2019年香 川

志度寺〜高浜年尾の句碑〜
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志度寺に高浜年尾の句碑があるというので、再び訪ねてみた。

仁王門の後ろに五重塔がある。


蝉時雨がうるさいほどであった。

木槿が咲いていた。


 昭和13年(1938年)11月1日、星野立子は高松駅から志度寺に案内された。

 高松の駅には白川朝帆さんが元気に出迎へて下さつた。
自動車に分乗して志度寺といふところへ連れて行かれる。
志度寺は謡曲にもある有名な「海女」のはなしが今もの
こつてゐる通り、何ともいへない静かなもの淋しいお寺
であつた。

  秋晴や海女野の白き道見ゆる


木立の中の五重塔


昭和27年(1952年)9月5日、高浜年尾は志度寺を訪れている。

潮風の海女の墓にも切子かな


海女の墓


海女の墓天武の昔、淡海公藤原不比等は、唐の高宗妃から送られた面向不背の玉が、志度沖で竜神に奪われたため、身分をかくして都から志度の浦を訪れ、純情可憐の海女と恋仲になり、一子房前(ふささき)が生れた。淡海公から事情を明かされた海女は、瀬戸の海にもぐり竜神とたたかい玉を取り返したが、竜神のため傷つき真珠島で命を果てた。

後年大臣となった房前は僧行基を連れて志度を訪れ、千基の石塔を建てて母の冥福を祈ったという、殉愛悲恋のヒロイン海女の墓である。かたわらに五輪の塔と経塚がある。

毎年旧暦6月16日には、大法会が行われ、十六度市が立ち、1300余年の昔をしのぶ、供養がいまなお続けられている。

さぬき市文化財保護協会

海女の墓の手前左手に高浜年尾の句碑があった。



盆に来て
   海女をとむらふ
         心あり

平成6年(1994年)9月5日、建立。

昭和二十七年九月五日志度寺参拝の折の句。この時汀子・杞陽同道す。

海女のその物語今秋の海

夏服の女現はれ墓よぎる

その海女の話の墓の片陰に


年尾句碑は県内に善通寺と大窪寺、さらに丸亀市の吉田病院にある。

本堂志度寺


朝早いせいか、人も少なかった。

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