2020年岡 山

岡山城〜月見櫓〜
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9年ぶりに岡山城へ。

岡 山

 城のある丘は岡山と呼ばれ、岡山の地名の起こりといわれています。

 宇喜多秀家は旭川の川筋を付け替え、掘った土をこの丘に盛り上げて、岡山城本丸の土台をつくりました。

城 壁


岡山城の歴史を今に

 岡山の市街地の元となった岡山城は、宇喜多秀家が慶長2年(1597年)に築城した後、江戸時代には岡山藩の城府となり、明治維新により廃城となりました。城跡は、大半が市街地となり、本丸も学校用地に転用されて、昭和20年の岡山空襲で天守と石山門を焼失し、月見櫓と西手櫓が現存するだけとなりました。

 この本丸跡は、昭和29年に学校が移転して、烏城公園として整備され、昭和41年には天守閣が復元されて観光施設ともなっています。

 さらに、昭和62年に史跡に指定されてからは、歴史に視点を置いた整備が求められるようになりました。岡山市は平成4年度から本丸跡中の段で、発掘調査、コンクリート建物の除去、石垣の解体復元修理、江戸時代末期の建物の展示、築城期の建物の展示、築城期の石垣の露出展示などを行っています。

 こうした事業は、中の段の次は天守のある本段、その後は下の段と進めて行く計画です。

 岡山市の歴史的シンボルであって市民共有の文化遺産である岡山城跡を、より良い姿で後世に伝えていくため、事業への理解をお願い申しあげます。

岡山市・岡山市教育委員会

不明門


昭和11年(1936年)8月21日、星野立子は岡山城へ。

 一日の急がしい時間割ですぐに岡山城へ。

  城門に這入りゆく人花常山木

  しばらくは常山木の香とも知らざりき

「玉藻俳話」

天守閣


 寛永9年(1632年)6月、池田光仲は因幡鳥取へ転封し、因幡鳥取から池田光政が31万5000石で入封した。

岡山城


栄華の夢を 現にして
雲井に映る 天守閣
月見櫓よ  石垣よ
鶴羽ばたく 後楽園
姿かわらぬ 岡山城

   作詩 十二村哲

 作曲は飯田景応。十二村哲(とにむらてつ)作詞、飯田景応作曲のコンビは「月の法善寺横丁」で知られている。

月見櫓


国指定重要文化財 岡山城月見櫓

 月見櫓は、岡山城本丸を構成する一二三(ひふみ)の段の二段目に当たる、中の段の北西角を固める隅櫓です。池田忠雄(ただかつ)が城主であった時の城郭整備に伴って、元和年間から寛永年間前半の時期(1620年代)に建てられました。

 構造は、一部地下付きの塗籠造り本瓦葺き2階建てで、城外[北西]側から眺めると2層の望楼型、城内[南東]側から眺めると3層の層塔型を呈しています。規模は、地階と1階が桁行[東西]32尺3寸(9.79メートル)・梁間[南北]26尺2寸(7.94メートル)・2階が方形で桁行・梁間とも16尺5寸9分(5.03メートル)、棟高45尺4寸(13.76メートル)です。

 地階は、1階床下の貯蔵場所であり、1階の床板が引上げ式の戸造りとなっていて、有事の際に1階へ通じる仕組みです。1階は、西面が唐破風造りの出格子窓、北面が片流式屋根を持つ出格子窓を設け、共に石落し(俯射装置)を組み込んで、城外側への臨戦の備えをなしています。入口は南面西寄りにあります。2階は、西面の初層屋根の妻部に千鳥破風の格子窓、西壁に引き違い窓、北面の踊場北窓に唐破風造りの武者窓、北壁に引き違い窓を設けて、1階同様に城外側への備えを厳しくしています。

 その一方で、2階の城内側の東面と南面には雨戸を持った手摺付きの縁側が廻り、内側に明り障子を立てるなど、日常生活向けの御殿仕様となっていて、月見をはじめとした四季の眺望を楽しんだり、小宴を催すのに格好の構造となっています。

岡山市教育委員会
岡山さくらライオンズクラブ

2020年岡 山