横田柳几

『古河のわたり集』


 明和9年(1772年)5月10日から16日まで、嵐二を伴い下総境から古河を行脚した7日間の紀行。

嵐二は川田谷村(現桶川市)の人。島村新兵衛。初号藍二。

天明8年(1788年)3月7日、没。

なるかミのをとにのミ聞侍りし鷲の宮は、ミつかきの久しき旧跡とかや。年月詣ん願ひもかしのミのひとり便なく思ひくらせしか、仙医槃阿子ハそこにはし鷹の身よりの人しあれハとさそハるゝ時を得て、枕香の古河・関宿・境のあたりも見まほしと、一チ力にハ例の無言なる与助をつれて草枕たびたびなから笠を並へぬ。相手ハかハれとぬしかハらすとそしらるゝもおかしきや。頃は五月十日はしめて菖蒲町に入る。何かしの女か過にしかた、恋しきものかれたる葵とさへあるに

軒にまだ日数も青し菖蒲町
   柳几

庸医のそれかしかおもむきハ、僧にもにもあらす俗にもあらす、鳥鼡鼠の間に名をと鼻祖翁の文にも似たりけれハ

蝙蝠といハれん我か旅すかた
   槃阿



鷲の宮町に入る。かねて槃阿子の親族たる内藤氏にやとる。家ハ農商の事業しけき中にも、いさゝかあるしに阮籍か白眼のふるまひもなく、座敷をひらき塵を拂ひていとせちにもてなされたるを忝ふす

麦秋の客や風よりおとろかし
   柳



境町に入り豪家たる箱島氏吉兵衛の市廛に笠をのをの携入りて、竹季かせうそこを渡す。隠居せる阿誰老人出迎ひ、あるし吉兵衛浙江江戸へ出てその留守居のうち、隠居むなしくあり、明渡しにして長く逗留をとかしこにうつされて、往年兎陵か伊香保出会の噂より、此春竹季か来りたる事、猶又槃阿の旧交、あのゝものゝと夜更るまてなか話してしハらく発句の責もなし。誠にそのもてなし切々偲々たり

○十二

      歌仙行樗斎興行

   世に鳴る阿誰老人を尋来て
   河上の閑居にあそふ
  柳几
かけて聞く頭陀の碇や郭公 

興尽るとも卯の花の雪
   阿誰

樓へ直ク路に銚子釣上ケて
   嵐二

日あし闌ケれハ馬も嘶く
   槃阿



   阿誰閑居家珎(宝)

芳情精神不滞不恥不恐
大道自然之対談、誠に
不安之事共ニ御座候

 君やてふ我や荘子か夢心

筆の心殊之外よろしく筆人
大道之筆令工作候物と感心仕候

   孟夏十日
               はせを
   ぬ鷄(ママ)

   松原の透間を見するしくれ哉
   其角
いせに詣て
なにの木の花とハしらすにおひかな
   桃青

   来るのミか裾から蠅の折ふしは
   嵐雪

   画賛

帆にかけて猶ひれ(頭巾)

         ふるや雲のミね

                  キ角

   簔虫の音をきゝにこよ草の庵

いて聞にまからん、行程二十町、をそや、かの虫なきやすへき。よしや虫待ともあらし、またるへき身にもあらす。おもしろや、橋は二国に跨り入江の釣舟ハまさま・よこさまに打こそりぬ。鷺眠りかもめ流れれつ。駿河の山はいつこゝらきつらん、川隅覆ふほとちかし。彼景心を奪ひ、あゆむともなきに紫門の雫衣の襟にひやこく、草の露わら履につめたし。あるしなくてや有けん、とがめもたまハす、さし入てみれは蓑虫の聲なきさましてつくりと居給ふ。おとろへもくらふれハ霜逢いまと壮なりしか、ことちからを論すれは風流猶つよし。ふむ所座する所音なし。かミ子のふるけれハ也。ゆへにそかの聲はきく、予か性のさハかしきにハなに恋しとも聞えす。聞く事にもあらし、みる事にもなけん。かれか情と閑人の閑と猶(おな)し閑のすくれたるなるへし。虫ヨ、おきなのかしましからん鳴ソ

何もかもなし稲うち喰ふて螽かな
   嵐雪

朝露のうちにと萩の使哉
   園女

右数々の古筆を拝し終て

関宿の城足を一覧せんと、川岸うちわたりてかしこに至る半道はかり、当城主      大坂に勤番ましまして此城ハ何かしの預り也と、物こと淋しく向ふ川岸を望めハ船改の御関所あり。かたへは名にあふ干鰯をひさく商家内堀氏・北村氏・野村氏なり。いらかをあらそひ立こみたり。江都へ往来ふ高瀬舟ハ櫛の歯を引かことし

