高浜虚子の句
遠山に日の当りたる枯野かな
十一月二十五日 虚子庵例会。会者二十八人。 遠山に日の当りたる枯野かな したゝむる旅の日記や榾明り |
父の郷里、松山の東野あたりから見る景色である。何かの話から「父さんの好みは、と人に聞かれたら、遠山の句をいつて、これが父の好みですといひなさい」と話したことがある。 |
埼玉県深谷市の妙光寺、東京都調布市の深大寺、長野県小諸市のチェリーパークライン、岡山県岡山市の吉備津彦神社、愛媛県松山市の東雲神社、明楽寺に句碑がある。 |
明治三十三年十一月二十五日、虚子庵例会での作である。この時虚子は二十六歳であった。 傑作と言われ、この句によって虚子独自の句境を確立したと言われる記念碑的な一句である。しかしこの句を解説するのは容易なことではない。 一読して句意は誰にも理解できる。表現もただ素直に述べられていて表現上の技巧など皆無である。述べられた事柄にしても何かを鋭く切り取って来たというものではない。枯野の向こうに山が見えるという平凡な景である。ただその遠山には日が当っている。遠山と枯野の取り合わせにしても格別面白いものでも新しいものでもない。 しかし人はこの平凡な風景句に即座に捨てがたい魅力を感じ、深いところで受容せざるを得ないだろう。 その理由を考えてみよう。素直に叙されているので、読者の頭の中にすっと景が浮んで来るが、それは誰もが心の中に持っている懐かしい風景と重なるのではないだろうか。見渡す限り蕭条とした枯野の果てにぽっかりと日の当った山がある。寒々とした景の中でそこだけがあったかそうに明るく輝いている。そのことが荒涼とした枯野に立つ人に一点の心の火を転ずるのである。それは救いでもあり人生の希望でもある。 人は皆そのような風景を心に抱いているそういう意味では普遍的な景と言ってもよいだろう。考えてみれば、遠山にしても枯野にしても普通名詞であって、具体的な山や野ではない。題詠であるから、虚子は故郷松山の景を思い浮かべたのかも知れないが、それは虚子の心の中で抱かれ続けることによって具体性を捨象され抽象化された懐かしい景になっていたはずである。 この句は眼前の事実を主観を加えないで、そのまま平明な言葉で表現した写生句とよく言われる。確かに純客観的な詠み振りであるが、温かで懐しい主観が秘められた句である。虚子の写生を考える上でも参考になる。 |