立子句碑

「玉藻俳話」 ・ 「続玉藻俳話」

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昭和2年(1927年)

 同年、十一月二十四日にホトトギス婦人俳句会が生れ
た。婦人が主であつたが、従兄の池内たけしと私とが幹
事をつとめた。

  煤埃に目を細うする子猫かな

 よい句ではないけれど、婦人句会の最初の記念として。

  大仏の冬日は山に移りけり

昭和4年(1929年)

 寂光院を出て三千院へまはる。さき程までもさうであ
つたが大原は本当に椿が美しい。途中、種俵がところど
ころに浸けてある。

  種俵緋鯉の水につけてあり

  堰水にかならずあるや種俵

  落つばきしてゐる上を仰ぎけり

 呂川、律川。呂川に椿が流れてゐた。徳女の茶屋に倚
り中食をとる。それから電車にのつて詩仙堂へ。降りは
じめた春雨の中をとぼとぼと歩く。も早夕方に近かつた。

 詩仙堂は籬が何か青い葉の刈り込んだものであつた。
それに沿うて行つて門をくゞり入る。庭一面がまつ白に
見えた。添水が雨とともにだんだん音高く打ちはぜる。
暗くなつて雪洞を尼さんが灯してくれてそれを囲んで
句会をした。

  雨やんでしづくのたるゝ椿かな

  芍薬の芽の延びんとす勢かな

  門せまく春雨傘をかしげ入る

  菖蒲の芽枯葉の中におびたゞし

 草履で出かけた父は尼さんの下駄を借り、私共は傘を
借りてまつ暗になつた道を電車に乗るところ迄送られた。

 奈良は随分淋しいところだと思つた。公衆電話で奈良
ホテル
へ室を頼むと満員で裏通りに面した室でなければ
空いてゐないとのことであつた。人力車に揺られながら
ゆく。しんとした古めかしい玄関から竜宮のやうな造り
の欄や燈を見ながら二階の一室に案内される。古風でハ
イカラなホテルだと思ふ。

 翌朝、比古、三千女、洛水の三人が早く来られて、五
人で自動車の廻れるだけ奈良を見物する。まづ東大寺
それから西大寺に行く。一本の枝垂桜が美しい蕾をいつ
ぱいにつけて境内にあつた。唐招提寺は金堂に向つて左
手の方に池があつたやうにおぼえてゐる。

  金堂のほとりの水に菖蒲の芽

 金堂の屋根に時々晴れ間のうす日がさしてゐた。薬師
の塔の下に立つていろいろ父から話をきく。屋根の形
がいゝいゝといく度も聞かされる。私も大好きになつた。

昭和5年(1930年)

 八月二十七日。父の発案で武蔵野探勝会といふ新しい
企が実行された。先づ第一回目のその日は、府中の安養
寺を中心としての、欅並木を歩くことであつた。古い武
蔵野の欅老樹は高く高くそびえ立つてまつすぐな並木を
作つてゐた。

  新涼の欅並木をいく度びも

  新涼や欅並木を見上げ行く

 寺を出て、右の方へ道をとる。

 夏蚕を飼ふ家もあり、熱いぐらぐらと煮え立つてゐる
鍋から真白な繭をひきだしてゐる女の指先はふよふよに
ふやけてゐる。それらを立ちどまつて眺めながら寺の裏
の方に行く。道がつゞいてゐて、そのあたりは美しい珠
数児玉が花をつけてゐる。土橋に立つて、

  風に揺るゝ珠数児の花を見てゐたり

 十月三十一日。鎌倉俳句会、たかし庵。近くの杉本寺
へゆく。秋雨が細かく降つてゐる。一本の大きな銀杏の
木の下に子供らが落ちて来る銀杏の実を競つて拾つてゐ
る。

  拾ひたる銀杏かぞへ分けにけり

  はにかみて拾ひし木の実見せくれぬ

 境内は一面のひどい杉落葉。さういへば昨夜は随分ひ
どく風が吹いた。ひよどりが時々きては高く鳴く。雨が
大降りとなると、銀杏の子供たちは、どこへか見えなく
なる。

  秋雨のはげしくなれば堂縁に

 少し日がさしはじめた。冬の蜂が草の中でひくゝ音を
立てゝゐる。

  一列に芒や萱を岐け岐けて

 平林寺を出て、先頭につゞいてそれぞれ歩きはじめる。

  右銀杏左紅葉の落葉道

昭和6年(1931年)

