芭蕉の句


早苗とる手もとや昔しのぶ摺

出典は『奥の細道』。

 あくれば、しのぶもぢ摺の石を尋て忍ぶのさとに行。遥山陰の小里に石半土に埋てあり。里の童部の来りて教ける。昔は此山の上に侍しを往来の人の麦草をあらして此石を試侍をにくみて此谷につき落せば、石の面下ざまにふしたりと云。さもあるべき事にや。

 元禄2年(1689年)5月2日(陽暦6月18日)、芭蕉が文知摺石を眺めて詠んだもの。

信夫文知摺観音にある芭蕉像の台座が俳文碑になっている。

しのふの郡忍ふの里とかや、文字摺の名殘とて方二間ばかりふる石有。此石は昔女の思ひに石と成て、其面に文字有とかや。山藍すりみだるゝ故に、戀によせて多くよめり。今は谷間に埋れて、石の面は下ざまに成たれば、させる風情も見えず侍れども、さすがに昔覺て、なつかしければ

さなへとる手元やむかししのぶ摺


福島県国見町の国見SA、福島市の信夫文知摺観音月の輪大橋

 西会津町の和久井呉服店

香川県観音寺市の琴弾八幡宮に句碑がある。

和久井呉服店の句碑


琴弾八幡宮の句碑


 『雪満呂気』に「五月乙女にしかた望まんしのぶ摺」とある。これが初案であろう。

福島市立第一小学校に句碑がある。



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