立子句碑

星野立子『句日記』T ・ U

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昭和35年(1960年)

 山田老師はじめお僧達に温く迎えられる。中井余花朗さんにいつもの通りにお世話になり、ジープで横川の元三大師堂へ。橙重、冨士子参加。

 大師堂前でジープを下り、身軽になって一念寺から右に中堂跡を見、左に折れて虚子塔へ。春の日ざしは温く温くとあたりにさしわたり、全く静かである。久し振りに塔の前に立って父上と心の中で話をする。二十分程休み、恵心院の庭を見に行く。寒さがひどくてそうそうに大師堂帰る。

 滋賀院で山田老師が、横川にはまだ雪が残っているであろう。といわれた。大師堂の軒から落ちてぴかぴかした雪が果して残っていた。

 橙重、冨士子、渡辺恵進の三氏は帰り、森定さんは残られる。十時入浴、温まった勢いで残雪を踏んで外に出て見る。星が大杉の間に鋭く光っていくつもいくつもみえる。お父さんは天上に在る、と想っていつまでも仰いでいるとそんなに寒いとも感じない。炬燵に四方から足を入れて床に就く。

冴返り空高し月遠し星遠し

鎌倉も横川も春の月夜よし

 三月九日 曇 八時起床。色紙を売るところへ案内してもらい少し買う。

 冨士子、星雲、成行、孝、光子、千代、美恵女、松彩子、私等五人連れ立って東本願寺へ句を作りにゆく。

 宮御殿に休んで池を見、紅梅を見ながら折から降ったりやんだりする雨を眺め時間を過す。小句会。

旅終りつゝあり京の春の雨

 五月十五日 川崎大師に父の

金色の涼しき法の光かな   虚子

と、前年遷座祭の時に参詣して作った句の句碑が出来た。その除幕式。日はよく当っているが強風が吹きつづけていた。幔幕を吹きあおつ中に大勢の集りを得て、除幕の式式は厳かに行われた。孫の高と永が幕を引く役目をした。

今日よりは衆生と共に句碑涼し

法の庭涼しき句碑と親しまれ

よく晴れにけり緑濃き法の庭

 七月十二日 前夜上野を発って、朝九時半に青森に着いた。晴子と姪の新田容子と三人の旅である。村上三良、京子夫妻の家にまず休憩してゆっくりする。疲れのとれた時分に合浦公園へ行って見ることになる。

外ヶ浜浜昼顔も見て来たり

 十月四日 大雨に開ける。みんなモンペ羽織のいでたちで、雨の小やみを待って出発。病中の耕春さんも美代女さんにつきそわれて一行に加わる。

 瀬の本高原は霧で視界がきかない。前をゆく人の足許を見ながら丘又丘と進む。放牛が忽然と現われたりする。

彼の窪に小屋ありといふ萩芒

 宮原の静川は以前と少しの変りもなく流れていた 火の宮の境内
に父の句碑

散紅葉しばらくしては散紅葉   虚子

を見る。昭和三十年十一月、小国ホトトギス会が建てたと記してある。

昭和二十七年十一月に訪ねた折の句である。

佐藤寥々子さんの新築の家に招かれて昼食。

庭木戸を出て柿落葉踏みてゆく

火の宮の社務所で句会

火の宮の銀杏早黄葉なつかしや

 萩に下車。都志見、石津白甫さん方の御出迎を受け、常茂恵ホテ
ルへ。都志見さんの御案内で市内を見物。城址が美しかった。秋晴
の面影山、日本海、菊ヶ浜など。昔の防人の女台場など見、夜釣の
餌をとっている船が静かな海上に点見出来た。萩の窯場を見学、鮎
宿酔月で食事。松下村塾に吉田松陰の面影を偲んだ。

