2021年福 岡

風師山〜碑巡り〜
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鹿児島本線門司港駅下車。

タクシーで風師山展望台へ。

 昭和11年(1936年)2月21日、高浜虚子は門司着。22日、後藤萍子の案内で自動車道を風師山に登る。正午、虚子は門司出帆。上海に向かう。

清滝公園を過ぎると、高浜虚子の句碑があった。


風師山
梅ありといふ
登らばや

三宜楼の門司市長後藤多喜蔵招宴で詠まれた句である。

昭和60年(1985年)4月、建立。野口耕平書。

風師山展望台


下関の街が見える。

登山道を登り、風頭山(362.2m)へ。


昭和11年(1936年)6月8日、吉井勇は下関から門司に入る。

見はるかす目にかがやかにうつりたる赤間が關の夏潮のいろ

大いなる船ほうほうと汽笛(ふえ)鳴らし馬關海峡暮れにけるかも

風師山にのぼりて空を仰ぐとき雲と遊ばむこころ起りぬ

風師山のぼれば天の日もちかしすなはち心燃えにけるかも

『天 彦』

関門橋が見える。


吉井勇の歌碑があった。


風師山
 のぼりて空を
仰ぐとき
 雲と遊ばむ
  こころ起りぬ

昭和57年(1982年)2月、建立。

巌流島


槇有恒の記念碑


この頂に立つ
幸福の輝きは
これをとらふる
術を知りし山人たちの
力によるものなり

昭和51年(1976年)1月18、風師山早朝登山会第五百回記念に建立。

槇有恒略歴

1894年2月5日生まれ。仙台市出身。慶応義塾大学卒。

近代アルピニズムの開拓者・紹介者。1921年、スイスアルプスのアイガー東山稜の初登攀。1925年、カナディアン・ロッキーの未登峰マウント・アルバータの初登頂。1956年、日本山岳会の悲願であったヒマラヤの未登峰マナスル(8163m)の遠征隊長として初登頂に成功した。初登頂を報告するため翌年から日本全国を巡回し、九州にも足跡を残された。北九州では1957年10月槇の来訪を機に、風師山早朝登山会の堤甚五郎会長が槙さんを関門海峡の絶景を俯瞰できる風師山に案内した。この記念碑はその折の感慨を槙記したものである。槇有恒は戦前・戦後を通じて日本山岳会の会長を2度歴任し、その後、名誉会員に推挙された。1989年5月2日、没。享年95歳。

小森江公園へ。

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