芭蕉ゆかりの地



『芭蕉翁繪詞傳』 @ ・ A ・ B

 寛政4年(1792年)、義仲寺の蝶夢法師は芭蕉翁百回忌供養に『芭蕉翁絵詞伝』を完成させる。

 元禄二巳の年、江戸の春にあひ給ひて、去年の、更科の秋やおぼし出でけむ、

      元日に田ごとの日こそ戀しけれ

 立ちそむる霞の空に白川の關越えむと、坐ろ神の物につき侍りて、心を狂はせば取る物も手につかず、股引の破れをつゞり笠の緒つけかへて、松島の月先づ心にかゝりる。 曾良は、常に軒を並べて、薪水の勞を助く。こたび松島、象潟の眺め共にせむ事を悦び、且は羈旅の難を勞らむといふに、召連れ給ふとや。下野の那須野をゆき給ふに、野飼の馬あり。草刈る男に嘆きよれば、野夫といへども流石に情知らぬにはあらで、此の野は、縦横に分れて初々しき旅人の道ふみたがえむ、怪しう侍れば、この馬の止まる所にて、馬をかへし給へと貸し侍りぬ。小さき者二人、馬の跡したひて走る。一人は小姫にて名をかさねといふ。きゝなれぬ名のやさしとは、書き給ふる。

   芭蕉の影 其十五

名も持たぬ松にも待つや翁の日
   素月

ばせを忌や菜飯の色も草枕
   寥太

百年の紙衣を拜むなみだかな
   同

月華や洛陽の寺社殘りなく
   其角

ばせを忌と申し初めけり像の前
   史邦

花の雲鐘は上野か淺草か
   芭蕉

 心元なき日數重なるまゝに、白川の關にかゝりて、旅心さだまりぬとか、いかで都へと便り求めしも理りなり。中にも、この關は三關の一にして、風騒の人心をとゞむ。秋風を耳に殘し、紅葉を面影にして、青葉の梢尚あはれなり。卯の花の白妙に、茨の花の咲きそひて、雪にも越ゆる心地ぞする。古人冠を正し衣裳を改めし事など、清輔が筆にもとゞめし。この關如何に越えつるやと人の問ふに、

      風流の始めやおくの田植うた

   芭蕉の影 其十六

鶯や餅に糞する縁の先
   芭蕉

春雨や峰の巣傳ふ家根の漏
   芭蕉

 忍文字摺の石を尋ねて、忍ぶの里をわけ入り給ふに、山陰に石なかば土に埋れてあり。里の童の教へけるは、昔しは此の山の上に侍りしを、往来の人の、麥草をあらして、此の石を試み侍るを憎みて、此の谷に落せば、石の面下樣に伏したりといふ。

      早苗とる手もとや昔ししのぶ摺

文知摺石


 武隈の松にこそ目覺むる心地はすれ、根は土際より二木に分れて、昔しの姿失はずと知らる。先づ能因法師思ひいづ、往昔、陸奥の守にて下りし人、この木を伐りて、名取川の橋杭にせられたる事あればにや、松は此の旅跡もなしと詠みたり。代々あるは伐りあるは植ゑつぎなどせしと聞くに、今時千載のかたちとゝのひて、目出たき松の景色になむと稱し給ふ。 壷の石ぶみは、高さ六尺餘横三尺ばかりか、苔を穿ちて文字幽かなり。昔しより、詠み置ける歌枕、多く語りつたふといへども、山崩れ川落ちて、道改まり、石は埋もれて土に隱れ、木は老いて若木にかはれば、其の跡慥かならぬ事のみを、茲に至りて疑ひなき千歳の記念、今眼前に古人の心を閲す。行脚の一徳、存命のよろこび、羈旅の勞れを忘れて、涙も落つるばかりなりとは書き給ひける。

   芭蕉の影 其十七

國々の硯に廻るしぐれかな
   素丸

邯鄲は借らず枯野の夢もかな
   同

蠣よりは海苔をば老のうりもせで
   芭蕉

二木の松(武隈の松)
   
多賀城碑

   


 松島に渡り、雄島の礒につき給ひて、其の景を書連ね給ふに、松島は扶桑第一の好風にして、凡そ洞庭、西湖を恥ぢず。 東南より海を入れて、江の中三里、 浙江の湖を滿ふ。島々の數を盡して、欹(そばだ)つものは天を指し、伏すものは波にはらばふ。左に分れ右に連なる。負へるあり枕せるあり、兒孫を愛するが如し。松の緑こまやかに、枝葉潮風に吹き撓めて、屈曲自らためたるが如し。其の景色ヨウ然(※ヨウ=「穴」+「目」)として美人の顔(かんばせ)を粧ふ。千早振る神の昔し、大山すみのなせる業にや。造化の天工、何れの人か筆をふるひ言葉をつくさむ。

