地獄谷より西北に小山一つ越ゆれば、湯沼とて、大小二つ相接す。小沼は数間四方、大沼は一町四方、いづれも三百度の熱泉なるが、硫黄の量多くして、其色黒し。
「北海道山水の大観」(登別温泉) |
昭和6年(1929年)6月6日午後、荻原井泉水は地獄谷と湯の沼を一巡した。 |
霧のはるる一ときは薄日さし死の沼の水 朽ちた小家と朽ちた舟が一さう、うぐひす
『海潮音』 |
昭和8年(1933年)6月13日、高浜虚子は北海道旭川俳句大会のため来道。 |
囀(さえずり)や絶えず二三羽こぼれとび 昭和八年六月十三日 北海道旭川俳句大会兼題。 |
新緑の林は、オオルリなどの夏鳥や厳しい冬を堪え忍んだ鳥たちの美しいコーラスに満ちあふれています。 ヒガラの小さな群が小枝伝いに通り過ぎてゆきます。 |
この句は、大正八年六月、高浜虚子は旭川市で開かれた北海道俳句大会に出席された時の作である。後に元の室蘭白鳥会の鈴木洋々子等が発起し、同氏数度の上京により、句集『五百句』の中から虚子翁の自選揮毫せられたものを鐫刻した。昭和十八年六月十五日竣工、同年十一月三日除幕式が行われた。高さ七尺、幅四尺五寸。神奈川県足柄下郡産本小松自然石の碑面を艶磨きしたものである。正前に地獄谷背後に大湯沼を望む幌別郡登別温泉の休養林内笹ケ岱の北部地点にたてられて居る。(室蘭・鈴木洋々子報) |
昭和23年(1948年)6月15日、星野立子は虚子の句碑を宿から歩いて見に行った。 |
夕食の前に父の句碑のあるところまで歩いて行つて見 ようと、大分乗り疲れのしてゐる身体を運動がてら地獄 温泉(?)の方へ歩いて行く。土が白つぽくなつて来る と、見広けた山裾の方に土色をした別府の坊主地獄のや うな熱湯の池が見下ろせて来た。句碑はそのさきの方に あつた。青々とした大木にかこまれて「囀や絶えず二三 羽こぼれとび」といふ俳句が石にきざまれて建つてゐた。 |