2021年東 京

けやき並木〜碑巡り〜
indexにもどる

 昭和5年(1930年)8月27日、高浜虚子は第一回武蔵野探勝会で府中の欅並木を観る。

その大国魂神社の前に、府中の町と直角をなしてをる馬場があつて、その馬場の両側に、今は保護天然物になつてをる沢山の欅並木がある。五六町の間も続いてをつて頗る見事なものである。源義家が植ゑた欅であるといふのが、今は空洞になり、僅に葉が出てをるのがある。それは僅に一本であつて、それに連なつてをる幾百本といふ太い欅や楢の木は、徳川家康が大坂陣、関が原の両役に勝つた時にこの大国魂神社に奉納したものであるといふ。

『武蔵野探勝』(欅並木)

大国魂神社から京王線府中駅に向かうと、けやき並木に万葉の歌碑があった。


武蔵野乃久佐波母呂武吉可毛可久母

  伎美我麻尓末尓吾者余利尓思乎

歌碑に寄せて

 この歌は万葉集巻十四東歌の武蔵国の一首です。武蔵の国は東京、埼玉、神奈川にわたる大国であり、その国府が府中にありました。訓読では次のようになります。

 武蔵野の草は諸向(もろむ)きかもかくも  君がまにまに吾(あ)は寄りにしも

 「草が風に靡くよう、私は貴方にひたすら心を寄せたのに」という意味の歌で、自然と共に生きた女心を歌ったものです。碑文は万葉集古写本中、全巻を完備している西本願寺本に拠りました。

平成11年(1999年)12月、府中市建立。

八幡太郎源義家公之像


源義家とけやき並木

 国の天然記念物「馬場大門けやき並木」は、940有余年前、源頼義公・義家父子が奥州平定の「前九年の役」の途次、大國魂神社に戦勝を祈願し、同役平定後の康平5年(1062年)勝利の奉賽として、神社にけやきの苗木千本を寄進したことにはじまる。その後、徳川家康公により、補植されて現在の姿になったが、この場所にあった周囲9mに及んだ大けやきは、頼義公・義家公父子が奉植されたものと伝えられ、ご神木として氏子から敬愛されていた大けやきであった。その大けやきも、度々の暴風雨と、近くは昭和24年のキテイ台風によって、幹や大枝が折れ、その後、残った幹の空洞内の出火で枯死してしまった。義家公は、清和源氏に発する河内源氏の嫡流として、7歳の時、石清水八幡宮で元服、よって八幡太郎と号したが、前九年の役・後三年の役で卓抜した武勇をあらわした公の代に、源氏の武威の最盛期を迎えた。このような大国・武蔵の国の国府であった府中、大國魂神社、けやき並木と源義家公の史実を後世に伝えるため、当時の若さあふれる公の像をこの地に建立するものである。この「八幡太郎源義家公之像」が府中の歴史を伝え、永く市民各位の心に生き続けることを願いたい。

 制作は、高岡市在住、勅許御鋳物師藤原朝臣喜多家第三十代当主の三男、喜多敏勝先生。 題字は、財団法人日本書道美術院審査員、鹿島敬帆先生の揮毫による。

 平成4年(1992年)3月28日、東京府中ロータリークラブ創立30周年記念事業で建立。

八月二十七日。第一回武蔵野探勝会。府中の欅並木を観る。

 秋風や欅のかげに五六人

 秋風や欅に凭れかくれをり

 秋風や相顧みて人小さし


高浜虚子の句碑


秋風や欅のかげに五六人

碑 陰

この碑は
昭和五年八月二十七日。第一回武蔵野探
勝会に於て虚子が発表した句箋を引伸ば
したものである。  (是政西藏院所藏)
寄進者府中市福田草一

2021年東 京〜に戻る