『奥の細道』北 陸


〜金前寺〜

敦賀市金ヶ崎町に金前寺という寺がある。


誓法山金前寺


高野山真言宗の寺である。

天平8年(736年)、聖武天皇の勅により泰澄大師が開祖。

元亀元年(1570年)、織田信長の天筒山攻めの兵火により堂宇全焼。

寛文2年(1662年)、観音堂を再建。

金前寺に鐘塚があった。


月いつこ鐘は沈めるうみのそこ

出典は「芭蕉翁月一夜十五句」(荊口句帖)。

宝暦11年(1761年)10月、白崎琴路建立。

福井県最古の芭蕉句碑である。

芭蕉翁鐘塚


月いつく鐘は沈るうみのそこ

 この句は、元禄2年8月15日の雨月に翁南北朝時代(1336)金ヶ崎落城の悲劇にまつわる陣鐘の事を聞き詠んだものである。

 この塚は翁の没後68年に白崎琴路らが建立し、その翌年より墨直しの行事が行われ、古例となった。

 素龍清書本『奥の細道』は去来の死後敦賀の俳人白崎琴路の許に移り、現在は敦賀の西村家に伝えられているそうだ。重要文化財である。

『諸国翁墳記』に「鐘 塚 越前敦賀ニ在 連中建」とある。

 享保6年(1721年)、露川は門人燕説を伴い金前寺を訪れている。

  遊誓法山金前寺万景縮看一望中

涼しさの要やてらのかねが崎
   居士

日は若葉月の波うつ金が崎
   無外


 明和2年(1765年)、梨一は金前寺を訪れ、鐘塚を見ている。

 ひと日蕉雨といふものにいさなはれて、金か崎といふ所に遊ふ。寺あり、金前寺といふ。むかしは金輪寺といひけるよし、太平記に見えたりと云り。境内に祖翁の碑を建て鐘塚と名つく。翁此地経廻の時、月いつこ鐘は沈める海の面。との吟ある故なりとそ。此寺の鐘楼よりして入海を望むに、四面の山々程よく峙ち、民家を離れて又遠からず、海の面は方一里はかり、青波静にして天に遠く、磯辺は桃花多して影魚鼈を酔しむるかと疑ふ。

   鐘しらぬ桃も吹こむ海辺かな


 昭和20年(1945年)7月12日、空襲により金前寺は灰燼と化す。

 昭和32年(1957年)10月、高浜虚子は敦賀市の招きで松尾芭蕉の杖蹟を訪ね、鐘塚を訪れている。

句碑を訪うおりから月もなかりけり

 その近くに聳えてをる山の上には後醍醐天皇の皇子尊良、恒良兩親王を擁して新田義貞並びに長男義顯の據つてをつた金ケ崎城址があり、(今は金ケ崎宮がある。)その麓に金前寺といふ寺があり、そこに芭蕉の、

   月いづこ鐘は沈める海の底

といふ句碑のあるのを一見。

「敦賀行」

 昭和63年(1988年)、本堂再建。

金ヶ崎城跡へ。

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