 鎌倉の長谷観音の近くに光則寺といふお寺がある。そ
の庭は秋海棠が美しい。晴子を誘つて、早子、ばあやの
四人で子規忌の兼題を作りに出かけた。

  日当りの秋海棠のしをれゐる

  いびつなる秋海棠の広葉かな

 二十七日は鎌倉句会で、戸塚の親縁寺。戸塚といふ駅
にはじめて下りる。大きなバスに乗つてコンクリートの
国道(昔の東海道)をちよつとゆくとすぐに下車。左へ
一間幅程の道を曲る。やがて地蔵様の立並んだ中を上つ
てゆくとお寺があつた。

 戸塚は山茶花が多い、と思つた。

 よい心持だけれど句は一向に出来ないので、又、銀杏の
ある境内にもどつて来る。折から

  独楽もつて子等上り来る落葉寺

 帯もまじめに締めてゐない二三人の子供等が、下の小
さな家の方から正しい道も通らずにまつすぐに上つて来
て、一面の深々とした銀杏落葉の中へ、さつと独楽の紐
を引いた。よごれた用ひ古した独楽も、よくまはつてく
ると、まつ赤な筋を一本美しく浮ばせて、いつまでもい
つまでも落葉を蹴散らし蹴散らしまはつてゐた。

  赤きこままはり澄みたる落葉かな

  赤きこまくるくるまはる落葉かな

 やがて、独楽のまはしあひがはじまる。

  独楽二つぶつかり離れ落葉中

  落葉中二つの独楽のよくまはる

  あばれ独楽やがて静まる落葉かな

 武蔵野探勝会は川越の喜多院といふお寺。だらだら坂
の枯芝の庭の下の方に古池があり、杉林があり、霜があ
ちこちに残つてゐて寒い。みんな堂縁に冬日をあびて坐
つてゐる。

  杉落葉雨流れたる跡のあり

 方々に落葉のはきためてあるところがある。焚火跡に
大きな八ツ手の葉が焼け残つてゐる。

  霜解けのかわきかゝりし芝生かな

 歩いてゐるうちに、あちらにもこちらにもお庭がある
お寺だなと思つた。どこからか落葉を掃いてゐる大きな
音がして来る。落葉を焚く煙が流れて来る。低いところ
の古池の底にはいつぱい落葉が沈んで見える。

  落葉池ときどき水のふるへをり

 とにかく寒かつた。

昭和7年(1932年)

 九月十五日。句会の句会をラジオで放送するといふ日。
朝から曇りがちで、定刻、百花園に集つた頃はもうお話
にならない降りとなつてゐた。

 十月七日。晴子と二人父につれられて山陰俳句大会に
ゆく。たけさんも一緒。京都で時間ぎりぎりで目もあて
られぬあわてかた。社中で竹下しづの女さんにはじめて
お目にかゝる。中々にぎやかな旅。先づ疲れない間にせ
つせと俳句を作らうと外ばかりを見てゐる。

