『奥の細道』


〜裏見の滝〜

 東北自動車道宇都宮ICで日光宇都宮道路に入り、日光ICから国道119号(日光街道)を行く。

国道120号を左折して、裏見の滝に行く。

  駐車場から裏見の滝まで遊歩道が整備されている。新緑が美しい。

三脚を手にしたお年寄りに何人も出会った。

裏見の滝


滝の左側に不動明王が祭られている。

そこまで行くと滝の裏側が見られるのだが、足下が悪くて、とても行けない。

 元禄2年(1689年)4月2日(新暦5月20日)、芭蕉と曽良は、午前8時ごろ上鉢石町の五左衛門宅を出て裏見の滝へ向かった。

 廿余丁山を登つて瀧有。岩洞の頂より飛流して百尺、千岩の碧潭に落たり。岩窟に身をひそめ入て瀧の裏よりみれば、うらみの瀧と申伝え侍る也。 暫時(しばらく)は瀧に籠るや夏の初

裏見の滝に芭蕉の句碑は無い。

句碑は安良沢(あらさわ)小学校にある。

廿余町山を登りて滝有。岩洞の頂より飛流して百尺千岩の碧潭に落たり。名を恨の滝とかや申伝へ侍るよし。

時鳥うらみの滝のうら表
   ばせを


 元禄9年(1696年)、天野桃隣は寂光寺から裏見の滝を訪れ、句を詠んでいる。

 此所を半里戻り、又奥山へ分入。日光四十八滝の中第一の滝あり。遙に山を登て、岩上を見渡せば、十丈余碧潭に落。幅は二丈に過たり。窟に攀入て、滝のうらを見る。仍(よつて)うらみの滝とはいへり。水の音左右に樹神(こだま)して、気色猶凄し。

   ○雲水や霞まぬ滝のうらおもて


 享保5年(1720年)、貞佐・潭北は下野を遊歴。裏見の滝を訪れている。

   うらみか滝にて

裏襟のほころひ行や深山百合


 元文3年(1738年)3月22日、山崎北華は江戸を立って『奥の細道』の足跡をたどり、4月裏見の滝に到る。

中禪寺に到れば。湖水漫々として。絶景いふばかりなし。黒髪山は雪いまだ殘り。麓は櫻の花盛りなり。

   殘雪にくろ髪山もかす毛かな

と興じて。華厳の滝を見。裏見が瀧に到る。岩下に身を潜め入り。瀧の裏より見る。水飛び風冷かにして。首夏なれど堪がたし。

   極暑にてなくて恨みぞ瀧の裏

 元文5年(1740年)、榎本馬州は『奥の細道』の跡を辿る旅で裏見の滝を訪れている。

硝子(びいどろ)のあちらは夏の瀧のうら


 寛保2年(1742年)、佐久間柳居は裏見の滝で句を詠んでいる。

瀧にさへかくし裏あり赤つゝし


 延享4年(1747年)、横田柳几は陸奥行脚の途中で裏見の滝を訪れている。

   裏見の滝にて

涼しさの裏見出しけり滝の奥
   柳几

葛もいま若葉そ滝のうら表
   白尼


 宝暦5年(1755年)5月、南嶺庵梅至は裏見の滝で句を詠んでいる。

   荒沢裏見の瀧

下野の華や表は瀧の裏


 明和6年(1769年)4月、蝶羅は嵐亭と共に裏見の滝を訪れ句を詠んでいる。

   裏見瀧

底清水しれぬうらミや山かつら
   嵐亭

瀧見よと這行葛のわかばかな
   蝶羅


高桑闌更も句を詠んでいる。

ことによし裏みて潜る夏の滝


昭和40年(1965年)、山口誓子は裏見の滝を訪れている。

   裏見瀧

凍るべき瀧を見るいまならずばと

『一隅』

駐車場に戻る。

十二単(じゅうにひとえ)が咲いていた。


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