芭蕉の句碑

『奥の細道』東 北


まゆはきを俤にして紅粉の花

国道13号を行き、天童から山寺に向かう。


途中に「芭蕉の句碑」の小さな案内があった。

 矢印に従って行くと、広い農道に出て、どちらに行ったらいいのか、分からない。道を通るお婆さんに聞いて、やっと「芭蕉おもかげの丘」に着いた。「丘」と言っても、丘ではない。

行き方など、とても説明できない。

「天童市の観光ガイド」の地図を参考にして下さい。

加藤楸邨揮毫の「芭蕉の句碑」がある。


まゆはきを俤にして紅粉の花

『俳諧書留』に「立石の道にて」と前書きがある。

 芭蕉は尾花沢に10泊した後、人々に勧められ、元禄2年(1689年)5月27日(新暦7月13日)山寺に向かった。紅花が満開の頃だったそうだ。

廿七日 天気能。辰ノ中尅、尾花沢ヲ立テ、立石寺へ趣。清風より馬ニテ館岡迄被送ル。尾花沢。二リ、元飯田。一リ、館岡。一リ、六田(山形へ三リ半、馬次間ニ内蔵ニ逢)。二リよ、天童。一リ半ニ近シ、山寺(宿預リ坊。其日、山上・山下巡礼終ル)。未ノ下尅ニ着。是ヨリ山形ヘ三リ。

『曾良随行日記』

紅 花


昭和56年(1981年)7月11日、加藤楸邨夫妻にて句碑の除幕式がなされた。

その折に詠まれた句

紅の花 雲中に わが旅つづく
   楸邨

懸佛 思惟のおん眼や 梅雨はるる
   知世子

「芭蕉の句碑」の脇に加藤楸邨夫妻の句碑がある。

平成9年(1997年)7月13日、芭蕉のおくの細道の旅を記念して建立された。

 明治26年(1893年)8月6日、正岡子規は楯岡に泊まった。

 楯岡に一泊す。いかめしき旅店ながら鉄炮風呂の火の上に自在を懸けて大なる鑵子(かんす)をつるしたるさまなど鄙びておもしろし。


 昭和31年(1956年)6月4日、高浜虚子の一行は天童に泊まっている。

天童に浴みせりけり明日は羽黒

羽黒山に旅立つた。途中、天童に一泊。温泉の湯が大変熱かつたと同行した姉が話してゐた。七十年昔、子規が仙台から作並温泉に出て山道を辿り天童楯岡の追分に出たといふことをなつかしみつゝ旅をつゞけた。

『虚子一日一句』(星野立子編)

山寺へ。

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