  丹波路の稲架(はさ)の高さよ黍も掛く

 伯耆大山といふ富士山のやうな美しい山の裾が夕方の
せゐも手つだつてか広いこと広いこと。

  大山の裾ははるばると桑畑

 渡り鳥がひとしきり。松江につく。臨水館といつて、
その名の通り手摺の下はすぐに宍道湖。月が美しい。

 翌八日。秋晴の湖畔を沿ひはしる電車に乗つて出雲大
に参る。窓よりのけしき。

  張物をしてをり柳散る下に

  秋晴や十六禿を眺めつゝ

 秋晴の電車を降りて大社に向ふ。神さびたよいお社。
しづの女さんが晴子のために良縁がありますやうにと祈
られる。

  神苑の裏にまはれば秋の蝶

 その夜も美しい月が上つた。宍道湖に賑やかな流燈が
はじまる。ながれさうにも見えない湖の面の燈籠が、

  いつの間に流燈欄の近くまで

ながれがないので湖の面は静かに澄んでゐる。

  湖にうつりし月の大きさよ

  湖に月とはなれてうつる雲

  流燈のひろがり浮ぶ湖心かな

 その夜、しづの女さんは九州に帰られた。大阪に帰ら
れた人達も多かつた。私達は皆生温泉に泊る。翌日、境
港から舟に乗つて美保関へ。江の島のやうで、もつと広
いが、島である。美保神社へ詣る。恵比寿様の御本家。

  さき見たる巫女そこにをる秋の宮

昭和8年(1933年)

 六月二十日。鎌倉句会。戸塚の親縁寺へゆく。

 寺裏に廻るとひんやりした風が吹いてゐる。山からポ
タポタとやすみなしに水が垂れてゐるあたりに十薬が真
盛りに咲いてゐた。その前に跼んでゐると人声が夢のや
うに遠くきこえる。

  十薬や岩を落ち来る水少し

  午後の日に十薬花を向けにけり

  跼み見る十薬花を真横より

  だんだんに曇りて来たり蝉涼し

 貴船神社へ参詣する。奥の宮は少し寒い位だつた。父
の句にある思ひ川もこゝに来て見ると見逃しさうな位小
さなものだつたが、却つて深く印象づけられた。かゝつ
てゐる朱の橋も好きだつた。全く静かで足音もピンピン
響くやうだ。

  柏手の音の響きや鴨足草

  賽銭をあげる間も見ゆ蝶々かな

 八月十六日。上野駅を午後二時何分かの汽車で一行と
北海道へ旅立つ。早速、俳句をつくる。何時締切、何句、
といふ具合に。窓の外は数日来の雨で出水はげし。西那
須野駅あたりはまだ雨がしきり。戸塚に似た駅を過ぎる。
急行の私達の汽車は絶えずいくつもの大小の出水川を過
ぎてゆく。美しい夕立にも丁度那須野ケ原あたりで出会
つた。つまらない句だけれど、記念のために、

  旅に出る上野の駅の秋の風

 十七日。朝六時、明けはなした窓の外は、東京あたり
と全く違つた町中になつてゐた。浅虫温泉である。瓦屋
根に沢山の石が朝露にぬれてゐる。青森に下車。矢野蓬
矢さんに初対面。汽船の待合室で朝食を食べ、やがて船
に乗る。たちまち第二回目句会。船酔してはいけないと
涼しい風の吹くデツキに立つてゐる。暫くして又船室へ
戻つて見ると臥てゐる人もあつた。中央のスモーキング
ルームでは将棋をはじめた連中もあり、私はその部屋の
扇風機に吹かれながら句作。あふひさんが先づ東京から
御持参のお菓子を開かれる。

  菓子の粉団扇の上に受けにけり

 ふたゝびデツキに出て見ると、向ひ風に船は中々速い。
白靴の人が甲板を行つたりきたりしてゐる。

  日当れどデツキ涼しやみな出づる

 又、スモーキングルームに戻る。

  何となくくたびれてをり扇風機

 大沼公園は美しい水が限りなく、汽車はまるで水の上
を走つてゐるやうだ。所々、島があり、青い木が茂つて
ゐる。何といつても一番に私等の目をうばつたものはを
みなへしの美しさであつた。秋草といふ秋草が殆んど両
窓に見えて過ぎて行つたが、女郎花の黄色の濃い美しさ
は格別だつた。

