俳 人
松露庵烏明
白井鳥酔門。松露庵三世。別号東海房、木耳(もくじ)庵。
可都里『名録帖』に「烏明日本橋浮世小路 松露庵」とある。
享保11年(1726年)、江戸に生まれる。
宝暦6年(1756年)2月29日、鳥酔は松露庵を出て大坂に向かう。烏明も同行する。
宝暦6年(1756年)8月4日、烏明は大坂から江戸に向かう途中千代倉家に泊まっている。
八月四日 朝より五つ比迄曇り夫より照 七つ過江戸脇本平兵衛殿大伝馬町弐丁目誹名烏明子大坂より下向ニて寄被申候。今夕止メル。ホ句有。脇スル。鳥醉子集一冊持参。状も来。今夕旭阜呼遣。
八月五日 照 夜前一宿被致候江戸誹人烏明子今朝出立。
『千代倉家日記抄』(和菊日記)
宝暦9年(1759年)3月、鳥酔は烏明を伴い芳野へ。
宝暦9年(1759年)、鳥酔は烏明を同伴して両総行脚。
宝暦10年(1760年)8月13日、左明は50歳で沒。烏明は松露庵三世を継ぐ。
宝暦11年(1761年)、『露柱庵記』(烏明編)刊。
宝暦14年(1764年)、『わか松はら』(鳥酔編)。松露庵烏明序。
宝暦14年(1764年)6月2日、明和に改元。
明和元年(1764年)、烏明は松露庵の留守を鳥酔に頼み、風谷・鳥秋と共に熱海温泉へ旅立った。烏明は穂雲楼鳥秋宅に泊まっている。
明和元年(1764年)11月、『冬篭』(風谷編)。自序。