立子句碑

「玉藻俳話」 ・ 「続玉藻俳話」

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昭和11年(1936年)

 一月十八日。谷中、本行寺へ。吉右衛門さんによばれ
て私も父と一緒に出かける。古風な感じのいゝお寺であ
る。吉右衛門さんは一人娘の正子さんに風邪を引かれて
は大変と思つて外へ出さない。御自分も大変部厚に着物
をきてゐられるらしい。私はまづ出かけることにして日
の当つた玄関の広い踏台に下り立つ。一瓢といふ俳人が
此のお寺にゐて一茶も尋ねてきたことがあつたとかきく。
しばらく寺内を歩いて句を作つた。

  墓道となり凍土のもの深く

  凍土の上ほかほかとかわきをり

 白壁によりかゝつて立つてゐると、

  足に射す冬日たのしみをりにけり

 本当に暖かだ。正子さんをよんであげようかと考へた
が、そのまゝ長いこと其処に立つてゐた。

 八月二日。武蔵野探勝会。飛鳥山の旧渋沢子爵邸(曖
依村荘)へゆく。

 本郷台を一眺の緑に立つて涼風に吹かれ立つてゐたの
はいゝ気持だつた。一寸嵐めいた風が吹いてゐるその中
に蝶々が面白く飛ぶ。埃が立つ筈の相当な風もこの高台
では木の葉を吹き落す丈で、見下ろす夏の街々の蒙々と
する白い埃からは別世界だつた。

  帰らねばならぬ用あり昼の虫

 一日の急がしい時間割ですぐに岡山城へ。

  城門に這入りゆく人花常山木

  しばらくは常山木の香とも知らざりき

 烏城ともいふさふでまつ黒な中々いゝ感じのお城だつ
た。たゞ城門をくゞつて這入つて下から暫らく眺める丈
にして今のつて来た船に再びのり、後楽園へゆく。旭川
といふ川は大好になつた。公園で大塚素堂さんにお目に
かゝりなつかしかつた。素堂さんに紹介されて小寺魚林
荻野かほる両氏に御挨拶する。公園内で小句会。

  城の下に立つ人小さき秋の風

  落ちつけばすぐに睡たし縞あげ羽

 千明に著く。赤城、榛名のすぐに見える部屋に通され
て、早速温泉にとび込む。鉄色した温泉がすぐに手拭を
赤ちやけさしてしまつた。私達がたのしく夕食を食べて
ゐる頃も又一団のお客が著いたらしく騒がしさが起つた。

  重ね著る宿の浴衣に皆似たり

昭和12年(1937年)

 厭離庵といふ立派なお茶室のあるいゝお庭だけを一寸
拝見してすぐに又道に出る。その日の会場は宝篋院であ
つた。美しい落花の一樹を奥庭に眺めながら、縁台をい
くつも並べた庭で中食をする。追々とみなさんも集つて
来られる。

  釈迦堂の春日の塀を牛車

 翌、十八日は中村公園へ吟行する。藤の花、菖蒲の花
など美しく折からの人出の中を静かに茶屋に憩みながら
句作することが出来た。

  縁に立てば菖蒲田の水光り見ゆ

 藤棚の大きな樹かげには客設けの席が出来てゐて、一
組の客がかへれば又次と繁昌してゐる。女中らが時々掃
除をしては煙草盆を新らしくし座布団の塵を払つてもど
つて行つた。大藤棚も今は雨も晴れたけれど、いつまで
もいでも雨雫が太く落ち、私達の散歩してゆく緑陰にも
時々冷たい雫が襟に降りかゝるのであつた。漸く晴れは
じめた頃に、大きな花火の音が響きわたり、いよいよ人
出もしげくなつて来る。すぐそばに豊国神社があつて其
処の祭でゝもあるのか。

  花火上るはじめの音は静かなり

昭和13年(1938年)

 四月二十七日、沼蘋女さんをおなぐさめする会を小石
川後楽園
で催す。あい子さんの御案内で涵徳亭を会場に
する。まだ公開されたばかりの公園なのでこの会場も如
何にも新しくもの淋しい。どうだんの花を見るのも久し
ぶりだといひいひして公園内を散歩する。

  空の色あせつ木の芽のあきらかや

 若葉の頃とて古木の多いこの園の見事にさかんなこと。
降りさうだつた雨もどうにかもちこたへたが少しもそれ
以上にお天気は快復しさうにも見えず、燕が沢山とび交
うてゐるのも何か淋しかつた。