  をみなへしあしたの原に色濃ゆく

 砂浜が見えはじめ暫く続く。畑にはがんぴの花らしい
ものが咲いてゐた。豊浦といふ駅にはテニスコートがあ
つた。

  豊浦のテニスコートやだるま百合

 二十日。層雲峡に向ふ。層雲峡に近よるにつれて、霧
が雨のやうに横から自動車に吹きつけてきた。

  女郎花少しはなれた男郎花

 第一の滝の見えるところで自動車を下り、しばらく休
んで、いよいよ細い道を上つてゆく。手の甲がざわざわ
寒い。鳥甲が美しい。白樺も珍しくなくなつていまつた。

  秋雨や馬が顔出す樺林

 層雲閣に落ちついて、夕方、少し散歩に出かける。

  えぞにうの花がうれしや夕散歩

 宿の前に釣橋がある。だんだん暗くなつて来た。朝か
ら一行に加はつてゐた数人のうち今日泊らずに帰る人が
宿の前からバスに乗つた。私達は釣橋のところでそのバ
スを見送つた。

  蕗の葉をかざし別るゝ夕まぐれ

 屈斜路湖畔で自動車を下りる。日が当りはじめ、秋晴
らしい。湖を舟で一周する。

  舟の前鴨とび立ちて渡りけり

  鴨下りて静かに進む七かまど

 川湯駅に近くなつて一面の花野の中を走つた。目の前
の禿山には数条の煙が立ちのぼつてゐた。このあたりの
花野は大方、岩江蘭、イソ姫躑躅であると教へられる。

  秋晴や山火趾とも教へられ

 その晩は札幌の放送局から父が放送するので、ついて
行つて見る。丁度東京から四家文子さんの独唱が聞こえ
てきてゐたので何となく懐しかつた。落合百合さん(現
三橋夫人)の父君がこゝの方なのではじめてお逢ひする。

  札幌の放送局や羽蟻の夜

 八月二十九日。秋雨の晴間を見て温泉町を歩く。すぐ
町を出はづれて、

  展けたる野菊ばかりの原たのし

 があるとかで、それを見にゆかうと思ふのだがちつ
とも見当がつかない。草田男さんが知つてゐるやうに歩
くので後から行くのだが全く心もとない。

  尾花野の女花男花ととりにけり

  花芒とけんばかりのするどさよ

  手にとまる蝶おそろしき山路かな

  秋山の滝道に出し安堵かな

 十一月二十三日。神戸の若林さん方のおすゝめで淡路
島へ行くことに急にきまり、朝七時五十六分芦屋発の汽
車で明石へ向つた。明石から船で岩屋迄。冬晴のよい日
であつた。

  稲こきの男見えさし淡路島

  船長は毛糸編みをり舟静か

  冬鴉とびては下りる渚かな

 十二月三日、武蔵野探勝会で立川の普済寺といふお寺
に吟行した。何でも白い土塀にそうて溝川があり、硬い
土の上で娘らがしきりに毬つきをしてゐた。

  こゝの娘に手毬がはやる冬椿

昭和9年(1934年)

 大原の三千院にもゆき、徳女の茶屋で弁当を開く。

  鉄瓶の湯が足らぬなり時雨宿

  時雨るゝや小原女道を掃き急ぐ

 十二月二十三日。二三日前から大阪に一人で来てゐた。
雨の中を旭川さんに連れられて唐招提寺薬師寺へゆく。

昭和10年(1935年)

 食堂から戻つて暫くすると浜名湖。又暫くすると名古
屋。名古屋を出て、又馳る。関ケ原はこゝらあたりだと
教られる。

  このあたり関ケ原とや菜種咲き

  関ケ原春の西日の右の窓

 名古屋で乗客が大分変つて、右側でも左側でも腰かけ
られるやうになつたので、日をさけてはあちこちにすわ
り変へる。

  右窓に又も遅日の日がまはる

 旅行用に持つて出て来た大きな帳面を父が見て、一つ
出来たから書かうといふ。帳面を渡すと、

  胆吹山全体が見ゆ菜種かな   虚子

と書いた。次に私が、

  菜の花のいよいよ多し京近し

と書く。父が、又一寸といふ。さき程の「菜種かな」を
「花菜種」と直して返してくれる。

 成程、胆吹山といふ名であるさうな、まるい山が裾か
ら天辺迄よく見え、絵のやうに細く雪が残つて見えてゐ
た。そしてその麓から手前は一面の菜の花だつた。

 正宗寺、蓮福寺、お築山へと墓参。池内の伯父の新し
い墓にしみじみと額く。午後は風早へ。風早といふのは
松山のはづれの中々遠い所だつたけれど、途中々々をい
ろいろときかされて行つたために少しも退屈せず、退屈
するどころか自動車が速すぎるとさへ思つた。妙見様、
粟井阪、と来ると、丁度松山と風早の真中迄来たことに
なるのださうな。鹿野峰、別府、北条といふ順になる。
別府村からやがて高縄山を右に見て行くうちに漸く車が
止る。こゝが風早の西の下といふところださう。

