私の旅日記〜2009年〜
那谷寺〜重要文化財〜
芭蕉も訪れたという小松市那谷町の那谷寺(HP)に行ってみることにした。
平成21年(2009年)4月1日より拝観料は 600円。
那谷寺山門
養老元年(717年)、泰澄法師自生山岩屋寺開創。
寛和2年(986年)6月22日、花山天皇は右大臣藤原兼家の謀事によって出家させられる。
永延2年(988年)、花山法皇は那智山青岸渡寺に御幸され西国三十三ヶ所第1番札所として定め、谷汲山華厳寺を第33番札所の満願所と定められた。
永祚元年(989年)、花山法皇は北陸へ御巡幸、西国三十三ヶ所の第1番那智山の「那」と第33番谷汲山の「谷」をとって自生山岩屋寺を「那谷寺」と改めた。
金堂華王殿
十一面千手観音を安置。
高野山真言宗別格本山である。
奇岩遊仙境
紅葉の時は格別であろう。
元禄2年(1689年)8月5日(陽暦9月18日)、芭蕉は山中温泉で曾良と別れ、北枝とともに那谷寺を訪れている。
山中の温泉に行ほと白根か嶽跡にみなしてあゆむ左の山際に觀音堂あり花山の法皇三十三所の順禮とけさせ給ひて後大慈大悲の像を安置し給ひ那谷と名付給ふと也那智谷汲の二字をわかち侍しとそ奇石さまざまに古松植ならへて萱ふきの小堂岩の上に造りかけて殊勝の土地也
石山の石より白し秋の風
芭蕉の句碑があった。
石山の石より白し秋の風
天保14年(1843年)、芭蕉百五十回忌に建立。
翁 塚
昭和40年(1965年)、山口誓子は那谷寺に句碑を訪ねている。
那谷寺に踏み入ると、木立暗く、べたべたの落椿だ。更に進むと右に岩の小丘がある。苔蒸したその岩を負うて、碑が二つ並んでいる。
一つは句碑だ。大きな三角形、大きな字
石山の石より白し秋の風
他は「翁塚」で、「奥の細道」の那谷寺の条を刻み、その最後を「石山の石より白し秋の風」で結んでいる。この句は相並ぶ碑に重ねて出ているのだ。
元禄9年(1696年)、竹内十丈は山中温泉から那谷寺を訪れたようである。
山中の温泉より那谷にまうてけるか、小松より行程二里はかり、麓の人里も那谷村とかいふなる。それより入て圓通大師の御堂を拜むに、諸堂は皆國君の作りみかゝせ給ひて、莊嚴の美を盡させたまふ。山の姿云はかりなし。百尺の石を疊むて削出すかことく、峨峨としてかつ玲瓏たり。此那谷の石のたゝすまゐ、都の石山よりもまされりと云傳へしか、古翁一とせ此山に詣給ひしに、石山の石より白し秋の風といふ句を、今猶おもひ出られて
岩屋本堂大悲閣
国指定の重要文化財である。
那谷寺御本尊千手観世音菩薩を安置している。
元禄16年(1703年)秋、岩田涼菟は山中温泉から那谷寺を訪れている。
那谷の觀音は湯本より三里はかりの道也桃妖の
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主おくり來て名殘をしたふ
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石山の石より白し秋の霜
| 翁
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此句も此處にての事なるへし
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見上たり撫たり岩に蔦かつら
| 涼菟
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享保6年(1721年)、露川は門人燕説を伴い那谷寺に参詣している。
鐘楼
国指定重要文化財
昭和23年(1948年)6月、中村草田男は那谷寺に参詣している。
「奥の細道」の旅に於ける芭蕉の「石山の石より
白し秋の風」の吟をのこせる那谷寺に詣づ。
柿落花石山への道すでに白
石山仰ぐ白き夏日の路溜(みちだま)り
石山の面(おも)に夏木の枝揺る影
芭蕉の旅路森へ抜けけん巖すずし
石山裾むかしを繋ぎ花菖蒲
『銀河依然』
昭和44年(1969年)8月29日、荻原井泉水は再び那谷寺を訪れ山代温泉泊。