旅のあれこれ


震 災 ・ 戦 災

東京大空襲

3月9日、10日、東京大空襲。

 墨田区東向島の大島稲荷神社は焼夷弾の直撃を受け、全園消失。

 江東区北砂の志演神社と尊空稲荷神社は戦災により両社消失。昭和22年(1947年)3月、両社を合祀して社名を志演尊空神社と改名。

 江東区大島の大島稲荷神社は大東亜戦争にて神社、社務所一切消失。昭和40年(1965年)、御神殿権現造造営

 江東区富岡の富岡八幡宮は東京大空襲で被災し焼失。昭和31年(1956年)、現在の社殿が竣工。

 荒川区西日暮里の太平洋美術会は戦災による校舎焼失。

 台東区浅草の浅草寺は焼失。本堂は昭和33年(1958年)に再建、五重塔は昭和48年(1973年)に再建。

 台東区西浅草の浅草本願寺は関東大震災で地震には耐えたが、火災で焼失。昭和9年(1934年)、本堂再建が始まる。

 文京区本郷菊坂の本郷菊富士ホテルは戦火に依り50年の歴史を閉した。

 千代田区霞が関法務省旧本館はれんが壁を残して焼失。昭和25年(1950年)、法務省本館として再び利用されるようになった。

 港区六本木の山形ホテル、永井荷風の偏奇館は空襲で焼失。

昨夜猛火は殆東京全市を灰になしたり。北は千住より南は芝田町に及べり。淺草觀音寺、五重塔、六區見世物町、吉原遊郭燒亡、芝搶緕及靈廟も烏有に歸す、明治座に避難せしもの悉く燒死す。本所深川の町々、亀井戸天神、向嶋一帶、玉の井の色里凡て烏有となれりと云。


4月13日、14日、城北大空襲。

 墨田区堤通の木母寺は空襲を受けて本堂焼失。

 北区西ヶ原の曖依村荘は空襲により「晩香廬」と「青淵文庫」の2棟のみを残して焼失。王子稲荷神社本殿は大破。火災は装束稲荷で喰い止められた。

 板橋区栄町の養育院長渋沢栄一銅像は空襲にも焼け残った。

 文京区千駄木の高村光太郎旧居は焼失し、5月15日、光太郎は岩手県花巻に疎開した。

 千代田区千代田の大手門は空襲で消失し、昭和42年(1967年)に復元された。

 大田区池上の本門寺仁王門(三門)大堂(祖師堂)は空襲で灰燼に帰した。昭和39年(1964年)に大堂(祖師堂)、昭和52年(1977年)に仁王門(三門)再建。

5月24日、25日、山の手大空襲。

 目白不動堂は関口駒井町(文京区)にあったが、5月の戦災により焼失。金乗院に合併し、本尊の目白不動明王像を移した。

 中央区築地の築地本願寺は空襲により建物はことごとく焼失。

 文京区小石川の幸田露伴旧居「蝸牛庵」は戦災で焼ける。

 文京区関口にある椿山荘の三重塔は焼失を免れた。

 千代田区丸の内の東京駅は空襲により屋根等が焼失。

 千代田区永田町の山王神社

 新宿区早稲田南町の漱石山房は空襲で焼失。

 昭和20年(1945年)、久保田万太郎は港区三田綱町に転居。5月24日、空襲で焼亡。

 港区赤坂の乃木神社は本殿以下社殿はことごとく焼失。昭和37年(1962年)9月13日、祭神50年祭に併せて復興。

 港区元麻布の善福寺本堂が戦災で焼失。

 港区南麻布の天現寺は太平洋戦争で諸堂宇全焼。昭和26年(1951年)4月、仮本堂並びに諸堂宇落成。

 港区南青山の新青山脳病院「分院」は空襲により全焼。

 杉並区和田本町にあった山口青邨の家は庭に焼夷弾が突き刺さっていた。

8月13日

川端龍子の邸宅「御形荘」B29の爆撃により邸内の母屋や古い画室は失われた。

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