犬吠埼温泉「海辺のくつろぎの宿ぎょうけい館」
昔の温泉
犬吠埼温泉「海辺のくつろぎの宿ぎょうけい館」
円福寺本坊から「海辺のくつろぎの宿ぎょうけい館(HP)」へ。
「ぎょうけい館」は「那須ビューホテル」、「喜ら里(きらり)」などと同じくビューホテルズの経営だが、昔から数多くの文人・画家に愛され老舗の宿。
明治31年(1898年)4月2日、島崎藤村は銚子の「大新」に泊まり、翌日は雨の中を犬吠埼まで足を伸ばし、「暁鶏館」に宿を求めた。藤村は4日に「大新」に戻り、5日布佐に住む柳田国男を訪ねる。
明治39年(1906年)8月20日、河東碧梧桐は暁鶏館に泊まる。
暁鶏館の一番海に近い離れ座敷に陣取って、一週間の籠城をする心積りをした。風は灯を消して浪は窓に飛沫を打つ。よい避暑をするものである。
静かさや燈台の灯と天の川
「ぎょうけい館」から見る犬吠埼
天気が良くないのは残念だ。
大正元年(1912年)夏、高村光太郎は犬吠埼に遊び、智恵子と再会している。
丁度明治大帝崩御の後、私は犬吠へ写生に出かけた。その時別の宿に彼女が妹さんと1人の親友と一緒にきてゐて又会った。後に彼女は私の宿へ来て滞在し、一緒に散歩したり食事したり写生したりした。
高村光太郎「智恵子の半生」
光太郎の宿が「暁鶏館」であったのだろう。
この年の9月、光太郎は「犬吠の太郎」と題する詩を作っている。
高村光太郎の「犬吠の太郎」
大正8年(1919年)1月1日、若山牧水は犬吠埼の「暁鶏館」に着くと、奥さんに絵葉書を出している。
いま到着、すてきなところだ、曇った空の下で大きな風が吹いて海がみな眞白だ、やれやれと思ひながらこれより大いに眠らむとぞ思ふ、
昭和8年(1933年)3月、水原秋桜子は銚子に遊び、暁鶏館を訪れている。
昭和49年(1974年)冬、愛新覚羅溥傑が「暁鶏館」を訪れ、色紙に詩を書き残している。
暁鶏一聲海天曙 碧波千頃畫圖中
文字の配置が素晴らしい。
「暁鶏館」の「暁鶏」を詠み込んだもの。ただし「鶏」の字は溥傑の書いた字体とは異なる。溥傑の書いた字体はインターネット上では表示できない。
大正3年(1914年)3月16日、溥傑は嵯峨侯爵家の嵯峨実勝(さねとう)と尚子(ひさこ)の長女浩(ひろ)と結婚するが、浩(ひろ)の祖父濱口容所(ようしょ)は銚子でヤマサ醤油の販売を担当していた。
平成9年(1997年)、犬吠埼で温泉が掘り当てられた。
太平洋が展望できるお風呂である。
左に露天風呂がある。
夜、露天風呂で写真を撮ってみた。
源泉名は犬吠埼温泉黒潮の湯。
泉質はナトリウム−塩化物強塩温泉(高張性・弱アルカリ性・低温泉)。泉温は27.3℃。
強塩温泉だから加水しているし、低温泉だから加温している。
掛け流しであるはずがない。
犬吠埼へ。
昔の温泉に戻る