秋晴や菊ヶ浜辺の松並木

月を見る心になりて川面見る

鮎釣の片手漕ぎして上手かな

船でゆく人に山羊鳴く秋の暮れ

 十月十日 よい天気となる 木犀の強い香がどこへ行っても心を
引く 雨人居に敬意を表し 父の句碑

故郷に梅培はんこゝろざし     虚子

を見る

 八雲旧居の父の句碑を見て 昭和七年のことを懐古

くはれもす八雲旧居の秋の蚊に   虚子

 月照寺に集り、松江玉藻発会。時間に追われ、鳥取に向う。伯耆
大山を見るのも二十余年ぶりである。午後鳥取着。すぐに砂丘へ。
趣がすっかり変ってしまったと思う。松江からこちらは思い出を追
うばかりでただただなつかしく、一歩一歩を大切に歩く。小銭屋別
館に投宿。

昭和36年(1961年)

 二月六日 夏草会 後楽園

春浅き涵徳亭の離室に居

降りてやみ降りてやみ春浅きかな

池の面に春の雨脚今は無し

 岡山下車。句会場は後楽園。見事な牡丹が雨にくずれてゆく姿が
印象に残る。この公園も先年父に連れられて来た思い出がある。藤
原大二さんが父の句日記を見せて下さる。それによると、昭和十一
年であったらしい。矢野蓬矢さんの御招きで園内の日本間で昼食し
、 作り雨を降らせたりした記憶がある。

 どなたかの足駄を借りて烏城の見えるところまで行って見る。旭
川の流れやこの辺のさまは多少思い出せるような気にもなるが、よ
くは分らない。若葉がまことに美しい。

春雨やかりはく下駄のはき心地

この門をくゞりし記憶春の雨

記憶いま延養亭と春の雨

惜春や思ひ出の糸もつれ解け

 少々心細い位霧にせめられながら徐々に進む。高松に着いた時も
なほ雨が降っていた。今井つる女さんが先着で桟橋に出迎えてくれ
る。合田丁字路さんの顔も見える。すぐ近くの玉藻城へ歩いて行く。
雨は小降りである。天守跡に上り日本三水城の一つである咄などを
きいているうちに又降り出し、会場へ駈けて戻る。駈け戻ったのは
丁字路さんと私だけで、他の人達はどこかに雨宿りをしているので
あろうか。仲々姿を見せない。風を交えた大風雨がひとしきりつづ
いた。

 会場は披雲閣だが、近くの料亭に濡れそぼった一行は漸くたどり
着いて昼食。桜鯛のさしみがおいしかった。

桜鯛さしみ三切にさより添へ

低く低く夕立雲の駈ける見る

 二時の汽車で西条行 秋都庵に父の句碑を見にゆく

惟る御生涯や萩の露   虚子

 しみじみとした句碑であった。つるさんは殊のほかなつかしげに、其処にいつまでも佇んでいた。今度の旅の大きな目的はこの秋都庵を訪ねることであった。父の外祖父母に当る山川夫妻の終焉の地が此処西条とのことであって、父も昭和十三年の秋にはじめて墓参したのであった。

涼しさや御生涯といふ言葉

句碑の字を真似書して見涼しけれ

 今治で句会。小学校の講堂が会場となっていた。二百人程の集り。

葉桜の島と思へば彼の島も

 今治駅前にある父の句碑を見にゆく

戻り來て瀬戸の夏海絵の如し   虚子

 五月八日 波止浜観潮楼に今井いたるさんのお茶のおもてなしを 受け、水入らずのお別れの昼食

夏潮の流れ見てをり又いつか

 つるさんが波止浜にいた頃に建てた父の句碑の下に集って記念の
写真をうつす

春潮や和冦の子孫汝と我   虚子

 八日は父の命日に当る

命日のその日観潮楼の初夏

句碑仰ぎをれば松蝉こたへ鳴く

 波止浜の方達に見送られて日朗子さんが加わって松山へドライブ。

 北条を過ぎ、西ノ下に自動車を下りる。村上杏史、波多野二美、
猪野春陽、久保田氏が松の下に立っておられた。

この松の下にたゝずめば露のわれ   虚子

 句碑はひょろひょろと昔のままに立っていた。道巾が広くなった為に、いつも休んだ茶屋は取払われて土台石が残っているばかりであったことが一番淋しいと思った。近くの猪野さんのところに立寄り先年亡くなった先代の位牌に線香をあげる。時代が移ったことをしみじみ思う。

