芭蕉の句碑茨 城


芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉

水戸市酒門町に善重寺という寺がある。


善重寺山門


貞永元年(1232年)、創立。

真宗大谷派の寺である。

山門を入ると、左手に太子堂がある。


木造聖徳太子立像が安置されている。

鎌倉時代末期のもので、国指定文化財だそうだ。

 徳川光圀は一夜の夢で聖徳太子像が久慈郡大山に埋匿されているのを知り、酒門村の善重寺に一堂を建立して遷したという。

寛文11年(1671年)4月22日のことである。

芭蕉の句碑があった。


芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉

 「蕉翁の逗留の折、当寺の聖徳太子像を拝み、この句を詠まれたと伝える。」といわれが書いてあった。

出典は『武蔵曲』。

延宝9年(1681年)秋、芭蕉38歳の句。

芭蕉は門人李下が深川の草庵に植えたもの。

 前書に「老杜、茅舎破風の歌あり。坡翁ふたゝびこの句を侘て、屋漏の句作る。其世の雨を芭蕉葉にきゝて、独寝の草の戸。」とある。

「老杜」は杜甫、「坡翁」は蘇東坡のこと。

 「野分が吹きつのって、外の芭蕉はしきりにはためいており、雨漏りにあてがった盥にはしきりに雨水が滴って聞こえる。まことに侘びしい茅屋の夜の感じだ」の意。

 出典よりみて、天和元年秋ごろの作。『泊船集』・『枯尾花』(雨中吟)と前書)・『芭蕉翁全傳』『芭蕉盥』等にも所収。「芭蕉野分して盤に雨を聞夜哉」・「芭蕉暴風して盤に雨を聴夜哉」と表記する真蹟も伝えられている。『三冊子』には「芭蕉野分盥に」の句形で出し、「はじめは、野分してと二字余りなり……後なしかへられ侍るか」とある。『蕉翁句集』・同草稿は『三冊子』の句形で、前者に「深川菴と前書、後者に『三冊子』と同旨の注記がある。禹柳の『伊勢紀行』は、「斗時庵が家珍に」として、「老杜、茅舎破風の歌あり。坡翁ふたたび此の句を侘びて、屋漏の句作る。其の世の雨を芭蕉葉に聞きて、独寝の草の戸」という前文とともに『武蔵曲』の句形で掲出し、「是は深川庵中の吟にて、これより芭蕉の翁とは世にもてはやす事になりし」と付記する。これによれば、杜甫・蘇東坡の詩を念頭においた作で、かつ当時代表作としてもてはやされたことがわかる。


安永年間(1772〜1780)、建立。晋派巽一葛松原人湖中書。

初代湖中太田資胤である。

 資胤は棚倉藩主太田資晴の次男で、水戸藩士資真の養子となる。江戸の深川湖十に俳諧を学ぶ。湖十は其角の高弟。

 もと酒門坂下に建てられていたが、倒されて田圃の用水堀の橋に利用されていたという。

 『乙酉吟行甲乙記』に「猶芭蕉翁の古碑を尋ね拜すれは、はせを野分しての遺章を勤す、太田氏湖中老君建ツ。」とある。いかがなものであろうか。

遍照山光明院善重寺


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