 |
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昭和36年(1961年)5月7日、星野立子は高浜虚子の句碑を見にいく。 |
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今治駅前にある父の句碑を見にゆく |
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戻り來て瀬戸の夏海絵の如し 虚子 |
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昭和47年(1972年)2月、現在地に移転。 平成11年(1999年)、しまなみ海道開通。 |

