俳 書
『三日月日記』(支考編)
享保15年(1730年)、三日月塚を建立した記念集。
享保15年(1730年)8月、『三日月日記』(支考編)。自序。
享保16年(1731年)2月7日、支考は67歳で没。
此三日月日記といふは、元禄の初(はじめ)つかた、祖翁は武江の深川にいまして、『廬山遺集』を学びんとて、入来る人々の詠艸をあつむるに、素堂隠士の序詞ありて、先は三日月の風流より名月夜の物数奇までえらびて『三日月日記』とは題せり。其撰もいまだ半端なる比に、羽黒の図司呂丸といふもの、年まだ若きお(を)のこながらも、風流の旅寐おもひ立て、そこの松嶋・蚶潟より武江の芭蕉庵にもしばしばやすらひ、もろこしの芳野はいざしらず、須磨のあかしをも見残さじと、都に其年も暮けるが、明るきさらぎの始ならん、世ははかなくて、身まかり侍りぬ。しかるに其お(を)のこ、かの芭蕉庵のやすらひに、『三日月日記』の草稿を行脚のかたみに乞ひ請て、先とて古郷につかはしけるとぞ。それを其国のなにがし竹江といふ人の持つたへしを、年月わりなくいひむつびて、佐川氏李夕のあるじなむ、今の一軸のぬしとはなりけり。さるを其地の人々、かくてありなんもほゐなしとて、享保庚戌のとし、梓にちりばむる事にぞありける。しかれども此日記はいまだ其比の草庵なるに、『三日月日記』は伊賀にあるよし、祖翁の遺状にかきたまへば、其清撰も見まほしくて、爰に年月もおくり侍りしがかくてかれこれにたゞしあはするに、蓮二を選場の証人とし、百世の記念にはつたへんとぞ。さるは三日月の、空にさやけく、いつの世までもひかりたへ(え)せじとなり。
享保庚戌仲秋日
蓮二老人謹序
芭蕉庵三日月日記
序
| 山素堂
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我友芭蕉の翁、月にふけりて、いつとはわからぬ物から、ことに秋を待わたりて、求めなく、ある時は敦賀の津にありて、越の水海にさまよひ、其先の秋は、石山の高根にしばし庵をむすひて、琵琶の湖の月を詠じ、二とせ三とせを隔て、此郷の秋と共にあふなるへし。文月の始は、蚊のふせぎも静ならず、たま祭る頃は、これにかゝつらひ、有明の頃・下絃の頃も、雨のさはりのみにして、初秋は暮ぬ。中の秋にいたりて、はつ月のはつかなる頃日より、夜毎に名月のおもひをなし、くもりみはれみ、扉をおほふ事まれ也。我庵近きわたりなれは、月に二人隠者の市をなさんと、みつから申つることくさも古めきて、入来る人々にも句を勧る事になりぬ。むかしより隠の實ありて、名の世にあらはるゝ事、月のこゝろなるべし。我身はくもれと、すてられし西行だに、くもりもはては、苔のころもよかはきだにせよと、かくれまします遍正も、かくれはてず。人のよぶにまかせて、僧正とあふがれ給ふも、猶風流のためしならずや。此翁のかくれ家も、必隣有。名もまたよぶにまかせたるべし。
隱にして進むもあはれ三日の月
| 素堂
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三か月や地は朧なる蕎麦畠
| 芭蕉
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雨戸挽音や東に三かの月
| 岱水
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影ちるや葛の葉裏の三日の月
| 杉風
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三か月やはや手にさはる草の露
| 桃隣
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三日月や影ほのかなる抜菜汁
| 曾良
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もろこしや葉をもり兼て三かの月
| 宗波
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宵 月
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池水も七分にあり宵の月
| 其角
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晝からの客を送て宵の月
| 曾良
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菊は東籬にさかへ、竹は北窓の君となる。牡丹は紅白の是非にありて、世塵にかけざる。落葉は平地にたゝたず。水清からざれば花咲ず。何れの年にや、栖を此境に移す時、芭蕉一もとを植ふ。風土芭蕉の心にやかなひけむ、數樹の莖を備へ、其葉茂り重りて庭を狭め、萱が軒端もかくれるばかり也。
右芭蕉を移言葉
望 月
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名月や門に指くる潮頭
| 芭蕉
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川筋の關屋はいくつけふの月
| 其角
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川そひの畠を歩行月見かな
| 杉風
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耆(としより)や月みに出す唐頭巾 宗波
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ならひ居て庭に月見る作男
| 曾良
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名月の氷ゐにけり芦の隈
| 彫棠
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鯛かこふ漁(いさり)もさすが月見哉
| 千川
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松の木や大きな庭の今日の月
| 此筋
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旅 店
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荷筵を縁にひろげむけふの月
| 曲水
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此秋は月見の友もかはり鳧
| 許六
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名月や縁とりまはす黍のから
| 去来
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山野に逍遥して
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岩はなや爰にも月の客独
| 同
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侍も露になりたる月み哉
| 史邦
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旅立事心に有て
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名月や坐にも引はだ柄袋
| 珍碩
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名月や先蓋とりて蕎麥をかぐ
| 嵐雪
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松しまや物調(ととのひ)しけふの月
| 呂丸
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凉しさやほの三日月の羽黒山
| 芭蕉
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右三日月日記
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名月はふり能(よき)馬をあゆませよ
| 重行
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三日月塚誌
ことし享保庚戌の夏、出羽の鶴岡なる人々のおもひ立る事ありて、芭蕉翁の塚を造立す。さるは、此国に行脚の昔、「凉しさやほの三日月の羽黒山」といへる遺詠ありしを、今の碑面に移して、永く其影をしたはんとなり。
さはよし、風雅の親切ながら、道に門人の報恩なるべし。そもそも翁の墓所は、湖南の木曽寺を本として、武江の深川に発句塚あり、伊賀の上野に枯野塚あり、殊に都の双林寺には七字の謎文に石碑をきづく。
近江の平田に笠塚も、越中に井波の翁塚も、加賀の金沢に無縫塔あれば、越前の府中に色紙塚ありて、難波はまして終焉の地なれば、その魂をとゞめずといふ事なし。西は備中の(に)も、長崎の(に)も、肥後の熊本にもありと聞ゆ。況や美濃・尾張は経回の地なれば、大垣に尾花塚あり、笠寺に千鳥塚ありて、およそ日本六十余州に、爰に祭れば爰にいますがごとく、三十二応の影をわかちて、いづこに行としてか信ぜざらんや。元より奥羽の両国は、生前の旅寝になじみ給ひて、あるは松嶋の花にうかれ、あるは象潟の雨に侘て、今はた其魂も此境は見はなし給はじ。しからば此道の冥加を祈らんにも、春は桜のたむけより花橘の香をわすれず。秋は紅葉のかざしより菓(このみ)のそなへもまめやかならん。まして時雨月の十二日は、其霊魂を祭る日なれば、一句一章もおこたらじとや。されど其志の浅からざらんには、たとへ季札が釼のひかりは、名のみむなしく伝ふるとも、三日月塚の一燈は月々に猶あらたなるべし。
芭蕉翁
石塔供養 長歌行
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三日月の影するとなり夏氷
| 里紅
