2016年北海道

礼文華海岸〜豊浦町文学碑公園〜
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豊浦町字礼文華の室蘭本線沿いに礼文華海岸がある。


礼文華海岸に豊浦町文学碑公園がある。

豊浦町文学碑公園

 豊浦湾(噴火湾)を前にして奇岩・怪石に富み、左手には有珠岳、遙かに駒ケ岳を望む礼文華海岸のここ美の岬は、豊浦町が誇る風光明媚な景勝の地です。

 町ではこの優れた自然美を生かして公園を造成し、町民や旅の方々の憩いの場とすることにしました。幸い、海岸線を走る長輪線の車窓からの情景を描いた文学作品が貴重な文化遺産として残されており、それを刻して「豊浦町文学碑公園」と名付けた次第です。

 自然と文学とのふれあいの場として、末長く多くの人々に愛されることを願います。

豊浦町・豊浦町教育委員会

長輪線について

長輪線の名は、昭和3年9月10日に長万部―輪西(現東室蘭駅)間が全通したことによる通称で、現在このあたりはかなりの部分が新線に切り替えられている。室蘭本線の一部分。

与謝野寛・晶子歌碑


有珠の峰礼文の磯の大岩の
ならぶ中にも我を見送る
与謝野 寛

数しらね虹となりても掛かるなり
羊蹄山の六月の雪
与謝野晶子

 昭和6年(1931年)6月4日、与謝野寛・晶子夫妻は洞爺湖から羊蹄山を見ている。

かずしらぬ虹となりても掛かるなり羊蹄山の六月の雪

六月に雪のこりたる羊蹄の水いろの襞うつくしきかな

「北海遊草」

昭和62年(1987年)3月、建立。

 寛(明6〜昭10)は鉄幹の筆名を持ち「妻をめとらば才たけて」、妻晶子(明11〜昭17)は「君死にたまふこと勿れ」などで知られる有名な詩歌人である。明治期に主宰した文芸雑誌『明星』からは石川啄木らが育っているが、夫妻が北海道の旅にのぼったのは昭和6年5月であった。寛58歳、晶子53歳。この旅で2人合せて約350首を残している。

 函館・小樽・札幌・旭川・白老・登別・室蘭などを廻り洞爺湖をあとに長輪線で豊浦を通り過ぎたのは6月5日のことである。晶子は「虻田駅で函館行の汽車に乗換えましたが、沿線の海岸の風景も、内浦湾の遠望も共に美くしい事でした」と随筆「洞爺湖」に記している。

 函館立待岬向洞爺に夫婦歌碑がある。

豊浦町・豊浦町教育委員会

斎藤茂吉歌碑


白浪のとどろく磯にひとりしてメノコ居たるを見おろして過ぐ

昭和62年(1987年)7月、建立。

全国で89番目の茂吉歌碑である。

 この歌人(明15〜昭28)は『赤光』『あらたま』などの名歌集を持つ近代短歌史上の巨人である。文化勲章受章。

 茂吉が弟と北海道に遊んだのは50歳の折の、詩である。昭和7年8〜9月であった。志文内(中川町=歌碑2基)に住む兄を訪ねるのが主目的で、函館・旭川・稚内・樺太・釧路・根室・札幌・支笏湖・苫小牧・白老・登別温泉など堂内に広く足跡を印している。

 その折の旅行詠約340首は歌集『石泉』に収められているが、東室蘭を経て長輪線で豊浦を通過したのは9月3日であった車窓からの眺めがこの優れた歌人の眼で的確に描写されていて得難いが「礼文華に連続したる隧道をやうやく出でて静狩のうみ」もその1首。

豊浦町・豊浦町教育委員会

 茂吉の弟は旧旅館山城屋(現:葉山館運営)の養子に入り高橋四郎兵衛を襲名して館主を務め、茂吉の定宿となった。

 昭和9年(1934年)8月、高橋四郎兵衛は熊野岳山頂に生前唯一の茂吉歌碑を建立している。

昭和8年(1933年)8月、高浜虚子は汽車で噴火湾を通る。

   北海道噴火湾

鰯焚く漁村つゞきや秋の濱


伊藤整随筆碑


 五月の初め頃、私は噴火湾の沿岸をとおって函館の方から札幌への汽車に乗った。(中略)

 初めて乗るこの長輪線と言う海沿いの汽車の風景が、風景そのものの楽しさで眼に映った。窓からの風景をたのしむことのできる汽車に乗ったことを、私は珍しいと思った。

 静狩のトンネルの話は以前に聞いていた。それが長さにおいて北海道一とか全国一とかいうことであった。この線の起点である長万部からすぐ、この有名なトンネルに来かゝった。(中略)

 この線に沿うた土地は北側に有珠火山などの山を負い、南は暖い噴火湾に面しているので、 北海道でも一番暖い土地であるという。汽車が東方室蘭を指して進むにつれて、暖い土地という感じがよく出ている。静狩の崖を過ぎると麦は秋蒔きのものがよく成育している。札幌、小樽附近に較べてその成育ぶりはまことに早い。なだらかな丘が起伏しながら左方の高地から右手の海岸に続き、その所々に岩が奇怪な形で突き出ているのが、やっぱり火山の裾野地帯であることを思わせる。(中略)右側には、海が近くなったり遠くなったりしながら続いているが、湾内の水というのは沼のような感じで静かだ。

昭和62年(1987年)7月、建立。

 伊藤整は、近代日本文学を代表する小説家、評論家である。明治38年に渡島半島の松前で生まれ、小樽で青春期を過ごし、昭和44年に東京で没した。

 代表作に『雪明かりの路』、『鳴海仙吉』、『若い詩人の肖像』、『変容』、『小説の方法』などがあり、日本近代文学館理事長もつとめた。芸術院会員。小樽の塩谷に文学碑が建っている。

 作者がはじめて長輪線に乗ったのは敗戦直後の昭和21年(41歳)で北海道大学で教鞭をとっていたときである。碑文は『随筆北海道』に収められている「千歳線風景」の一部がが、車窓から眺めた沿線の景色が見事に捉えられていて作者の新鮮な旅情がつたわってくる。

豊浦町・豊浦町教育委員会

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