白井鳥酔

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俳諧冬扇一路』(鳥酔編)

宝暦8年(1758年)2月末、鳥酔は大坂を発って伊賀上野へ赴く。

宝暦8年(1758年)秋、碓花跋。

   四 季

南から野を摘へらすわかな哉

木母寺へ世を遁るゝやすゝミ船

とむほうや花なき杭に住習ひ

つゝくりと鳥の隱者や雪の鷺

      右柳居先師



岩橋をとこへかけたかほとゝきす
 碓花

尋ても空の廣さよほとゝきす
 烏明

辻君に米こほされな寒念佛
 浮風

四阿に焚ぬ烟のやなき哉
    星布

尋ぬれは師走の奥や梅の花
   栗橋 素人

名月や折形になる鳥の影
   鴻巣 柳几

鳳巾蠶の紙も動く時
 康工

鶯に感し入たる柳かな
 麻父

混沌と子細らしくも若菜かな
 蝶羅

音はかり瀧をうしなふ櫻哉
 麥浪

波わけの曲望まれて柳かな
 呉扇

朧夜を江にひらけたる柳哉
 文素

名月や薄も風に遊ぬ夜
 可風

闇の夜にしくもはなし梅の花
 百卉

水底に碇は濡て皐月雨
 烏明

   よし野にて

白雲や散る時花のよしの山
 蓼太

花さかり松の間は鷺の如し
 秋瓜

ある僧の世を捨かねて花の陰
 門瑟

月影の三尺寢ありほとゝきす
 巻阿

   浪花より氷室の題を得て
   松露庵

櫻見て悟て出たか氷室守
 左明



寶暦八戊寅三月朔日 几右亭

  几右老人にいさなはれて愛染蜜院に詣  祖翁の碑前にかしこまるは
  生涯の本意なり。此碑や元禄それの年義仲寺と一時に建たりとかや、
  文字の古ひさも覺へていと尊し。今扶桑に靈塚多しといへとも、此國
  は出生地といひ先祖奕代の精靈をまつれる淨刹なれは、翁の精神も
  かならすこゝにあつまり給ふなるへし。

    家内皆杖に白髪の墓参とありし吟は、此精舎にての事なりとそ

いたゝきに乙鳥も來たり塚の土
鳥醉

陽炎や其故郷の石の面
座隱

  往し頃五十遠忌に、武城の東深川の長慶寺禪林なる短冊塚を再興し
  給ひて植よ植よ塚も年寄る冬かまへ といへる柳居先師の吟も、かゝ
  るふるひにおもひあはするのみ



翁は彌平兵衞宗清か末裔也、よつて宗房といへるとそ。始松尾甚七郎改て忠左衛門、頃年くはしく系圖を記し什物と并せ藏す。

翁は藤堂新七郎の長男主計俳名蝉吟子に近く仕ふ。吟子は洛の季吟門人にして風雅をたしみ給へるによつて、宗房の頃季吟としたしみ深し。吟子易簀の後舎弟新七郎俳名探丸子家督相續す。時に丸子の命ありて 翁を出頭す。翁ひたすら骸骨を乞ふといへともさらにゆるし給はされは、二君につかへさる意趣をこまこまと書殘し、かつ短尺に一句をしたゝめ添て、孫太夫といへる信友の門に置て夜中に出奔す。此時翁行年三十.その句は

 雲とへたつ友かや雁の生キ別れ此眞蹟は勢州亀山の城士何がしが手に渡り、今行方をしらすとおしむへし 其後年を經て、丸子罪を許し對顔し給ふ時、詞書ありて

さまさまの事おもひ出す櫻哉
   はせを

   春の日永う筆にくれ行
   探丸子

哥仙滿尾翁執筆、則其一巻今に殘れり。

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