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仰げば山の風薫る時
| 李夕
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唐韵もいろはの智恵に埒明て
| 風草
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留守の栄耀(ええう)の寐たり起たり
| 嵐七
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羽黒ノ晩鐘
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三日月のかけて飛日や晩(くれ)の鐘
| 蓮二坊
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月ノ山ノ有明
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有明の宿は留守なし月の山
| 椅彦
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鳥海ノ暮雪
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飛鳥の空に声なし峯の雪
| 巴静
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追 加
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題春蚶潟
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| 伊勢
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象潟やどこへ帰帆の雁の声
| 乙由
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散際は芥子の浮世や笹粽
| 玉之
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春もやゝ重りのかゝる柳かな
| 杉夫
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| 京
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精進の生海鼡を料る胡瓜哉
| 山只
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| 美濃
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桐の葉の捨て見せたる団扇哉
| 廬元坊
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| 尾張
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水くさふ(う)秋もなりゆく木の葉哉
| 巴雀
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石菜(つは)の葉の両手に持や今朝の雪
| 以之
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| 越前
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引かけて茶臼にしづむ暑かな
| 韋吹
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| 加賀
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風蘭や山のすがたを中に見る
| 若推
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雪のある松に聞すな風の音
| 千代
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鶯や雪折も茶の下にきへ(え)
| 希因
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| 越中
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横に降こゝろ直るや春の雪
| 林紅
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山吹や散日の顔も水の世話
| 椅彦
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| 越後
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花咲や曇は年の出来不出来
| 巻耳
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横雲の一刷毛涼し屏風谷
| 桴仙
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| 江戸
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万歳の日和うらなふ鼓かな
| 長水
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| 筑前
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名月や明る気先は芳野行
| 杏雨
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| 杏雨妻
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酒買の忍ぶ道あり藤の花
| 市女
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| 出羽
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から鮭よ枯たる木にも放生会
| 也柳
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| 本庄
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淋しさや風に音せぬ種瓢
| 英義
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表札のうへに宿とる燕かな
| 英良
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| 鶴岡
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君がため麦とは読ず若菜哉
| 風草
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三日月塚懐旧
此名を三日月塚といふは、一とせ祖翁の行脚の比、此山に杖をとゞめたまひて、「凉しさやほの三日月の羽黒山」といへる納涼の吟にめで給ひて、なにがしのあざりのもてはやし給へば、爰にしばらく旅のこゝろをなぐさむ。まことや其魂のいますがごとく、杉の木末も青みがちなるに、三日月の影ぞ月々に尊ふとき。
| 蓮二老人
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鷹も出羽の国なればこそ
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そらに三日月の名もとゞめしを
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五十年(いそぎ)の夢の箭(や)よりもはやし
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秋の行衛の跡の白雲
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懐木曽寺名月
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| 李夕
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月見る心ひとしからざる
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野に寐つ山をうかれ歩行(ありき)つ
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我はそゞろに物がなしくも
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粟津にあはぬ人をのみ思ふ
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懐発句塚時雨
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| 風草
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遠きむかしも塚をしるしに
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住かはる世の人のなつかし
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そらに笠着る名は有ながら
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時雨にかくす武蔵野ゝ月
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