  見えてきて飛燕は窓の空遠く

  別天女在るが如くに飛燕かな

 七月三十一日。武蔵野探勝会。七月三日が水害の為に
当日に延期されたのである。東京湾汽船のしのゝめ丸に
便乗して――

 隅田川を白鬚橋あたり迄も行つたか、珍らしい水上か
らの町の景色を心ゆくばかり楽しみ眺めた。夕立雲が行
手に現はれたと思ふ間もなく夕立に遇ひ、夕立が過ぎる
と早や船の水尾には日が光つてゐる。雲の峰がしきりに
題になつてゐるらしい。どこか少しも見えないけれどい
つも飛行機の音が響いて来てゐる。

 船中で茶菓の接待を受ける。ふと、

  羅(うすもの)の袖にはものを入れぬこと

と、全く別のものが浮んで帖面に書き込んで置く。お台
場や月島の水泳場近くもゆきかへり通る。

  水著きてボートは真白旗は赤

  お台場にそうて船ゆく蝶の昼

 夜、鵜飼見の屋形舟にのる。夕食を静かな舟の中でた
のしく食べながら先年、父が来た時には灯取虫が提灯に
ぶんぶん突き当つてとんで来て困つた話などきく。玉屋
かいた提灯をかざして花火屋の舟が寄つて来る。

  花火屋の舟来てこちの舟にぎやか

 一しきり騒がしかつた花火屋も去つて、上から下つて
来る筈の鵜舟をまつ間、

  滝音と河鹿の声と鵜舟待つ

 ほんのりと明るくなつて来るなと見てゐるとぼつとほ
んの色とまでもゆかない何かゞ川上の闇に現はれる。次
第に、

  鵜舟なり火舟人と順々に

 暫くは、

  鵜なはこく音と篝のもゆる音

 その夕方、今治から再び舟にのつて多度津に夜おそく
著いた。深川正一郎さんと柏葉中尉の軍服姿のお出迎へ
をうけて自動車で一路琴平に向ふ。用意して頂いた琴平
花壇
といふ大きな宿屋に投宿。宿には正一郎さんの奥様
がまつてゐて下さつた。

 十一月一日、宿の者に案内されて琴平様にお詣りする。
裏道をのぼつて行つたので正面から行くのよりも段は少
ないのだつたが、すつかり膝のところががたがたしてし
まふ程だつた。鵙が大きな声で鳴いてゐた。櫨紅葉と漆
紅葉の美しさ。

  みぞそばの花を手折りてとみかう見

 高松の駅には白川朝帆さんが元気に出迎へて下さつた。
自動車に分乗して志度寺といふところへ連れて行かれる。
志度寺は謡曲にもある有名な「海女」のはなしが今もの
こつてゐる通り、何ともいへない静かなもの淋しいお寺
であつた。

  秋晴や海女野の白き道見ゆる

 途中指された八島は、

  破風型に八島そびえて鵙日和

 海女野といふのは、この志度寺の横から海岸に下りて
行つてから見える右手の青い丘でそこに昔その海女が毎
日行き来してゐたといふまゝの古道が海岸から眺められ
るのであつた。

  海女の墓拝みて駈けて旅疲

 それから五剣山といふ摩崖仏のある有名な山に登るこ
とになつた。登り口はやはりお四国さんの詣る八栗寺
いふお寺であつて秋遍路が淋しく二三お詣りしてゐた。

  秋遍路浪花人とはなつかしや

 次は栗林公園である。夕方の公園は小寒く広々と美し
かつた。太鼓橋迄はゆかなくてもその端の上から鯉に投
げてやる麩に水の上をとぶやうな勢で鯉たちは集つて来
るのだつた。みるみる暗さもまして来る。

  夕鵙のうしろに叫び月前に

  石蕗すがれはじむる前のひとさかり

 公園を出て、靖国神社へまはる。参拝を終へて大村益
次郎の銅像に向つてゆつくりともどつて来ると、高い高
い銅像のむかうは大空ばかりで冬の雲が一かたまりま
つ黒くあつた。

  銀杏黄葉散りはじめゐし詣りかな

昭和14年(1939年)

 宇治は随分寒かつた。鳳凰堂の扇の芝。静かな池。

  夕方につきたる宇治の枯木よし

 三月十九日。大阪玉藻俳句会。新淀川堤、君堂にゆく。
寒い日であつた。

  風花に少しも濡れず旅衣

  訪はねども尼出て会釈名草の芽

 君塚を見、西行塚を見、いろいろと話をきく。尼寺の
庭には名草の芽が美しく出てゐた。それに舞ひ降る風花
は本当に美しく、駈けまはつてゐる子供等が絵のやうに
眺められた。

