今年の旅日記
日和山公園〜文学の散歩道A〜
酒田市南新町1丁目に日和山公園がある。
嘉永5年(1852)閏2月22日、吉田松陰は酒田を通る。
川を越ゆれば則ち酒田なり、戸數五千、或は云ふ、今は増して七千に至ると。川には大船を泊すべく、新潟以北にて最も繁盛の地なり。
千石船(日和丸)
昭和59年(1984年)秋、建造。
河村瑞賢により西廻り航路が開発された寛文12年(1672年)から、出羽の国の幕府米を、酒田港から江戸に回漕するために活躍したのが千石船である。江戸時代、日本海沿岸の廻航船を北前船又は弁才船と呼んだが、千石船は文字通り、米を千石(150トン)積めるという意味で、荒波に耐える為ドングリ型となっている。当時の酒田港には、横帆一枚、十数人の乗組員で、西廻り航路800海里の荒波を往来した千石船などが、毎日数多く入港してにぎわいをきわめた。この船の大きさは原型のおよそ2分の1であるが、現存する模型では、国内最大のものである。
日和山公園に文学の散歩道がある。
文学の散歩道には29基の文学碑がある。
今日は反対周りに散策路を廻ってみる。
29.読人知らず
もがみがはのぼればくだるいなふねのいなにはあらずこのつきばかり
「古今和歌集」東歌に読み人知らずとして収載されており、最上川が文学に現れた最初である。碑の文字は古今和歌集最古の写本「元永本」による。
24.時雨音羽