ふるさとのこの松伐るな竹切るな   虚子

 の句碑を見る 竹のお茶屋址

松蝉や淋しくなれば目をつむり

 十月十六日 大阪玉藻句会が江口の君堂で催されて参加 坤者さ
んも御来会 去った日の思い出が次々と――

浮み来し思ひ出秋の雲白し

君堂に来し秋晴の人々よ

思ひ出は鐘楼にあり秋晴になし

昭和37年(1962年)

 五月十四日 八時三十分 足尾線、大間々下車。高津戸峡行。な
がめ園にて句会。

 渡良瀬川の辺を吟行。

瀞眼下夏野朝日が射し込める

夏蝶の高き橋下に舞ひ消えぬ

突と頭上松蝉の鳴きはじめしを

 高田館に荷を置く 参加者殖える 対米館に寄り 高田玉藻句会
の御もてなし 木の芽田楽で昼食

郭公の鳴かずなりけり昼餉終ふ

田楽の昼餉小暗き大広間

思ひ出をゆくさきざきに夏の蝶

旅鞄より日傘出し身軽に出

大広間今松蝉に包まるゝ

 六月一日 旅の終る日

 朝涼のうち帰り支度を兎に角しておく

朝涼や帰り支度もこれでよし

 バスに一同乗り込み海岸へ出る。十余年昔となった。私がはじめ
てこの海辺に立った時は秋であった。そして大風の日であった。浜
谷浩さんが、父と私とが砂浜を歩いているところを一ぱい写真に写
していられたことを想い出す。(註―玉藻昭和三十五年十月号表紙
二に掲載)汐汲の女が波打際にいたことを想い出す。みんななつか
しい春かなことになってしまった。五智の光源寺へ野菊の句碑を見
に又バスに乗る。句碑は大分馴染んでしっとりと立っていた。蜻蛉
がとび交い、田植最中の大きな田がすぐに見える。蛙がよく鳴いて
いる。少し寝不足を覚える。

夏草を刈広々とせしところ

 茗荷竹が刈り残されて句碑のあたりは賑やかにデージーが咲いて
いる

小さなる日傘のかげを恃み立つ

 お寺の御馳走になって昼食をすませ、白山号に乗り込み帰途につ
く。車中早速句会がはじまる。汽車の中の暑さに閉口。家に帰って
ぐっすり眠り度いと思う。

 九月二十日 姉と二人で岐阜へ。小田原からつる女も参加。岐阜
のライオンズクラブの御招きである。長良川の端の十八楼という宿
に着き、鵜飼への用意。遠く四国から又北陸からの参加者もみんな
私の俳句の友達であったし、初対面の人も多かった。木村木仏氏の
お肝煎りでこのように大勢が会したことはうれしい。

何となき夕焼あかり鵜舟中

鵜舟まづ数多の舟に夕べ来ぬ

宵闇となりゆく山の滝音に

昭和38年(1963年)

 三月二十九日 千代田句会。靖国神社

 私の生れたのは富士見町であるから、この辺は昔よく来たところ
である。招魂社のお祭、境内にあった能楽堂にお能を観に行ったこ
となどよく今でも想い出すことである。が不思議な位、その後ここ
えは来る折がなかった。

想い出は意外にさだか東風の町

初桜こゝに見るとはなつかしや

 三月三十一日 かねがねお誘われしていた高尾山行を実行。大正
の末か昭和のはじめの頃小学校に行っていた妹の章子につき添って
宵子と私が行った事があった。二度目の高尾さんではあったが記憶
は全くなかった。お座主の山本指月さんをはじめ句会の方達の大変
なおもてなしを受け恐縮。鹿野山から笙堂さん達も見えて盛会であ
る。清滝庵に小憩、自動車で登山。

