芭蕉の句碑


こちらむけわれもさびしき秋の暮

由利本荘市出戸町に本荘公園がある。


大手門


平成6年(1994年)、再現。

嘉永5年(1852年)閏2月23日、吉田松陰は本庄に泊まっている。

木浦を經、舟にて一川を濟る。此の間稍海濱を離るれども、平澤に至り又海濱に出で、并砂を行く。本庄に宿す。是れ六郷筑前守二萬石の都城なり。行程十三里半。


本丸へ坂を登ると、大きな「芭蕉翁之碑」があった。


明治26年(1893年)10月、芭蕉の二百年祭に建立。

本荘公園本丸に芭蕉の句碑があった。


芭蕉翁

こちらむけわれもさびしき秋の暮

出典は『笈日記』(支考編)。

是は湖南の幻住庵におはす時の作也。君は六十、我は五十といへる老星一聚(いつしう)の前書侍りけるが、あやまりておぼえ侍らず。

「雲竹自画像」と前書きがある。

   雲竹自画像

こちらむけわれもさびしき秋(の)くれ

此句自筆の物ニ前書添て有。笈日記幻住庵にての吟とあり。


洛の桑門雲竹自の像にやあらむあなたの方に顔ふりむけたる法しを畫て是に讃せよと申されければ君ハ六十年余り予ハ既に五十年に近しともに夢中して夢のかたちを顕ス是にくハふるに又寐言

こちらむけ我もさひしき秋の暮

『蕉翁句集』(土芳編)

元禄3年(1690年)、幻住庵で詠まれた句。

元禄3年(1690年)4月6日から7月23日まで芭蕉は幻住庵に滞在した。

文化14年(1817年)9月、建立。

昭和7年(1832年)4月、再建。

明治26年(1893年)8月11日、正岡子規は象潟から本庄に着いた。

 稍々二更近き頃本庄に着けば町の入り口青樓軒をならべて幾百の顔色ありたけの媚を呈したるも飢渇と疲勞になやみて餘念なき我には唯臭骸のゐならびたる心地して格子をのぞく若人の胸の内ひたすらにうとまし。

      骸骨とわれには見えて秋の風


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