2021年京 都

東本願寺〜重要文化財〜
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渉成園から東本願寺(HP)へ。

東本願寺前噴水


東本願寺

 真宗大谷派の本山で、真宗本廟といい西本願寺と区別して一般に東本願寺と呼ばれている。

 本願寺は文永9年(1272年)宗祖親鸞のむすめ「覚信尼」が、東山大谷の地に仏堂を建て、親鸞の御影を安置した時にはじまるが、室町時代第八代「蓮如」の時代に教団は飛躍的に発展し、戦国時代には大きな勢力となって織田信長にも対抗した。豊臣秀吉は、六条堀川の地に本願寺を再興し、ついで徳川家康は慶長7年(1602年)この地を寄進し、第十二代「教如」が堂舎を建てて本寺がはじまった。

 堂舎は、その後たびたび火災にあい、現在の建物はいずれも明治時代からの再建であるが、真宗寺院の典型的な様式と配置を示している。親鸞の御影を安置する御影堂は阿弥陀堂よりも大きく造られて中心をなし、高さ38メートル、正面の幅76メートル、内部は927畳の大広間であり、竣工は明治28年である。

 寺宝には親鸞直筆の教行信證(国宝)、紙本著色本願寺聖人伝絵(重文)等の文化財のほかに両堂再建に使われた「毛綱」等多くを蔵している。

京都市

御影堂門


国指定重要文化財

 正面21m、側面13m、高さ27m、木造建築の山門としては、世界最大級。重層造り、左右に山廊を付す。明治40年(1907年)起工、明治44年(1911年)落成。楼上には「真宗本廟」の額が掲げられ、浄土真宗の根本経典『仏説無量寿組』の会座(えざ)を表す、釈迦如来・彌勒菩薩・阿難尊者の三尊像が安置されている。

真宗大谷派東本願寺

 御影堂門は、知恩院三門、南禅寺三門とともに京都三大門の一つとなっているそうだ。

御影堂


国指定重要文化財

 宗祖親鸞聖人の御真影を安置する重要な建物で、真宗大谷派の崇敬(すうきょう)の中心をなす。

 境内のほぼ中心に建ち、正面76m、側面58m、高さ38mの規模をもつ、世界最大級の木造建築物である。

 明治13年(1880年)から15年の歳月をかけて明治28年(1895年)に落成した。江戸時代に高度な発達を遂げた木造技術、彫刻、工芸の粋を集めて施工され、内陣は、幸野楳嶺や望月玉泉などによる明治期の京都画壇を代表する画家の筆による障壁画や襖絵で飾られている。また大屋根には約175,000枚の瓦が葺かれている。

真宗大谷派東本願寺

阿弥陀堂


国指定重要文化財

 御影堂の南側に建ち、御本尊・阿弥陀如来を安置する。

 御影堂の建築規模が和洋の道場形式であるのに対し、阿弥陀堂は禅宗様の仏堂形式で建てられている。

 御影堂と同じく明治28年(1895年)の落成。

 正面52m、側面47m、高さ29mで、内陣の両脇は羽田月洲・岸竹堂ら明治期の京都画壇の中心をなす画家による襖絵で彩られている。

真宗大谷派東本願寺

 明治36年(1903年)3月、高浜虚子は東本願寺に句佛を訪ねた。

三月二日発。正岡母堂を大阪に伴ひ、それより京阪地方に滞在す
ること三週間余、同二十五日帰京。その間、東本願寺に句佛を訪ね、
「東本願寺」を書く。


阿弥陀堂門


国指定重要文化財

 切妻造・唐破風付の四脚門形式。

 明治44年(1911年)の落成。

 下珠数屋町通の正面に建てられ、江戸時代には「唐門」と呼ばれていた。

真宗大谷派東本願寺

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