春の日のこの見事なる法の山

鶯や清滝庵に小憩し

匂やかな霞真下に町見ゆる

  同行十数人山頂の宿院に泊る

 四月二十日 姉と一緒にまず丸ビルに立寄り句会場小石
伝通院礫川会館へ。

葉桜や伝通院へ道ますぐ

よるべなき道行春の人通り

人の死も今は遠くに春暮るゝ

 富士駅にて渡井夫妻、喜代美さん達大勢の出迎えを受け、タクシ
ーで白糸滝へ、先年行った時と大分趣が変っていて大変賑やかにな
っている。何階建かの鉄筋の建物が目立つ。その前の丘に父の句碑
があった。

花見にと馬に鞍置く心あり   虚子

 つつじを記念に植える。雨はやみなく降っていた。

 滝へ降りてゆく。先年と違った道である。芋露さんがすべて案内
して下さる。卯の花が美しい。滝茶屋に休んで句を作る。

月育ちゐる筈明日は立夏なり

透きとほる暮春白糸滝の水

滝音にとりかこまれて今一人

滝しぶき浴び霧雨に濡れ遊ぶ

滝水の流れにざぶと入り歩く

滝風に吹かれ霧雨うづ巻きぬ

 六月二十二日 羽田から北海道へ旅立つ。同行、藤島紀子、前田
明、野間きみ子。

 交魚子、白風、謡村さん等のお出迎えを受け登別へ向ってドライ
ブ。途中、白老の町に立寄る。以前とあまりにも変っているのでが
っかりする。室蘭著五時。登別、滝の家投宿。以前は小家と思って
いたが大変広くなっていた。宿の前に大勢のお出迎え。梅田幸子さ
んはじめなつかしい人ばかり。二十三年に来たとのこと故、十五年
ぶりの登別である。小句会。

温泉あがりの汗乾く間を一人をり

郭公の話の少し出でしのみ

 本当に話が沢山あって落着く間もない

水音の記憶もどりぬ滝ありし

 さすがに涼しい 寐る前にマッサージをしてもらう 雨が降り出
していた

 父の句碑「囀や絶えず二三羽こぼれ飛び」を見にゆき度かったが句碑への道が大雨のため行けぬとのことで中止。カルゝス温泉の、「よくぞ来しこの青嵐に包まれて」の句碑は先年の洪水でどこかに流されて見えなくなってしまったという。そういえば部屋についている風呂場はその時の水で壊れたものらしく、大きくひび割れていて使用禁止であった。

 松蝉が鳴き出した。宿の女中さんは、あれはひぐらしぜみだという。

発つ朝蝦夷春蝉に覚まされて

 九月八日 玉藻探勝会 平林寺

 九時鎌倉発 池袋よりバス

禅寺の静けさ秋の風の中

道標べあれば従ひ秋の晴

この道に思ひ出ありし法師蝉

野火止の秋の井水のほとばしり

昭和39年(1964年)

 三月八日 玉藻探勝会。深川不動。鼓声さんの御案内で秋山扶木
主監、松田照豊執事にお会いする。十一時頃私等の為の護摩供に預
る。電車通りのかね松で鰻飯で昼食。

木場へゆく時間ぎりぎり町余寒

春寒や護摩の火の今飴色に

暖かに心通ひて目礼す

 五月七日 前夜行で大船を発ち、五時過ぎ敦賀着。宮川史斗、西
村耿雨、桂本ひろ緒、三輪きぬえ、高木桂史、水江柳史、山本伸児
杉田越陽、北川沙羅詩さんの出迎えを受け、特別の船で敦賀港を出、
一路色の浜へ。

夏潮のこの色の濃さ朝日さし

手の裏に船一寸と著き夏の潮

水鳥が見え来夏木々茂りあひ

色の浜に着き、早速朝食を頂く。

寝不足の濃き寺の茶を古茶なるや

 砂浜に「ますほの小貝」を拾いに出ると、数年前に父と来た時と
同じような思いになって来る。お寺は本堂の修復中で、大分賑やか
さがこの閑村にも寄って来ていた。松蝉がよく啼いていた。

