JR仙石線松島海岸駅から松島遊覧船乗り場に行く途中、観瀾亭を通りがかる。 |
どんぐりころころ どんぶりこ |
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おいけにはまって さあたいへん |
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どじょうがでてきて こんにちは |
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ぼっちゃんいっしょに あそびましょう |
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どんぐりころころ よろこんで |
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しばらくいっしょに あそんだが |
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やっぱりおやまが こいしいと |
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ないてはどじょうを こまらせた |
松島町出身文学博士青木存義先生(1879−1925)が作詞された「どんぐりころころ」は、現在も広く全国の幼児や児童たちに愛唱されています。 作曲者は、東京音楽学校の梁田貞先生です。碑の裏側に、建立事由が記されています。 昭和59年4月3日
松 島 町 |
明治26年(1893年)7月29日、正岡子規は塩竈から舟で松島を漕ぎ出して、観瀾亭に行く。 |
障子明け放ちて眺むる風光眼にも盡きねど取りあへず觀瀾亭に行く。此宿の門前數十歩の内なり。老婆出でゝ案内す。此家は伊達家の別莊にして建物は三百年の昔豐太閤が伏見桃山に築き給ひしを貞山公(政宗)に賜はり其後當家三代肯山公のこゝに移されし者なりとぞ。彫刻鈿鏤(でんる)の裝飾無しと雖も古樸にして言ふべからざる雅致あり。數百の星霜を經て毫(いさかか)も腐朽の痕を見ず、傳へいふ此建築一柱一板盡く唐木を用うと。蓋し一世の豪奢なり。襖板戸の繪は皆狩野山楽の筆とかや、疎鬆(そそう)にしてしかも濃厚の處あり。狩野家中の一派にやあらん。 |
松嶋観瀾亭に遊びて豐臣伊達兩公を 憶ふ 二句 ふわふわとなき魂こゝに來て涼め なき人を相手にほしきすゝみ哉
『寒山落木 巻二』(明治二十六年 夏) |
昭和37年(1963年)10月、水原秋桜子は瑞巌寺から観瀾亭を訪れている。 |
松島、瑞巌寺 菊の香や芭蕉をまつる燭ひとつ 同、観瀾亭 山楽の襖絵ほとの波に月 月高く流燈沖に芭蕉祭
『晩華』 |