これまでの温泉
こんぴら温泉「琴平花壇」
寛永4年(1627年)、金刀比羅宮の参道沿いに旅籠屋「備前屋」として創業。 |
「先づ虎屋。それから備前屋ですが、一人で行かれても、これらはどうですか」といつた。「私も用事は多度津ですがな。泊りは金刀比羅まで行かうと思ふとります」 俊行は只首肯いた。
[暗夜行路草稿8] |
明治38年(1905年)、16代目当主三好源次郎により「琴平花壇」開業。 |
明治41年(1908年)1月5日、森鴎外は琴平華壇「延寿閣」に泊まった。 |
冬の休暇に、四国へ心理學の講演に頼まれて出掛けた文學博士小野翼(たすく)君は、高松市で講演を濟まして、一月十日に琴平まで來て、象頭山の入り口にある琴平華檀に這入つた。
『金毘羅』 |
昭和6年(1931年)10月31日、与謝野鉄幹・晶子夫妻は琴平華壇に泊まっている。 |
琴平のおまへの臺の燈籠を晝もおもひて船ゆききする 客殿のこれ百花の間黄金が秋のひかりに燻りこそすれ
「緑階春雨」 |
昭和10年(1935年)6月5日、北原白秋は琴平花壇「泉亭」に1泊。 |
夕方琴平へ電車で行き、琴平花壇の歡迎會に臨み後、別室にて多磨支部の夜宴会、金比羅拳なるものを初めて見る。興大いにあがる。會する者、荒木・久保井・志村潮・森野子郊・萬城史郎・山下徳太郎・道久繁一の諸君。六日、朝新聞記者にせがまれて一首、 六月六日蛙啼きつつ曇りなりこの我がゐるは松多き山
『薄明消息』(南方旅行の話) |
昭和11年(1936年)10日、吉井勇は琴平華壇に泊まる。多度津、丸亀、高松などに遊んだ。 |
夜、琴平花壇にて歌の会あり。天霧山人なる老翁現はれ、しきりに天霧山の自然美を説いて止まず。 |
昭和13年(1938年)10月31日、星野立子は「琴平花壇」に泊まる。 |
その夕方、今治から再び舟にのつて多度津に夜おそく 著いた。深川正一郎さんと柏葉中尉の軍服姿のお出迎へ をうけて自動車で一路琴平に向ふ。用意して頂いた琴平 花壇といふ大きな宿屋に投宿。宿には正一郎さんの奥様 がまつてゐて下さつた。
「続玉藻俳話」 |