「野分が吹きつのって、外の芭蕉はしきりにはためいており、雨漏りにあてがった盥にはしきりに雨水が滴って聞こえる。まことに侘びしい茅屋の夜の感じだ」の意。
出典よりみて、天和元年秋ごろの作。『泊船集』・『枯尾花』(雨中吟)と前書)・『芭蕉翁全傳』・『芭蕉盥』等にも所収。「芭蕉野分して盤に雨を聞夜哉」・「芭蕉暴風して盤に雨を聴夜哉」と表記する真蹟も伝えられている。『三冊子』には「芭蕉野分盥に」の句形で出し、「はじめは、野分してと二字余りなり……後なしかへられ侍るか」とある。『蕉翁句集』・同草稿は『三冊子』の句形で、前者に「深川菴と前書、後者に『三冊子』と同旨の注記がある。禹柳の『伊勢紀行』は、「斗時庵が家珍に」として、「老杜、茅舎破風の歌あり。坡翁ふたたび此の句を侘びて、屋漏の句作る。其の世の雨を芭蕉葉に聞きて、独寝の草の戸」という前文とともに『武蔵曲』の句形で掲出し、「是は深川庵中の吟にて、これより芭蕉の翁とは世にもてはやす事になりし」と付記する。これによれば、杜甫・蘇東坡の詩を念頭においた作で、かつ当時代表作としてもてはやされたことがわかる。
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安永年間(1772〜1780)、建立。晋派巽一葛松原人湖中書。
初代湖中太田資胤である。
資胤は棚倉藩主太田資晴の次男で、水戸藩士資真の養子となる。江戸の深川湖十に俳諧を学ぶ。湖十は其角の高弟。
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もと酒門坂下に建てられていたが、倒されて田圃の用水堀の橋に利用されていたという。
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『乙酉吟行甲乙記』に「猶芭蕉翁の古碑を尋ね拜すれは、はせを野分しての遺章を勤す、太田氏湖中老君建ツ。」とある。いかがなものであろうか。
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遍照山光明院善重寺

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