元和9年(1623年)、六郷正乗が常陸府中1万石から2万石に加増移封され、本荘藩の藩祖となった。 |
木浦を經、舟にて一川を濟る。此の間稍海濱を離るれども、平澤に至り又海濱に出で、并砂を行く。本庄に宿す。是れ六郷筑前守二萬石の都城なり。行程十三里半。 |
是は湖南の幻住庵におはす時の作也。君は六十、我は五十といへる老星一聚(いつしう)の前書侍りけるが、あやまりておぼえ侍らず。 |
雲竹自画像 こちらむけわれもさびしき秋(の)くれ |
此句自筆の物ニ前書添て有。笈日記に幻住庵にての吟とあり。 |
洛の桑門雲竹自の像にやあらむあなたの方に顔ふりむけたる法しを畫て是に讃せよと申されければ君ハ六十年余り予ハ既に五十年に近しともに夢中ニして夢のかたちを顕ス是にくハふるに又寐言ヲ以ス |
こちらむけ我もさひしき秋の暮
『蕉翁句集』(土芳編) |
稍々二更近き頃本庄に着けば町の入り口青樓軒をならべて幾百の顔色ありたけの媚を呈したるも飢渇と疲勞になやみて餘念なき我には唯臭骸のゐならびたる心地して格子をのぞく若人の胸の内ひたすらにうとまし。 骸骨とわれには見えて秋の風 |