有井浮風・諸九

『窓の春』(浮風編)

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志太野坡十七回忌追善句集

宝暦6年(1756年)、『窓の春』(浮風編)。春陽庵杏雨序。風律跋。

巻頭に野坡の代表作「ほのぼのと鴉くろむや窓の春」の一軸の画を掲げる。

   誹諧窓の春   天

 宝暦六子正月三日、高津野ゝ翁十七回に當りぬ。左右とをられし梅従風之も故人と成、今浪花に殘りて弔ふもの、我はかりと心細く、追善の小集を思ひ立まゝに、行脚の志胸にせまり、前の年九月三日、無名庵に法莚を引挙、染殘されし一軸に嶋月の文臺をかさり、あたりちかき風友をまねき、画像に焼香し侍るとて、

泣かほや秋をひとりのおほろ月
 湖白庵
浮風拝

   追善誹諧百韵

茶にゆかし去年はことしの初昔
 高津翁余緒
 栄寿

 鳴うくひすも覚えあるかほ
 浮風




諸国句勧進も大かたにとゝのひ、師走の末つかた五条の草庵に杖を休めて

高瀬川汲て氷にして見はや
 浮風

 炭ふき起す弟子の車坐
 文下



   追善哥仙面

鶯の鳴たる枝を手向かな
 洛下 女
 雎鳩

 閼伽に汲よき雪とけの音
   
 琴之



   四季混雑
 洛下
梅見なり居士衣に若衆二三人
 文下

舟引の妻は何して千鳥かな
   
 雎鳩

春雨や柳をしほる夜の音
 琴之

   四季混雑 遠國到来

寺まいりつゝく袴や土筆
 豊後日田
 りん婦

苗もはや水鶏の脛をかくしけり
 備中倉敷
 暮雨

浦山の月に歟皃の其黒み
 備後岡山
 松吾

月雪や老は杖さへこのまれす
 筑前直方
 文雄

一つまみ若やかす茶や鹿の聲
   洛下
 江棧

初梅や氷をしほる瀧の音
   福岡
 杏雨

往還もとまれ今宵の月の雪
   洛下
 山只

紅梅や雪の跡から味なもの
   浪花
 鳥酔

名をしらぬこそ凉しけれ水艸は
   粟津
 雲裡

せはしいは老木のくせや梅の花
   
 文素

凉しさや硯の中に砂の音
   イセ
 麦浪

大空のとこへつかへて柳かな
   東武
 凉袋

凉風や夢にもさせす目も覚す
   
 秋瓜

   紫野にて

靜さよ菫の中の寺幾つ
   
 柳几

先にある物にして行凉みかな
 止弦

麦秋も二日とはなし須磨の里
   越中
 麻父

日最中の花靜也虻の聲
   加賀
 麦水

三吉野や与所の春程かへり花
  加賀尼
 素園

蘭の香や岩に添てもかたからす
   美濃
 五竹

飲くらひ唯曉の月見かな
   鳴海
 鉄叟

   重陽の吟とて或人のかたりける

根のあるはけふはつたなし菊の花
   浪花
 淡々

   四 季

世中の花は不思議よ芳野山
浅生庵

からかさの我やかつらおほとゝきす
 ゝ

庵指圖月はいつこに置へきそ
 ゝ

松風や此あかつきの雪の嘘
 ゝ

   四 季

陽炎もつれて八嶋は汐干哉
 梅従

昼は寝て男かつらきほとゝきす
 ゝ

明月や鳴門なにむるおろゝ艸
 風之

鷹の夜も獨はうとしぬくめ鳥
 ゝ

   四 季

鷺と皃見合する寝起哉
 浮風

白雨に思ひきる野の座頭哉
 ゝ

初雁や杖横たへて竿に立
 ゝ

蕎麦切の砧聞せよ冬こもり
 ゝ

   筑紫の青陽庵にまかりける時、須
   磨明石の吟はと問れけるに

朝なれや紅葉を見こす明石ふね
 ゝ

油火は酒家か須磨の綿くるま
 ゝ

誹諧窓の春   地

鶯や雨見る石にたはこ盆
筑前フクヲカ
 杏雨

行春は爰にかくれて山桜
   直方
 文雄

梅咲て女子となるや黒木賣
   廣陵
 風律

   行脚に赴とて浪花の余波に

残り雪草になる迄見て立ぬ
 浮風

   あるし行脚の留守を守りて

待日数うれしや暮て郭公
 雎鳩

   行脚の比

月今宵露の命を笹のうへ
 浮風

   師走の末、五条の庵に入て

のみ水に加茂川持て千鳥かな

と申しけれは人々をかしかり、ちとり庵ちとり庵と呼れて、其名を名のる事になりぬ。

   千鳥庵記

五条あたりにかたはかりなる軒端あり、春来ても川風寒し。六畳の間に巨燵を置、机をならへ、次の二畳に釜をすへ、薪を積、沓ぬき一畳、合せて九畳の名あるも、都の住居にはをかしくそ覚へ侍る。

聞ものは朝鵆、夕ちとり、夜るは猶啼まとひて、感しはらくもやむ時なし。

とし立や庵はちとりの百千鳥
 浮風

今はむかし、ひとりの翁あり。あるとしの旦に、ほのほのと鴉黒むや窓の春、といへるそ春霞立田の花の匂ひふかく、風に散かつらの紅葉の色こきか如し。その弟子一集をおもひ立、難波を出て西の方におもむき、筑前の国に至り、しるへある閑亭に杖をとゝめて、主人とうなつきあひて、この集の名を窓の春と呼れけり。其人のもとめにまかせて是をしるす。この翁は淺生先生なり。弟子は浮風子也。亭の主人は杏雨子なるへし。

宝暦六丙子年
 風律

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