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元禄16年(1703年)、加賀国松任町の表具屋福増屋六左衛門の女として生まれる。 |
| 享保4年(1719年)8月24日、支考は福増屋に千代女を訪れた。 |
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いなづまの裾をぬらすや水の上 |
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享保6年(1721年)、露川は門人燕説を伴って北越地方を行脚。 |
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池の雪鴨あそべ迚明てあり |
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享保6年(1721年)18歳の頃、結婚。 享保7年(1722年)、夫と子に死別、実家に帰ったといわれている。 |
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子をうしなひて 蜻蛉釣りけふはどこ迄行た事か 我子を失ひける時 蜻蛉釣けふハ何處まていつたやら
『増補加賀千代尼發句集』 |
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享保10年(1725年)、京の東本願寺に参詣。伊勢の中川乙由を訪ね入門。 |
| 対二加陽千代女一 |
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| 麦林 |
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| 国の名の笠に芳ばし花の雪 |
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| とを(ほ)き日影も水ぬるむころ | 千代 |
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享保11年(1726年)、魯九は北陸から陸奥へ旅立つ。途中、千代女を訪ねている。 |
| 同松任 千代女を尋て |
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| 旅人に落馬なさせそ美人草 | 魯九 |
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朝の日の裾にとゞかぬ寒さ哉 |
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享保12年(1727年)4月1日、里紅は美濃から越前・加賀・能登・越中に俳諧行脚。 |
| 晝顔の行義に夜は痩にけり | 千代女 |
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| 瓜の盛を兒の里をり | 里紅 |
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| 繕りも大工の下手に長ひきて | 若推 |
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享保17年(1732年)30歳の時、京都で中川乙由に逢う。 |
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加賀の千代女に洛にめぐり逢て 九重を一重で歩行(ありく)小百合かな |
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淋しさは聞人にこそかんこどり |
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延享3年(1746年)6月、凉袋は金沢から伊勢に赴く途中千代女を訪ねた。 |
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松任の里なるちよ女を問ふ。風雅の妙所はいまさら云はじ、市中に婦人の産をわすれざるを感じて、 |
| 染かへて住ぬはふかし紅畑 | 都因 |
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| 御あいさつに、 |
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| 松はなしあふぎの風をひゞく迄 | ちよ |
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寛延2年(1749年)、幾暁は千代女を訪ねた。 |
| 千代婦に対して |
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| 風も月もほそき扇に任せけり | 幾暁 |
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寛延3年(1750年)6月12日、麦浪は小松を出て松任の千代女を訪ねた。 |
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水無月十二日は小松を出て松任に至る。千代女を訪ふに其日は他にあり、机上の硯をたづねて |
| 夕顔やもの読捨た留守の窓 | 麦浪 |
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麦浪の旅館を訪ねて |
| 雲の峰見上げて近ふなりにけり | 千代女 |
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『夏の白根』 |
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宝暦3年(1753年)10月、梅輦は梅斧と三井親和の書で「芭蕉塚」を建立。 |
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蕣やおのが蔓かと蔦に咲
『千ひろの陰』 |
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宝暦4年(1754年)10月、出家して素園と号した。 |
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尼になりし時 髪を結ふ手の隙明て巨(炬)燵哉 |
| 冬日素園尼を訪て |
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| 水仙やものにそまらぬはなごゝろ | 既白 |
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| 見え透まゝに冬の枝折戸 | 素園尼 |
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| よめかねる事を使に問あてゝ | ゝ |
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宝暦9年(1759年)、既白の奥羽行脚を送る。 |
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既白法師あづまのかたへおもむき給ふをことふきて、 |
| 若草や帰り路はその花に待 | 素園 |
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宝暦10年(1760年)9月、千代尼は越中井波御坊の親鸞上人五百回忌法要に参詣。 宝暦12年(1762年)、千代尼は吉崎御坊に参詣。 |
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けふといふけふはじめてよし崎の御忌に詣 でける有かたさのあまりまづ御場よりはい したてまつりて うつむいた所が台やすみれ草 |
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宝暦13年(1763年)8月、61歳まで詠んできた句の中から21句を厳選して幕府に納めた。 |

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明和元年(1764年)、『千代尼句集』(既白編)刊。藤松因序・半化闌更跋。 |
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明和6年(1769年)4月15日、田中千梅は江戸深川で没。享年84歳。千代尼は追悼の句を寄せている。 |
| いたみ |
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| 加賀松任 |
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| かなしからんその夏の日のゆきあたり | 千代尼 |
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『なつぼうず』 |
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明和8年(1771年)、加舎白雄は北陸行脚の途上、加賀の千代尼を訪れている。 |
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其名芳しき千代尼を訪ふ。長途いたわりもてなしせき也。殊さら病中のもどかしかりけんと思ふものから 、 薬はさまし心づくしを蚊遣り種 |
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素園尼の身まかり給ひける行年に、任口上人の月をめでて七十三と老襄の吟を思ひ出て、 |
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月をめでて花を見つくし七十三 康工
『津守船(初編) |
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天明2年(1782年)、田上菊舎は千代尼の跡を訪ねている。 |
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松任なる千代尼の跡を訪ふに、白烏といへるぬし出逢て、千代尼在世の事抔物語一夜舎りぬ。 花見せる心にそよげ夏木立 破れし蚊帳に移る月影 白烏 |
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寛政11年(1799年)、二十五回忌に千代尼塚建立。 |

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文化8年(1811年)、金沢の念西寺に千代尼塚建立。 |

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文化12年(1815年)、千代尼塚標石建立。 |

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けふはかり背高からはや煤拂ひ 雪のある松に聞すな風の音 涼風やたもとにしめて寝入まて 松の葉もよみ尽すほど涼けり 三吉野や与所の春程かへり花 十六夜や今あそこにて見える雁 二ツ三ツ夜に入そうな雲雀哉 眼をふさぐ道もわすれて山ざくら 初しくれ水にしむほと降にけり ころぶ人を笑ふて転ぶ雪見哉 落鮎や日に日に水のおそろしき 月涼しあの葉この葉も只置ず きじ啼て山は朝寐のわかれかな 初しくれ京にはぬれす瀬田の橋 菊畑やいかにすぐれて残ぎく 水仙やよくよく冬にうまれつき 落鮎や日に日に水のおそろしき 秋立やきのふのむかし有のまゝ 似た事の三つよつはなし小六月 |
