是は湖南の幻住庵におはす時の作也。君は六十、我は五十といへる老星一聚(いつしう)の前書侍りけるが、あやまりておぼえ侍らず。
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「雲竹自画像」と前書きがある。
洛の桑門雲竹自の像にやあらむあなたの方に顔ふりむけたる法しを畫て是に讃せよと申されければ君ハ六十年余り予ハ既に五十年に近しともに夢中ニして夢のかたちを顕ス是にくハふるに又寐言ヲ以ス
元禄3年(1690年)、幻住庵で詠まれた句。
元禄3年(1690年)4月6日から7月23日まで芭蕉は幻住庵に滞在した。
文化14年(1817年)9月、建立。
昭和7年(1832年)4月、再建。
明治26年(1893年)8月11日、正岡子規は象潟から本庄に着いた。
稍々二更近き頃本庄に着けば町の入り口青樓軒をならべて幾百の顔色ありたけの媚を呈したるも飢渇と疲勞になやみて餘念なき我には唯臭骸のゐならびたる心地して格子をのぞく若人の胸の内ひたすらにうとまし。
骸骨とわれには見えて秋の風
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