   芭蕉の影 其十八

一聲の江に横たふや郭公
   芭蕉

降らずとも竹植うる日は簔と笠
   芭蕉

孫彦枝覆ふや桃の小春かげ
   素丸

雄島から間近に見える鯨島と亀島


 出羽の國月山に登り給ふとて、木綿しめ身に引掛け、寳冠に頭を包み、強力といふ者に導かれて、雲霧山氣の中に、氷雪を踏みて登る事八里とかや、

      雲の峯いくつ崩れて月の山

   芭蕉の影 其十九

  陸奥千鳥
   桃隣

   鹿 島

額にて掃くや三笠の花の塵

   要 石

長閑なる御代の姿や要石

   高天原

鬼の血といふその土の躑躅哉

   筑 波

土浦の花や手にとる筑波山

筑波根や辷つて轉けて藤の花

   推尾山

赤松の木末や乘垂る花の瀧

   櫻 川

汲鮎の網に花なし櫻川

   日 光

花鳥の輝く山や東向

花はさけ湖水に魚は住まずとも

鶯は雨にして鳴くみぞれかな

雪なだれ黒髪山の腰は何

千年の瀧水苔の色青し

   うらみの瀧

雲水や霞まぬ瀧のうらおもて

   那須の黒羽に出づる

物くさき合羽やけふの更衣

月山山頂


 象潟近く、潮風眞砂を吹きあげ、雨朦朧として鳥海の山隱る。 雨も又奇なりと、雨後の晴色頼もしく、蜑の苫屋に膝をいれ、雨の晴間を待給ふに、其の朝天よく霽れける程に、象潟に船を浮ぶ。 先づ能因島に船をよせて、三年幽居の跡を弔らひ、向ふの岸に船を上れば、花の上漕ぐとよまれし櫻の老木、西行法師の記念をのこす。南に鳥海山天を支へ、 其の蔭うつりて江にあり。西はむやむやの關路を限り、東に堤を築いて、秋田に通ふみち遥かに、海北にかまへても浪うち入るゝ所を潮こしといふ。江の縦横一里ばかり、面影松島に通ひて又異なり。松島は笑ふが如く、象潟は恨むが如し。寂しさに悲しみを加へて、地勢魂をなやますに似たり。

      象潟の雨や西施がねぶの花

   芭蕉の影 其二十

  陸奥千鳥
   桃隣

草に臥す枕に痛し木瓜の刺

黒羽の尋ぬる方や青すだれ

   舘近淨坊寺

幾とせの槻あやかれ蝸牛

   與市宗高氏神八幡宮

叩首や扇をひらき目を閉ぎ

   玉藻の社

木の下やくらがり照す山椿

   留 別

山蜂の跡覺束な白牡丹

象潟


 北陸道を歴て上り給ひ、越後の國出雲崎にて見渡し給ふに、佐渡が島は海の面十八里、東西三十五里に横をりふしたり。 むべ此の島は、黄金多く出でゝ、遍く世の寳となれば、限りなき目出たき島にて侍るを、大罪朝敵の類ひ、遠流(おんる)せらるゝに依りて、只恐しきの名の聞えあるも本意なく、窓押開きて暫時(しばし)の旅愁を勞らんとするに、日既に海に沈みて、月ほの暗く、銀河半天にかゝりて、星きらきらと冴えたるに、沖の方より波の音しばしば運びて、魂けづるが如く、膓千切れてそゞろに悲し。

      あら海や佐渡に横たふ天の河

 一ぶりの關にとまり給ふ夜は、今日なん親知らず子しらずなどいふ北国一の、難所を越えて疲れ侍れば、枕引寄せ寐たるに、宿の一間隔てゝ若き女の聲二人ばかりと聞ゆ、年老たる男の聲も交りて、物語するをきけば、越後の國新潟といふ所の遊女なりし。 伊勢參宮するとて、此の關迄男の送りて、翌日(あす)古郷にかへす文を認(したた)め、敢果(はか)なき言傳などしやる也。 白波のよする汀に身をはふらかし、あまの此の世を淺間しう下りて、定めなき契り、日々の業因、いかに拙しと、ものいふを聞き聞き寐入て、朝旅立つに、我れ我れに出でむかひて、行方知らぬ旅路のうさ、餘り覺束なう悲しく侍れば、見え隱れにも御跡を慕ひ侍らん。衣の上の御情に、大慈の恵みを垂れて結縁せさせ給へと涙を落す。不便の事には侍れども、我れ我れは、所々にてとまる方多し、只人の行くに任せて行くべし。神明の加護、必らず恙なかるべしと云ひ捨てゝ出づ。哀れさ暫くやまざりけらし、

      一家に遊女もねたり萩と月

   芭蕉の影 其二十一

御寶前にかけ奉る初しぐれ
   一茶

ばせを忌やことしもまめで旅虱
   同

義仲寺へいそぎ候初時雨
   同

ばせを忌や晝から錠のあく庵
   同

ばせを忌に丸いあたまの被露哉
   同

親不知


 加賀の太田の神社にて、實盛が甲錦のきれを見給ふ。往昔、義朝より賜はらせ給ふとかや。げにも平士(ひらざむらひ)の物にあらず。目庇より吹返しまで、菊唐草のほりもの金を鏤(ちりば)め、龍頭に鍬形うちたり。實盛討死の後、木曾義仲願状に添へて此の社にこめられ侍るよし、樋口次郎が使せし事共縁起に見えたり。

      無殘やな甲の下のきりぎりす

   芭蕉の影 其二十二

夕顔や醉うて顔出す窓の穴
   芭蕉

芭蕉野分して盥に雨を聞く夜哉
   芭蕉

芭蕉忌や古來稀れなる道の徳
   素丸

多太神社


 全聖寺といふ寺にとまりて、朝堂下に下り給ふに、若き僧共紙硯をかゝへ、階のもと迄追来る。折りふし、庭中の柳ちれば、

      庭掃いて出るや寺に散るやなぎ

全昌寺


愚按、春より秋迄の道の記、おくの細道といふ。

 伊勢に尾張に近江を經て、伊賀に年こえ給ふ。

『芭蕉翁繪詞傳』 @ ・ A ・ B

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