 三月二十二日。花鳥俳句会

  ものゝ芽に風花舞うて日向かな

 帰途、横須賀線車窓より、

  赤き色は楢の芽なりき春の川

 五月十八日。午後十時二十分上野発。父、母、章子、
私と四人仙台へ。

 翌五月十九日、針久旅館に入る。鈴木綾園さん、尾形
余十さん、小太郎さんに逢ふ。入浴、朝食。早速九時十
五分発にて母を残し、立石寺に行く。車中二時間余りの
間を句会。若葉が美しい。菜の花が美しく眠くなる。山
峡の中を汽車が行く心地。

  みちのくやつつじは草に低く咲く

 作並温泉に停車した時、駅の前の清水をのむ。いよい
よ晴れ渡り、此処から電化、窓をあける。広瀬川――奥
新川。

  蝶を見るいとまや旅の汽車の窓

  蝶の黄のだんだん濃ゆく山寺へ

 子規の果不知の記、と此の手帳にかいてあるが、父か
らきかされていたものらしい。

  面白山トンネルとこそ山清水

 面白山とんねるは随分長いとんねるであつた。とんね
るの中丈、複線になつてゐて、まん中のところで反対か
ら来る汽車を待ち合すやうになつてゐるのである。やが
山寺駅に著いた。持つて行つた「奥の細道」の七十四
頁を読む。立合川――河鹿が泣いてゐる。昼食後、立石
寺に詣る。道中の暑かつたこと、宿の女中の日傘を借り
て行つたので、父にさしかけながら歩く。立石寺の根本
中堂
の宝物拝観。一刻も消えたことのない――約千百年
来の消えずの灯は叡山より分けてもつて来たものである
とか。

 清和天皇の勅願に依り慈覚大師の建立のお寺。

  茶屋涼し野蒜ひとたば置かれあり

  宿の婢に借りし日傘をもやひさし

 五月二十日。今日は母も一緒に松島へ。

  五月雨の松島寒し昼餉まつ

  舟著くや五月雨傘を宿の者

 宿の欄にもたれて外を見てゐる。

  五大堂に漕ぎかくれゆく藻刈舟

  五月雨や近づく舟の艪休めて

 雨の中を瑞巌寺へ。三百三十余年もの老杉が立並び、

  くわつこうが啼いてゐる。

 やがて舟の用意が出来たといつて来たので大勢で乗り
込む。松島海岸を右に見つつ進む。雨も晴れて来た。藻
刈屑のただよふ中を進む。

  風涼し島の名ばかり教へられ

 藤のさかりの島も見て過ぎる。岩に生えたつつじに風
がびゆうびゆうと吹きつけてゐる島も見て過ぎる。

  島めぐる舟たのし新樹美しき

その翌日は早速近くのデパートに出かけたり、午後はト
ラピスト、五稜郭へも行つた。

 八月十九日。トラピストにて。

  秋晴や夢のごとくにサボーの音

  秋暑し修女に吾子従きわれ従ふ

 八月二十日。大沼公園へ。日曜日なので良一さんが先
導で総出で出かける。船を進めて湖を一周する。睡蓮、
薄畳、河骨、鵞鳥、どれもみんな夢のやうに美しい。

  入江あれば睡蓮畳花盛り

 美しく裾を曳いた駒ヶ岳に真向ひに船が進むことも
度々。

  駒ヶ岳の裾曳き秋の湖に消ゆ

  遊船に花の会あり花さびた

 同二十一日。十和田湖を遊船で休屋に。湖畔の太陽館
に寄りて休む。中食は十和田湖の鱒の照焼が今も記憶に
残つてゐる。あんなに迄晴れ渡つてゐたお天気が、突然
の大風に雷をともなつて土を抜き通すやうな夕立がやつ
て来た。七かまどの枝が葉をいつぱいつけたまゝ雨に打
ち落される有様は恐ろしい程であつた。そんな大夕立が
ぱたつと間もなくやんだ。と、どこからとなく又湖畔に
裸の子供たちが集つて来て水浴をはじめる。

  船著かぬ間を桟橋に泳ぐなり

 九月二十九日。宇治黄檗山にゆく。風が少し強い。残
暑の日は萩叢や池の水馬や大きな虻にいろいろな光をは
なたせてゐた。

  黄檗に萩の嵐の一日を

 九月三十日。玉藻大阪句会で奈良に行く。薬師寺

  塔の辺は松ばかりなる秋灯濃し

 秋の夕方の若草山はおだやかに眺められた。彼岸花の
太い茎に夕日が当つて色が染つてゐるやうに見える。蚊
がどんどん増して来る。今宵は居待月である。坂を登つ
たり下りたり、あちこち歩きながら月の出を待つ。どん
どん暗くなつて来る。遠くから畦道を来る自転車の灯が
まつ赤に見えて来る。美しい月が出る。

 唐招提寺

  わが影の築地にひたと居待月

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