芭蕉の句


庭掃て出はや寺に散柳

出典は『奥の細道』。

 元禄2年(1689年)8月6日(陽暦9月19日)、芭蕉は加賀市大聖寺の全昌寺に泊まっている。翌朝、若い僧達に求められて詠んだ句。

耳聞山全昌寺


大聖持の城外、全昌寺と云寺に泊る。猶かゝの地也。曾良も前の夜此寺に泊て、

     終夜(よもすから)秋風聞やうらの山

と残ス。一夜の隔(へたて)、千里におなし。我も秋風を聴て衆寮に臥。明ほのゝ空ちかう読経聞ゆるに、板鐘鳴て食堂に入。けふは越前の国へと心早卒にして、堂下に下ル。若き僧共紙硯をかゝへて、階(きさはし)のもとまて追来ル。折節庭中の柳散れは、

     庭掃て出はや寺に散柳

とりあへぬ一句草鞋なから書捨ツ。

井筒屋本『奥の細道』は「出るや」とある。

      加州全昌寺にて

   庭掃て出るや寺にちる柳

世説曰「郭林宗毎行宿逆旅輒躬自灑掃及明。去後人至見之曰、此必郭有道昨宿處也」これらのこゝろかよひて句意尤殊勝なり


茨城県茨城町の円福寺

石川県加賀市の全昌寺尼御前SA

岐阜県大垣市のミニ奥の細道

愛知県一宮市の禅林寺に句碑がある。

円福寺の句碑




全昌寺の「者勢哉(はせを)塚」にも句が刻まれている。


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