旅のあれこれ


震 災 ・ 戦 災

 昭和19年(1944年)6月16日未明、官営八幡製鐵所はB−29の爆撃を受ける。

 昭和20年(1945年)3月、埼玉県川口市の本行寺にある大山紅葉は空襲で枯死。

3月9日、10日、東京大空襲

 墨田区東向島の大島稲荷神社は焼夷弾の直撃を受け、全園消失。

 江東区北砂の志演神社と尊空稲荷神社は戦災により両社消失。昭和22年(1947年)3月、両社を合祀して社名を志演尊空神社と改名。

 江東区大島の大島稲荷神社は大東亜戦争にて神社、社務所一切消失。昭和40年(1965年)、御神殿権現造造営

 江東区富岡の富岡八幡宮は東京大空襲で被災し焼失。昭和31年(1956年)、現在の社殿が竣工。

 台東区浅草の浅草寺は焼失。本堂は昭和33年(1958年)に再建、五重塔は昭和48年(1973年)に再建。

 台東区西浅草の浅草本願寺は関東大震災で地震には耐えたが、火災で焼失。昭和9年(1934年)、本堂再建が始まる。

 文京区本郷菊坂の本郷菊富士ホテルは戦火に依り50年の歴史を閉した。

 千代田区霞が関法務省旧本館はれんが壁を残して焼失。昭和25年(1950年)、法務省本館として再び利用されるようになった。

 港区六本木の山形ホテル、永井荷風の偏奇館は空襲で焼失。

昨夜猛火は殆東京全市を灰になしたり。北は千住より南は芝田町に及べり。淺草觀音寺、五重塔、六區見世物町、吉原遊郭燒亡、芝搶緕及靈廟も烏有に歸す、明治座に避難せしもの悉く燒死す。本所深川の町々、亀井戸天神、向嶋一帶、玉の井の色里凡て烏有となれりと云。


4月13日、14日、城北大空襲。

 墨田区堤通の木母寺は空襲を受けて本堂焼失。

 北区西ヶ原の曖依村荘は空襲により「晩香廬」と「青淵文庫」の2棟のみを残して焼失。王子稲荷神社本殿は大破。火災は装束稲荷で喰い止められた。

 文京区千駄木の高村光太郎旧居は焼失し、5月15日、光太郎は岩手県花巻に疎開した。

 千代田区千代田の大手門は空襲で消失し、昭和42年(1967年)に復元された。

 大田区池上の本門寺仁王門(三門)大堂(祖師堂)は空襲で灰燼に帰した。昭和39年(1964年)に大堂(祖師堂)、昭和52年(1977年)に仁王門(三門)再建。

5月24日、25日、山の手大空襲。

 目白不動堂は関口駒井町(文京区)にあったが、5月の戦災により焼失。金乗院に合併し、本尊の目白不動明王像を移した。

 文京区小石川の内の幸田露伴旧居「蝸牛庵」は戦災で焼ける。

 千代田区丸の内の東京駅は空襲により屋根等が焼失。

 千代田区永田町の山王神社

 新宿区早稲田南町の漱石山房空襲で焼失。

 港区赤坂の乃木神社は本殿以下社殿はことごとく焼失。昭和37年(1962年)9月13日、祭神50年祭に併せて復興。

 港区元麻布の善福寺本堂が戦災で焼失。

 港区南麻布の天現寺は太平洋戦争で諸堂宇全焼。昭和26年(1951年)4月、仮本堂並びに諸堂宇落成。

 港区南青山の新青山脳病院「分院」は空襲により全焼。

 杉並区和田本町にあった山口青邨の家は庭に焼夷弾が突き刺さっていた。

8月13日

川端龍子の邸宅「御形荘」B29の爆撃により邸内の母屋や古い画室は失われた。

3月13日・14日、大阪大空襲

 大阪市西区稲荷神社大阪大空襲で社殿が焼失する。

 大阪市天王寺区の四天王寺五重塔は焼失。

 昭和20年(1945年)7月3日、兵庫県姫路市の姫路城は天守に命中した焼夷弾が発火せず、焼失を免れた。

 昭和20年(1945年)7月7日、兵庫県明石市の善樂寺は戦災によって本堂、仏像、寺宝など灰燼に帰した。昭和63年(1988年)3月30日、復興。

 昭和20年(1945年)7月10日、仙台市青葉区の滝沢神社にある芭蕉の句碑は空襲で破壊された。昭和51年(1976年)5月15日、補修復元して再建。

 昭和20年(1945年)7月10日、土井晩翠は仙台空襲で住居と蔵書を焼失。

 昭和20年(1945年)7月12日、福井県敦賀市の金前寺は空襲により灰燼と化す。昭和63年(1988年)、本堂再建。

 昭和20年(1945年)7月14日・15日、アメリカ海軍艦載機の空襲で青函連絡船は8隻沈没、2隻大破炎上、2隻航行不能、壊滅状態となる。

 昭和20年(1945年)7月17日、7月24日、2度にわたる桑名大空襲により三重県桑名市の桑名本統寺は焼失。昭和25年(1950年)、本堂及び諸施設が再建される。

 昭和20年(1945年)7月26日・27日、愛媛県松山市の松山城東雲神社子規堂愚陀仏庵は空襲により焼失。

 昭和20年(1945年)8日5日、愛媛県今治市が空襲に遭遇、市内の軍需工場に女子学徒挺身隊として奉仕していた松山城北高女生22名、松山高女生2名計24名が米軍機からの機銃掃射を受け若い尊い命を奪われました。

 昭和20年(1945年)8月6日、兵庫県西宮市の西宮神社は空襲のため焼失。昭和36年(1961年)、復元。

 昭和20年(1945年)8日8日、福山城の天守閣・湯殿等は戦火により焼失。昭和41年(1966年)、市制50周年記念事業として外観復元がなされた。

 昭和20年(1945年)8月10日、岩手県花巻市の宮沢家も戦災に遭う。

 昭和20年(1945年)8月13日、大田区中央の川端龍子邸宅「御形荘庭園」の母屋や古い画室は失われたが、画室だけは奇跡的に難を免れた。

 昭和20年(1945年)8月14日、熊谷宿の本陣は戦災で跡形もなく灰燼に帰してしまった。

 昭和20年(1945年)8月15日、小田原市はB29一機による焼夷弾空襲を受けた。

小田原空襲を伝える写真


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