  この松の下に佇めば露のわれ   虚子

の細長い句碑が大松の下に遥かの海風に吹かれながら立
つてゐるところだつた。何のためにこんな場所に車をと
めて下り立つたのかわからないのでじろじろ見る人もあ
るけれど、そんな人もこの街道筋には二三人位なもので、
あたりは全く静まりかへつてゐた。行手に古さうな松並
木が見えはじめてゐる。それ迄は両面は一たいの畑で、
今丁度青麦が穂に出てゐるところだつた。本当に静かだ。

  青麦に沿うて歩けば懐かしき

 句碑の下に戻る。

  露の句碑の下に憩へる遍路かな

  遍路ふと憩ひしまゝに見上げけり

  松蝉や幼き頃のものがたり

 四月二十六日。

  石手寺の廻廊涼し山の蝶

 この句を見ると、その時の石手寺に這入つて行つた時
のことを思ひ出す。古い絵馬が廻廊に高くあつたのも思
ひ出す。お遍路さんが沢山来たり行つたりしてゐたので
ある。

 子を背負つた遍路、本堂をめぐつて小さな堂が沢山あ
る。そのどのお堂へも一つ一つ丁寧に、お米を一つまみ
づゝそなへては拝み拝みしてゆく遍路。多くの遍路の憩
んでゐる堂縁……

  遍路笠荷と置いてあり遍路ゐず

  はき変へて足袋新しき遍路かな

  お四国の地図壁にあり堂の春

 本堂の前……

  春風や上げし線香の燃えてゐる

  拝みつゝ遍路まなこをつむりける

 昼食前に一寸石手川の上流へといふ晋平さんに連れら
れて自動車を馳せて湧ケ淵迄ゆく。岩堰、湯の山、湯の
元温泉等と教へられる。

  山藤は咲きぬ木の間の石手川

 食事を終へてすぐに京都へ戻る。千代の古道、加茂神
社などゝ終へられながら。京都では鹿笛の句会なのであ
る。金福寺へゆく。

  落椿紅き鼻緒の庭草履

  さきにゆく蝶につきゆく花大根

  石垣に沿うてつゞくや落椿

 詩仙堂迄歩いてゆける。

  落椿見上げてやがて磴上る

  たびたびの春の時雨も馴れにけり

 夜、下加茂、相模屋で食事。

 六月二日。武蔵野探勝会。軍艦比叡を見学。「つるぎ
ざき」といふ昨日進水したばかりの新艦も教へられる。
見るもの見るものみんな面白いのだけれど、句にはなら
ない。殊にどんどん歩かなければ話はきかれないし、説
明をきかなければつかみどころがないしするので閉口す
る。暑いばかりだつた。

  日が暑し後艦橋の蔭に居る

 六月二十一日。明治神宮へ菖蒲拝見に……。見事とい
ふ言葉が本当にすぐに皆の口にのぼる。

  菖蒲田の真中にあり虫柱

  花菖蒲咲ききりたりし花かろく

  広々と紙の如しや花菖蒲

  たれ下る菖蒲の花に雨のすぢ

  ゆるやかに人つゞきゆく花菖蒲

  歩きつゝ人やりすごす木下闇

 九月二十日。目黒不動に吟行。大国屋と言ふお茶屋に
休んでから不動様にお詣りする。門前に一人の占者が私
の袖を引つぱつて観てあげますといふ。びつくりして又
不動様の方へもどる。萩叢が大変美しい。大小とりどり
に点々とある。その他は花らしいものは何もない。

  萩の庭この萩叢が美しや

「続玉藻俳話」

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