昭和6年(1931年)2月25日、与謝野晶子は筑波神社を参拝し、翌26日にはケーブルカーで山頂近くの御幸ヶ原に登る。 |
貞亨3年(1686年)、大淀三千風は筑波山に登った。 |
○筑波山頂 はやましげ山の腰に、筑波の里、六百宇。知足院中禅寺、いと奇麗なり。これよりも頂上へ一里半の苔滑にして、たらたら雫をしのぎ、屹々と彌山、信に馬耳の名にしおゐて、二峯に男躰女體権現鎮し給ふ。椎柴を摘て、眞折手草にかざし、偖も當山は、神佛秘藏の寄(よさし)あり。ここに陰高きしげみは、大君の御影に比し、和歌の良材おもだちがほに、歴々たる富士淺間はさらなり。廣々たる湖潮麓をまはり、月日をむすぶ常陸帶、とくにとかれぬ神宿世かなと、古代の神詠も思ひ出されて、 |
元禄9年(1696年)、天野桃隣は筑波山に登り、句を詠んでいる。 |
麓ヨリ二里登ル、かたのごとく難所、岩潜・岩の立橋・千尋の谷。春夏の中、巓ニ茶屋五軒、魚肉酒禁断。馬耳峯の間十丁余有、頂上ニ登て四方を見るに眺望不斜(ななめならず)。 右の外、霊山の奇瑞おほし。 ○土浦の花や手にとる筑波山 ○筑波根や辷(スベツ)て転(コケ)て藤の花 |
享保元年(1716年)4月7日、稲津祇空は奥羽行脚の途上砂岡我尚・常盤潭北と筑波山に登った。 |
男躰の霊社絶頂にあり。小社あまたまはりをかこみ、石の色蒼潤山骨奥巧たり。遠坂曲折にして雲は麓を白峰に綿のことく変態もつとも常ならす。その観るもの奇なれとも形状を悉にすり事あたはす。松は盖のことし。すなはち纏を出て室をむすふのおもひあり。四五町をくたりて女躰にまいる。社頭のさま男躰とおなし。匂ひし花の名残ともなしと、ありし風雅のすしにあふきけんもありかたくこそ。 |
寛保元年(1741年)、白兎園宗瑞は筑波山に登る。 |
筑波は嶮山にして照れる日は暑に苦しむけふは曇りて幸ひよしと汗かきの東休にすゝめられていさとおもひ立二三子打つれ椎の尾山より登るに馬はもとより駕さへ及はぬ山道なれは歩行よりそ行 |
宝暦3年(1753年)、横田柳几は筑波山に登り、句を奉納している。 |
討ものは筆はかり也櫻狩 布袋庵 柳几 是を矢立の初として騎西の町にかゝり栗橋の驛にいたる。利根川をわたれは下總の地也。 男躰山にいたりて頭をめくらせは士峯は坤(ひつじさる)にあたつて雲をつらぬき、鹿島か崎湖來の入江は巽(たつみ)に見下し手に取はかり。万山千峯一眼の内に盡たり。絶勝又いふへくもあらす。 二峯法樂吟 華さくや男山女山の諸しら髪 |
安永2年(1773年)7月、加舎白雄も「奥羽紀行」の旅で筑波山を訪れた。 |
にゐはり筑波山御製および其外いふにやおよぶ言の葉のかたみつきすまじくおもふつきすまじ ふみづきやげにげに夜の筑波山 |
ミなの川 さくら川 香取 鹿島 若国山 霞ノ浦 板敷山 皆眼下也
『奥羽記行』(自筆稿本) |
天明元年(1781年)5月1日、大島蓼太は翠兄の案内で筑波山へ。 |
山上 兩峰雙立してもろこしの羅浮山もかくやと道けはしく靈運か木履も着ましく石滑かなるに |
寛政3年(1791年)6月10日、鶴田卓池は筑波山に登る。 |
筑波山 雲かよふ女山男山の茂かな |
嘉永4年(1851年)12月17日、吉田松陰は筑波山に登る。 |
十七日 晴。驛を出で、筑波の二巓を極む。一を男體と曰ひ、一を女體と曰ふ。是の日天氣晴朗、眺望特に宜しく、關東八州の形勢歴々として指すべし。山としては富士・日光・那須、水としては刀根・那珂、皆目前に聚まる。 |
明治39年(1906年)9月6日、河東碧梧桐は筑波山に登った。 |
東に霞が浦、西に両毛の平野を瞰下する。青いのは田で、白いのは水で、黄色いのは豆畑である。喜怒、利根も糸筋ほどにうねうねしており、豆の葉の黄色さは、時に菜の花かとも疑われる。東京はこちらかとばかりで、烟霞漠々として望み窮りない。習志野の砲声じゃそうな、ドロドロズシンし屡々響く。 |
大正8年(1919年)、大町桂月は筑波山に登った。 |
坂路盡きて、地平か也。茶屋ありて名物の夫婦餅を賣る。休息する者多けれど、戻りにとて、左して立身石を見る。十數丈の巨巖也。この上に登るものは立身すとかや。石に上りて男體山の巓に達す。尖れる山の上に能くもと思はるゝばかりの社殿あり。伊弉冉尊を祀る。其横に山階宮殿下の創建に係れる測候所あり。その報ずる所に據れば、今日の午前十時に於ける山頂の温度は零下二度也。筑波町より僅に二十五町の程に過ぎず。而して山上には雪あり、山下には櫻咲ける也。上州野州の方面は怪しく掻き曇り、富士も亦雲中に入れり。唯見ゆるは茫々漠々たる關東の平野也。
「春の筑波山」 |
大正13年(1924年)11月、大町桂月は筑波山に登る。 |
筑 波 山 足もとに關八州をみおろして仰ぐ御空に白き月哉 筑波山上にて 關東の大平原のそのはてを見せてそびゆる富士の山哉 |
昭和5年(1930年)、富安風生は筑波山で句を詠んでいる。 |
筑波山 頂に出て落葉なき眺めかな
『草の花』 |
昭和6年(1931年)2月26日、与謝野晶子はケーブルカーで下山、鹿島神宮に向かう。 |
昭和38年(1963年)、山口誓子は筑波山を訪れている。 |
筑波山 重なりて男峯一峯青きのみ
『青銅』 |