夏潮のまぶし眠たくなりにけり

ねむたき目そのまゝつむり旅薄暑

一人子に友達が来ぬ寺薄暑

思ひ出はこの道に消え夏の蝶

竹伐りて土地をひろげて寺が建つ

 昼食も御馳走になり 十二時三十分再び船に乗り帰途 寺の妻が
ますほの小貝を小さな紙包にして土産にくれる

父の跡訪ね訪ねて卯浪蹴り

 田の浦に寄港、祭帰りの人々がお重を下げて乗り込む。常宮湾、
繩間、名子、二村などと思い出の島の名を繰り返し見ながら敦賀に
戻る。

 永平寺へ向う。永平寺泊り。

 タクシーをやとい三国へ 柏翠居へ 東尋坊吟行 野本永久さん
も見える

遊船の人に手を振り答へ見る

海女客を得んと炎天走りゆく

快く疲れて戻る宿涼し

涼風によき計画の又生れ

 諏訪神社へ詣る

秋宮に記憶なかりしこと涼し

忘れたること人にきく朝涼し

風人子夫妻薄暑の諏訪へ旅

峠路の木下闇恋ひ旅に出し

 塩尻峠へ行ってみる 明日は和田峠を越えて小諸へゆく

 五月十八日 八時五十分出発 西餅屋 それからトンネル 東餅
屋で力餅

和田峠今我等ゆく老鶯に

 大門の佐藤万喜子さんを訪ね眉峰さんの霊前に詣り小憩。小諸へ。

 小山栄一氏の霊前に詣り、小諸駅で見送りの白湖さん等と別れ、帰
途につく。

 六月三十日 夏草会 六義園

苑訪ふやこたびも泰山木さかり

二枚の戸はづし即ち夏座敷

 七月十五日 句謡会 下曽我 雄山荘

日傘さし歩くほかなし森見え来

まづ熱き茶を汗さつと引きにけり

人涼し此処まで遙か来れば旅

 城前寺という浄土宗のお寺がすぐ近くにある 父の盆供養

端居してこの荘の夜を想像す

客をもてなす河原なでしこダリヤなど

 浮御堂へ詣り、湖中句碑を見、夕刻句会。

枯れそめし芦の下端に湖の波

秋風の冷ゆる日は早や鴨来ると

秋雨の湖に降りつゝ暮れゆくを

 十月十五日 冨士子の案内で秀好の家を訪問 栂尾高山寺

前山の松の姿ぞ秋深し

紅葉には早やかりしかど美しき

 青い中に早紅葉見えている山を私等は見ても倦かぬ思い
であった。

 九分おくれて三時十七分山県着。観光課長白根利雄氏と降矢東郊
さんの出迎えを受け、小型バスで蔵王温泉へ向う。一時間後着。
江屋


この雨は雪呼ぶ雨ときゝ温泉に

頂は早や雪降るときゝ温泉に

 オリンピックの閉会式を宿のロビーでゆっくり見物 足許から
ぞくぞくと冷え込むような寒さになる

 二十三年前に父と来たことがあるところであるが、全く記憶がない。父の句碑と兄の句碑が並んでいる。傍に大きな銀杏が立っている。

この銀杏黄ばめば雪の降るといふ

寺苑より霧氷見えゐる山の名は

時雨れしはほんの二三歩ゆきしとき

 十二月十四日から一週間、姉と二人で東海ホテルへ仕事(虚子一
日一句
)に行く、冬晴がつづいて、仕事は家にいる三倍もはかどっ
た。五日目には予定の分が出来上り、その翌日一日中美しい雨が降
った。

枯菊のその潔き気品かな

親切な人にかこまれ冬籠

人々の心にあまえ冬籠

『句日記』U

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