風薫りわける関所や干鰯川岸
   柳



○十三日 境町留別

渭樹江雲を年月思ひやりし互の望ミも、こたみ鷲宮もふてのさちありて樗斎老人の閑窓を驚かしけれハ、手つから杖笠とり納めけるより箸紙に名をしるして行脚も留メ、巧者なる主人のふるまひは、かの青樓の君かもてなしよりもおかしく信宿せしか、啼路の日を約せしかたかたもありて、忍ひかたしと主人にいとまを乞ふに、やうやう離袖をゆるされて又孟秋の好事をちきる

鱒からの待日や鮭のしらせ網
   柳

   留メてとまらす腹立紛れの伏別

いつハりの人二夜哉廿日草
   阿誰

是よりうづま川の螢狩に行んに、田舎道の案内心もとなしとさゝやくに、造化庵のあるし徳雨老人こそかの地の名所くハしくせられし人なりと、主人よりともにそゝなかしすゝむれは、稲ふねのいなともこたへかたしとおのおのおもしろき旅姿となりて、四人比肩して立出ぬ

   途中之吟
 布袋
着連たつ笠や四ひらの花の友

一トふしつゝに早乙女の唄
   徳雨

山の端に唐絵のやうな家ありて
   槃阿

あぢな瓶から酒を汲出す
   嵐二



此造化庵のあるしハ先江都祇徳の高弟也、このあたりの若俳をもやゝすゝめてその外俗士にも教けるか、民家教訓袋といふ一集を著せしとて一部恵まれたり、いと尊ふとき翁なりけり



   野木明神

此宮ハ祭神応神帝第八稚良千菟道の王子と号す。仁徳帝御弟宮にまします。田村丸東夷征罸の折のため延暦中此所に鎮坐し奉るとそ

麦の穂の禾もいとハす宮所
   柳

社内念仏堂の側に徳雨子か建られし祖翁の
川千鳥塚あり



一疋のはね馬もなし川千鳥
 はせを

今は巣となる草村や鵆塚
   嵐



古河宿に入。此駅にて徳翁ハ古郷へわかり、我々ハ中田・栗橋へと杖を曳く

   離別吟
七十五翁
立わかる中なへたてそ夏柳
   徳雨

すゝしさしるも雨の一徳
   柳几



笠原を過て川面村に入る。向うより田掻馬の戻りにあふ。おのおのかたハらに休ミ居る前を牽クに、はからす嵐子か太股を蹴られたり。口付キの男も馬もろとも沛艾して深田へこけ落ぬ。そのありさまにこなたの腹立も打わすれて過ぬ。むかし深草の玄(元)政も土山にて落馬の詩あり。我翁も杖突坂にて落馬の句ありて、其名を後世にたれり。さハ蹴られた人のすさミやハある。もとより蹴たるハ馬の科なから、蹴られたるハ人こゝろかけの怠りとやいふへき。あやまちハかならすやすき所にあり。さる頃星川にて舟より溺給ふ猟(漁)師の例もあれハ、是もたゝにや過んと又矢立を取て

落馬より劣る蹴られや五月道
   柳

早苗の中にひとつ尻餅
   嵐

いにしへのひぢりハ麟を得て彼書の挙句を需メ、我々は駑馬の一句を笑ひをもふけて此紀行の筆をおさむ。杓子定規のたとへもかたハらいたし。日数七日、句数合六十七章、行程合百八十里但漢法ニテ

   留守中文通
  尾張
鶯やそつと物干ス椽(縁)の先
   也有

蕣や夢ハ日向へ這ふて行
   白尼
  江戸
戻る里持たぬ鷺あり春の水
   門瑟

摘み荒し茶の木に添ふて木槿哉
   烏明
  上州
きしの聲葉のなき桑の木陰より
   雨什
  江戸
鶯と見付て縁へ上りけり
   宗瑞
  尾州
鶯や外科とも見へす竹格子
   蝶羅
  イセ
細いのを花に見らるゝ柳哉
   坐秋
  安藝
笠とれハ何やら知れぬ案山子哉
   風律
  加州
朧夜の二階灯光る柳中
   麦水
  越中
尼寺の忍ひ返しや雉子の聲
   知十
  江戸
夏も今這ひわたる程か藤の花
   百明
  越後
城あとに夢を築し桜哉
   桃路
  常陸
若鮎や魚の二葉の群て行
   弄船
  越後
梅さくや翦矢たつぬるけいこ弓
   戸凉
  京都
梅香やおそろしからぬ夜となり
   蝶夢
  播磨
捨し身の持よふなりぬ更衣
   山李

   四季混雑
布袋庵社中
  上谷
入やすく出にくきものゝ巨燵哉
   篁雨
  吹上
夜噺しのかけもの停てほとゝきす
   両后
  吹上
聞く人の角ハ折れけり鹿の聲
   東阿
  桶川
花ならハ憎た(てい)鏡や夕すゝみ
   志風

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